シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

「医は仁術? 算術?」

2017年04月09日 | 分からな~い人生
ダルヴァザの地獄の門。
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4月2日日曜日 予定通り、退院した母の介護を弟と交代しました。 次の交代は8日土曜日の予定です。

6日木曜日午前10時半〜11時半に 訪問医を引き受けてくれた医師の医院で、訪問診療を開始するにあたり 治療方針その他について打ち合わせ会議が開かれます。 出席者は地域包括支援センターの介護支援専門員2人 (A)、3月入院した病院内の医療ソーシャルワーカー (B)、そして訪問医候補医師 (C) の4人と私です。

会議前の前日5日夕方 Bから電話で、治療対象家族の考え方を聴きたいというので、「それは明日の会議で話すことではないでしょうか、そのための会議でしょう?」というと、Bは、「病院から訪問診療を依頼された手前 医師は “最後迄 訪問医にまかせる” という家族でないと引き受けたがってないので、家族に訊いてくれないかと電話してきたんです」とのこと (雲行きが怪しくなってきました … )

“最後迄 訪問医にまかせる” という意味は治療のことかと思ってましたが、もう1つの意味が翌日の会議で明らかになります。
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6日木曜日 車で15分位の温泉街にある医院に集合、医師室 (診察室?) で打ち合わせ会議をしました。 結論は決裂です。 医師がいうには、「病院医からの丁寧な紹介状 (2〜3ページ) によると 肺の末期がんということですが、末期がん患者に対する治療は何もないんですよ (こういう医師は何のために存在するの?)。

自宅介護で看取るという家族でしたら お引き受けしますが … 、私はこの3年で100人の死を見て来ました。 今 呼吸器の末期の患者さんを引き受ける病院は、(私の母が住む) ここの県庁所在市ではこれこれの3院だけです。 けれど 患者さんが多過ぎて各病院の担当医は忙しくて倒れそうなくらいなんです」(医者を始めた段階で それは知っていたはずでは?)。

私が「自宅で亡くなって 医師がくるまで2〜3時間も待つのは、家族にとってつらいですよね」というと、「何がつらいんですか? 医者は死亡診断書を書くだけですよ」との返事です (この医師の仕事は死亡診断書を書くことだけだったの?)。 明から様にこういう医師に訪問診療をお願いして、果たして母は幸せに “あの世に行ける” だろうか? そうではないだろう。

私が、「弟とも電話で話しましたが、本人にとっても我々兄弟にとっても 容態急変となったら入院した方がいいのではないか、と考えています。 容態急変の時 訪問医が直ぐに駆けつけられるかというと、それは難しいでしょう。 往診中や医院で他の患者さんの診察治療中だったら、普通 時間が掛かりますよね。 大病院だったら、担当医不在でも 誰かしら医師はいるはずですから、家族としても安心できますよね?」というと、「入院して末期がん患者に何の治療をやるんですか?」と返事する (こういう医師より、患者側に "寄り添う" 姿勢を見せる医師を選びたい)。

「何事も一方的な尺度でモノゴトを進めようとすると、片一方に不満が出ます。 擦り合わせが必要ですよね。 私の理解では、開業医・かかりつけ医は自分の手に負えないとなった時点で大病院に繋ぐという位置づけなのですが …」と伝えましたら、「大病院指向ということでしたら、こちらとは診療方針が合わないですね」ということで、決裂しました。

この医師の話しは医師との会話、医療関係者との会話でしたら、何ら問題はないでしょう。 しかし 治療対象家族との会話でしたら、何らかの配慮が必要なはずです。 例えば “大変おつらいでしょうが、末期がん患者さんに対する治療は実は何もないんです” “残念ですが お亡くなりになって、駆けつけた医者ができるのは死亡診断書を書くことだけなんです” ではないでしょうか?

患者とその家族に “寄り添う” という姿勢が大事だと思います。 それがあるかないかで、同じことをしても しなくても、家族の受け止め方が違います。 母が亡くなった後 ”あのお医者さんにまかせて良かった” と思うか、”あの医者にまかせたのは失敗だったな” と思うか __ こういう感情は引きずるものです。

会議の最後に私は、「10年前 父が病院で亡くなった昼過ぎに、ナースセンターに連絡したら 担当医が15分ほどで駆けつけてきて診てくれましたが、死亡が確認されました。 担当医は『午前中は反応があったのですが … 我々の力が足りず、申し訳ありません』と仰ってました。 我々家族は病院に不満はなかったですよ。

ただ 胃ろうを装着するかどうか聞かれた時 お断りしたら、担当医から看護士などへ説明があったのでしょう。 亡くなる何日か前 あることで看護士に訊いたら、”そちらの家族は積極的な治療をしない、と聞いていますので” と、いっていました。 二十歳くらいの若い看護士でした。 私は何もいいませんでしたが、”若いなぁ” と思ったものです」と付け加えました。

この "比喩的表現" が医師に分かったでしょうか?
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退室際、「お話しする機会を戴いて有り難うございました」とお礼を伝えましたが、医師は無表情でした (怒っている?)。 この医師が挨拶したのは病院ソーシャルワーカー (というよりコーディネーター:医療調整者?) のBに対してだけでした (そこから 病院から この医院に定期的に訪問診療患者を回しているだろうことが推測できました)。

続く

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