
写真左はロシアの風景。 右はテレビ東京から
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皆さんは覚えているでしょうか? バブル時代に何兆円も銀行から借りまくって株投資をしていた大阪の相場師 尾上 縫 を。 興銀が貸し付けたというので “信用” が付き、多くの金融機関が競争で貸し込んで 借入金総額はのべ 2兆7736億円、支払額はのべ 2兆3060億円 に達していたというから、尋常な額ではありません。
貸し込んだカネ全部が回収不能になったのではなく、17% 余り (差額の約 4700億円) が回収不能になったらしいですから、まだ救われる話しでもあります __ しかし それで経営破綻に追い込まれた金融機関もありますから、懲役12年の実刑判決は妥当なのかどうか? シロウトの私は何ともいえません。
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ウィキペディアから __ 尾上 縫 (おのうえ ぬい 1930~) は、大阪府大阪市の料亭「恵川」の元経営者である。 バブル絶頂期の1980年代末、「北浜の天才相場師」と呼ばれ、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していた。 しかしながら 景気の後退とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を引き起こした (※追加1へ)。
「日本不動産バブルの思い出② 尾上 縫事件」(2011年6月14日 陳言/中国網日本語版) _ ※追加2へ
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しかし 神からのお告げによって株式を選別し、購入する数量を決めるというのですから、かなりいい加減なことを根拠にして (いい方を変えると “根拠レス” で)、株の売買をやっていたのは確かです。 神棚がある部屋のお告げの場に並んで頭を垂れて付き合っていた金融機関の社員は、どういう気持ちでその “お告げ” を聞いていたのでしょうか?
やっぱり あの時代はバブルに日本中が酔っていたのです。 ピーク時には 世界の株式時価総額の6割は日本の株式市場だといわれていましたから、私もおかしいなと思いましたが、それで何年も経つと みんなオカシイとは思わなくなって、この状態がいつまでも続くと錯覚してしまったのですね。
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“ロシアの風景” 写真もどこかオカシイのですが、この静止画だけだと いかにも若い “怪力ロシア女” が丸太を乗せた 10トントラックを引っ張っているように見えますが、実際はポーズを取ってるだけでショ? よく考えれば あり得ないとすぐに分かるのですが、信じ込んでしまう人も中にはごく少数いるわけです。
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一料亭の女将が神からのお告げによって “天才相場師” となったのではなく、あのバブル時代はどの株を買っても大概上がったのですから、それに多くの金融機関が気が付かなかった? やっぱり “怪力ロシア女” みたく、ごく少数の金融機関の人が信じてしまったのでしょうね。 バブルが弾けるまでの数年は貸したお金の金利が金融機関に戻ってくるのですから、「神からのお告げなんて信じられないけど 実績が積み上がってるんだよなぁ」状態だったのでしょうか?
教訓は、1) 天才とか神からのお告げのような “神懸かり的なもの” は信じないこと 2) “いつまでも好況も不況” はない 3) 誰かが儲かると 誰かが損をしている ですね。
バブル時代に儲かった人がいる一方で、誰が損をしたのでしょうか? 私は売り抜けて儲かった人は極々少数の人だけで、損をしたのは 不況を経験させられている “その後の多くの日本国民” だと思いますね。 その損というか不況時代は 20年も続いたのですが、やっとその失われた 20年は終わって、損返しが終わってフツーの時代に戻ったのかも知れません。 いや 長かった。
以上
※追加1_ 人物
自身が女将を務める料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事にいい当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した。 バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなり、多くの証券マンや銀行マンらが尾上に群がるようになった。
巨額詐欺事件
自らも銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになった尾上は、バブル絶頂期の1988年には、2270億円 を金融機関から借り入れ、400億円 近い定期預金を持っていた。 また、株取引では 48億円 の利益を得、割引金融債ワリコーを 288億円 購入し、55億円 の金利を受け取っていた。
しかし バブル景気に陰りが見えるとたちまち運用が悪化して負債が増加するようになった。 以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始めた尾上は、かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻すなど手口で犯行を重ねた。
やがて証書偽造が発覚、尾上は1991年8月13日に詐欺罪で逮捕された。 この時点までに尾上らは、「ナショナルリース」らノンバンクを含む12の金融機関から 3420億円 を詐取していた。 金融機関からの借入金総額は、のべ 2兆7736億円、支払額はのべ 2兆3060億円 に達しており、留置所で破産手続きを行った際の負債総額は 4300億円 で、個人としては日本で史上最高額となった。
裁判で尾上の弁護人は、尾上に株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり、責任能力はないと主張したが認められず、懲役12年の実刑判決を受けた。
巨額の融資を行った東洋信金は経営破綻により消滅し、預金保険機構の金銭援助を得て資産 (正常債権) を三和銀行が、店舗網は府下の複数の信金へ譲渡された。 また ノンバンク最大の貸し手であるナショナルリースの担当社員が特別背任罪で逮捕されている。 同社はこの期の不良債権をグループのサービサーへ債権譲渡し、1998年までに親会社の松下電器が未収債権について損失負担する形となり、2001年に松下クレジットとの合併を経て2010年に「住信・パナソニックフィナンシャルサービス」、さらに2012年に三井住友トラスト・パナソニックファイナンスとなっている。
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※追加2_ バブル景気の始まりの年といわれる1987年、日本の地価総額は 1,673兆円 に達した。 その頃中国は、国策である改革開放 (1978年~) 実施からすでに10年近くが過ぎようとしていたが、中国国民には 地価や不動産価格の概念がまだ生じていなかった。 私は当時 日本に留学中であったため、1億人 総浮かれのバブルとその崩壊を目の当たりにしている。 その経験や教訓を、今 同じくバブルの真っただ中にいる中国人達に伝える事が出来るかも知れない。
日本の不動産バブルといえば、尾上縫の名前を挙げない訳にはいかないだろう。 尾上縫 (81歳) 今はただの服役中の老女に過ぎない。 だが 20数年前、当時60歳近くであった彼女は、「天才相場師」ともてはやされ、巨額融資を引き出し、詐欺事件を起こし、東洋信用金庫を破綻させた人物として日本を震撼させた人物だ。
いわゆるバブルとは、結局は収益を増やしていくための循環に過ぎない。 土地を持っている人は、それを担保に銀行から融資を受けることができ、それを元手に株・土地投機が出来る。 負債は雪だるま式に膨らみ続け、誰も止めることが出来なくなり、やがてそれが崩壊へとつながる。
尾上縫もそうした一人だ。 1986~1991年の5年間、尾上縫はまず経営していた料亭を担保に、銀行融資を受け、それを元手に各種財テクで資産を増やしてきた。 株や土地に注ぎ込むために、各種金融機関から借り入れた金額は、延べ 2兆7736億円 になるという。2兆7736億円 という金額は、大阪市財政予算2年分に当たり、世界一高くついた関西国際空港の建設費用を上回るものであった。
尾上縫は全ての金融機関の上客になったといっていい。 ある新聞社の経済記者によると、尾上縫が一番波に乗っていた頃、銀行の中には、彼女の料亭の一角にデスクを構えるほどだった。 銀行職員が朝から来て掃除をしていたほどだ。 現金が必要になると、尾上縫は料亭内のデスクの職員にその旨を伝えるだけで、すぐに銀行から現金が送り届けられるという至れり尽くせりの状態だった。
当時 尾上縫が銀行に支払う金利だけでも毎年 1300億円 以上で、1日当たり 2~3億元 になっていた。 それほど巨額な利益を銀行にもたらす顧客は日本でも彼女だけだったはずだ。 彼女の料亭内のデスクに座る銀行職員の地位は、支店長よりも上であった。 なぜなら一般の支店が稼げる金利収入は1カ月でせいぜい数億円といったところだからだ。
尾上縫の最初の資本はどこから来たのだろう? 聞くところによると、大手住宅メーカー・大和ハウス工業の創業者である石橋信夫の兄・石橋義一郎が尾上縫をいたく気に入り、彼女の料亭に足繁く通っていたという。 来るたびに、数千万~1憶円 の現金を彼女に渡していたらしく、石橋氏から得た現金は合わせて 35億円 といわれている。 それを元手に各種コネを駆使し、投機を重ね、最後には個人としては考えられない巨額融資を引き出したのである。
大阪で滞在中 私は事件の舞台となった料亭「恵川」を訪ねてみた。 1990年代 あの辺りは雀荘や居酒屋が並び、中には見ただけで売春宿と分かる店がひしめく一帯であった。当時 株や土地の投機で、大企業よりも稼いでいたバブルの申し子の栄華盛衰は、このようないかがわしい界隈が舞台となっていたのだ。
日本のマスコミによると 尾上縫は高齢だが、魅力にあふれていたという。 彼女の料亭には、金の硬貨を口にはさんだ陶器置物のヒキガエルが、金運を招く縁起物として飾られていた。 噂によると このヒキガエルが株や土地の上昇相場を言い当て、尾上縫を負け知らずの投資家へ導いたとされている。
だが ヒキガエルの神様も尾上縫を永遠の勝ち組に据え置いてはくれなかった。 バブルに翳りが見え始め 地価が暴落すると彼女の負債は増え、証書偽造による詐欺行為まで働くようになった。 1991年には詐欺罪で逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。 20年経った今 彼女の名前を聞くことは無くなり、 2兆円 をどのように返済するのか取り沙汰されることもなくなった。 融資した金融機関のいくつかは経営破綻し、または合併され、当時のことをよく知る人もいなくなってしまった。
以上
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皆さんは覚えているでしょうか? バブル時代に何兆円も銀行から借りまくって株投資をしていた大阪の相場師 尾上 縫 を。 興銀が貸し付けたというので “信用” が付き、多くの金融機関が競争で貸し込んで 借入金総額はのべ 2兆7736億円、支払額はのべ 2兆3060億円 に達していたというから、尋常な額ではありません。
貸し込んだカネ全部が回収不能になったのではなく、17% 余り (差額の約 4700億円) が回収不能になったらしいですから、まだ救われる話しでもあります __ しかし それで経営破綻に追い込まれた金融機関もありますから、懲役12年の実刑判決は妥当なのかどうか? シロウトの私は何ともいえません。
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ウィキペディアから __ 尾上 縫 (おのうえ ぬい 1930~) は、大阪府大阪市の料亭「恵川」の元経営者である。 バブル絶頂期の1980年代末、「北浜の天才相場師」と呼ばれ、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していた。 しかしながら 景気の後退とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を引き起こした (※追加1へ)。
「日本不動産バブルの思い出② 尾上 縫事件」(2011年6月14日 陳言/中国網日本語版) _ ※追加2へ
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しかし 神からのお告げによって株式を選別し、購入する数量を決めるというのですから、かなりいい加減なことを根拠にして (いい方を変えると “根拠レス” で)、株の売買をやっていたのは確かです。 神棚がある部屋のお告げの場に並んで頭を垂れて付き合っていた金融機関の社員は、どういう気持ちでその “お告げ” を聞いていたのでしょうか?
やっぱり あの時代はバブルに日本中が酔っていたのです。 ピーク時には 世界の株式時価総額の6割は日本の株式市場だといわれていましたから、私もおかしいなと思いましたが、それで何年も経つと みんなオカシイとは思わなくなって、この状態がいつまでも続くと錯覚してしまったのですね。
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“ロシアの風景” 写真もどこかオカシイのですが、この静止画だけだと いかにも若い “怪力ロシア女” が丸太を乗せた 10トントラックを引っ張っているように見えますが、実際はポーズを取ってるだけでショ? よく考えれば あり得ないとすぐに分かるのですが、信じ込んでしまう人も中にはごく少数いるわけです。
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一料亭の女将が神からのお告げによって “天才相場師” となったのではなく、あのバブル時代はどの株を買っても大概上がったのですから、それに多くの金融機関が気が付かなかった? やっぱり “怪力ロシア女” みたく、ごく少数の金融機関の人が信じてしまったのでしょうね。 バブルが弾けるまでの数年は貸したお金の金利が金融機関に戻ってくるのですから、「神からのお告げなんて信じられないけど 実績が積み上がってるんだよなぁ」状態だったのでしょうか?
教訓は、1) 天才とか神からのお告げのような “神懸かり的なもの” は信じないこと 2) “いつまでも好況も不況” はない 3) 誰かが儲かると 誰かが損をしている ですね。
バブル時代に儲かった人がいる一方で、誰が損をしたのでしょうか? 私は売り抜けて儲かった人は極々少数の人だけで、損をしたのは 不況を経験させられている “その後の多くの日本国民” だと思いますね。 その損というか不況時代は 20年も続いたのですが、やっとその失われた 20年は終わって、損返しが終わってフツーの時代に戻ったのかも知れません。 いや 長かった。
以上
※追加1_ 人物
自身が女将を務める料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事にいい当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した。 バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなり、多くの証券マンや銀行マンらが尾上に群がるようになった。
巨額詐欺事件
自らも銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになった尾上は、バブル絶頂期の1988年には、2270億円 を金融機関から借り入れ、400億円 近い定期預金を持っていた。 また、株取引では 48億円 の利益を得、割引金融債ワリコーを 288億円 購入し、55億円 の金利を受け取っていた。
しかし バブル景気に陰りが見えるとたちまち運用が悪化して負債が増加するようになった。 以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始めた尾上は、かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻すなど手口で犯行を重ねた。
やがて証書偽造が発覚、尾上は1991年8月13日に詐欺罪で逮捕された。 この時点までに尾上らは、「ナショナルリース」らノンバンクを含む12の金融機関から 3420億円 を詐取していた。 金融機関からの借入金総額は、のべ 2兆7736億円、支払額はのべ 2兆3060億円 に達しており、留置所で破産手続きを行った際の負債総額は 4300億円 で、個人としては日本で史上最高額となった。
裁判で尾上の弁護人は、尾上に株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり、責任能力はないと主張したが認められず、懲役12年の実刑判決を受けた。
巨額の融資を行った東洋信金は経営破綻により消滅し、預金保険機構の金銭援助を得て資産 (正常債権) を三和銀行が、店舗網は府下の複数の信金へ譲渡された。 また ノンバンク最大の貸し手であるナショナルリースの担当社員が特別背任罪で逮捕されている。 同社はこの期の不良債権をグループのサービサーへ債権譲渡し、1998年までに親会社の松下電器が未収債権について損失負担する形となり、2001年に松下クレジットとの合併を経て2010年に「住信・パナソニックフィナンシャルサービス」、さらに2012年に三井住友トラスト・パナソニックファイナンスとなっている。
………………………………………………………
※追加2_ バブル景気の始まりの年といわれる1987年、日本の地価総額は 1,673兆円 に達した。 その頃中国は、国策である改革開放 (1978年~) 実施からすでに10年近くが過ぎようとしていたが、中国国民には 地価や不動産価格の概念がまだ生じていなかった。 私は当時 日本に留学中であったため、1億人 総浮かれのバブルとその崩壊を目の当たりにしている。 その経験や教訓を、今 同じくバブルの真っただ中にいる中国人達に伝える事が出来るかも知れない。
日本の不動産バブルといえば、尾上縫の名前を挙げない訳にはいかないだろう。 尾上縫 (81歳) 今はただの服役中の老女に過ぎない。 だが 20数年前、当時60歳近くであった彼女は、「天才相場師」ともてはやされ、巨額融資を引き出し、詐欺事件を起こし、東洋信用金庫を破綻させた人物として日本を震撼させた人物だ。
いわゆるバブルとは、結局は収益を増やしていくための循環に過ぎない。 土地を持っている人は、それを担保に銀行から融資を受けることができ、それを元手に株・土地投機が出来る。 負債は雪だるま式に膨らみ続け、誰も止めることが出来なくなり、やがてそれが崩壊へとつながる。
尾上縫もそうした一人だ。 1986~1991年の5年間、尾上縫はまず経営していた料亭を担保に、銀行融資を受け、それを元手に各種財テクで資産を増やしてきた。 株や土地に注ぎ込むために、各種金融機関から借り入れた金額は、延べ 2兆7736億円 になるという。2兆7736億円 という金額は、大阪市財政予算2年分に当たり、世界一高くついた関西国際空港の建設費用を上回るものであった。
尾上縫は全ての金融機関の上客になったといっていい。 ある新聞社の経済記者によると、尾上縫が一番波に乗っていた頃、銀行の中には、彼女の料亭の一角にデスクを構えるほどだった。 銀行職員が朝から来て掃除をしていたほどだ。 現金が必要になると、尾上縫は料亭内のデスクの職員にその旨を伝えるだけで、すぐに銀行から現金が送り届けられるという至れり尽くせりの状態だった。
当時 尾上縫が銀行に支払う金利だけでも毎年 1300億円 以上で、1日当たり 2~3億元 になっていた。 それほど巨額な利益を銀行にもたらす顧客は日本でも彼女だけだったはずだ。 彼女の料亭内のデスクに座る銀行職員の地位は、支店長よりも上であった。 なぜなら一般の支店が稼げる金利収入は1カ月でせいぜい数億円といったところだからだ。
尾上縫の最初の資本はどこから来たのだろう? 聞くところによると、大手住宅メーカー・大和ハウス工業の創業者である石橋信夫の兄・石橋義一郎が尾上縫をいたく気に入り、彼女の料亭に足繁く通っていたという。 来るたびに、数千万~1憶円 の現金を彼女に渡していたらしく、石橋氏から得た現金は合わせて 35億円 といわれている。 それを元手に各種コネを駆使し、投機を重ね、最後には個人としては考えられない巨額融資を引き出したのである。
大阪で滞在中 私は事件の舞台となった料亭「恵川」を訪ねてみた。 1990年代 あの辺りは雀荘や居酒屋が並び、中には見ただけで売春宿と分かる店がひしめく一帯であった。当時 株や土地の投機で、大企業よりも稼いでいたバブルの申し子の栄華盛衰は、このようないかがわしい界隈が舞台となっていたのだ。
日本のマスコミによると 尾上縫は高齢だが、魅力にあふれていたという。 彼女の料亭には、金の硬貨を口にはさんだ陶器置物のヒキガエルが、金運を招く縁起物として飾られていた。 噂によると このヒキガエルが株や土地の上昇相場を言い当て、尾上縫を負け知らずの投資家へ導いたとされている。
だが ヒキガエルの神様も尾上縫を永遠の勝ち組に据え置いてはくれなかった。 バブルに翳りが見え始め 地価が暴落すると彼女の負債は増え、証書偽造による詐欺行為まで働くようになった。 1991年には詐欺罪で逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。 20年経った今 彼女の名前を聞くことは無くなり、 2兆円 をどのように返済するのか取り沙汰されることもなくなった。 融資した金融機関のいくつかは経営破綻し、または合併され、当時のことをよく知る人もいなくなってしまった。
以上