左上から小澤/ボストン響のマーラー全集ボックス、最初のフィリップスへのマーラー録音 (8番)、左下は最初のマーラー1番録音、右下はシャイー/コンセルトヘボウ管のマーラー全集ボックス。
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同時期に録音された2つのマーラー全集、小澤は1980~93年にかけて、シャイーは86~04年にかけて録音したものだ。 デジタル時代の録音だから飛び抜けて優秀な音質で聴ける。
全集に取りかかる前に 小澤/ボストン響はアナログ録音期 (77年と84年) に1番だけをグラモフォンに録音している (写真の黄色のレーベル)。「花の章」(84年?) 付きだが、私はこの部分は違和感を覚え、やはりマーラー自身が外してしまったように、「花の章」無しの方が楽しめると思った。 とはいえ 小澤指揮のそれは若々しい演奏で、好ましいと感じた。
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小澤がボストン響の常任に就任したのは、1973年。 当初の録音はフランス音楽を得意としていたミュンシュ/ボストン響のイメージを活用しようとしたのか、グラモフォンへラヴェル管弦楽全集など主にフランスものを録音していた (それは小澤ではなく、グラモフォン側の意向だった?)。
しかし 小澤は自伝 (日経・私の履歴書) でも書いていたが、フランス風の柔らかい音色から徐々にドイツ風の響きが出せるように 重々しい響きのオーケストラに変えていった。 それの成果が77年のマーラー1番録音だったのかもしれない。 しかし 私は86年小澤/ボストン響来日公演「ツァラトゥストラ/ブラームス1番」映像 LD を持っているが、ブラームスは面白い演奏には感じなかった。
後に小澤はブラームスの交響曲全集録音を完成させるが、それはサイトウ・キネン・オーケストラとだった。 プライドの高いボストン響に不満を感じさせまいとしたのか オランダの指揮者ハイティンクに頼んでブラームスの交響曲録音をしてもらったという記事を読んだことがある。
また80年頃、小澤/ボストン響はゼルキンとベートーヴェンのピアノ協奏曲全集録音をテラーク社で完成させ、その余力からか 5番 “運命 “ を録音したが、その後は続かなかった。 どちらもいい演奏だと思ったが、市場はピアノ協奏曲を受け入れたが交響曲は受け入れなかったのかも?
これらのことから、小澤/ボストン響によるドイツもののブラームス/ベートーヴェンの交響曲はウマが合わなかったのかもしれない。 しかしマーラーは合ったのだろう、全集録音にこぎつけたのだから。 多くの CD・レコード会社が競合するマーラー全集録音のなかで、全集を完成させるには余程の市場性がないとできないだろう。
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ちなみに ハイティンクは常任を務めていたコンセルトヘボウ管とアナログ録音によるマーラー全集を完成させた後、デジタル時代にベルリン・フィルと2度目の全集録音に取りかかるが、6番あたりで止まってしまい 完成には至らなかった (どちらもフィリップス)。 これほどマーラー全集録音は簡単にはいかない。 アンドレ・プレヴィンも録音をしたいと CD・レコード会社に希望したことがあるらしいが、承認を得られなかったという。 プレヴィンのドイツもの? 私も う~ん … ですね (けれど テラーク録音のブラームス4番はまともでした)。
逆に完成させたくても、また CD・レコード会社が乗り気だったにも関わらず 完成できなかったのが、カラヤン/ベルリン・フィルによるマーラー全集です。 4~6番/9番/”大地の歌” の5曲だけを録音しましたが、他は録音できませんでした。 カラヤンがマーラーの魅力に気づくのが遅すぎたのでしょう。 カラヤン自身も完成は無理だろうといっていました。 彼ら黄金コンビによる全集が残っていたら、他の全集はかなりセールスに影響があったでしょうね。
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フィリップスは80年に小澤/ボストン響による最初のマーラー録音となる8番を録音、(このセールスが良かったのでしょうか?) それから86年に2番を録音、87年に10年ぶりとなる1番 (4楽章コーダで金管に少し問題あり?) と4番、以降 93年にかけて全曲を録音、足かけ14年かかっています。 また 解説には6番製作が日本フォノグラムとあり、日本側が製作費を出したのかも知れません (他は親会社のユニバーサル)。
この全集は録音会場が同じでも、生録とそうでないものと半々位の割合です。 大体 1988~89年以降から生録になっています。 (1989年というと これとは無関係でしょうが冷戦が終結した年です) 段々と録音コストが上昇していって クラシック録音は録音のためだけにアーチストに演奏させるのは厳しくなっていったのかも知れません。 ライヴならば 練習時からテープを回しっ放しにしておき、生演奏時も録音し、後でベスト演奏を選択すればいいのですから、コストは圧倒的に安いはずです。
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2番は録音会場のボストン・シンフォニー・ホール舞台後方のパイプオルガンを使っているのでしょう、オルガンを明確に聞き分けることができます。 これもいい演奏ですね。 CD を2枚たっぷりと使っていますが、他の番号曲の CD への割り付けを眺めると、どうも既存発売の CD をそのまま流用して、総枚数を減らすということはしなかったような割り付けですね。
それは CD 会社にしてみれば、1枚の CD への割り付けを工夫すれば総枚数を減らせなくもないのですが、それをしようとすると マスターのオリジナル音源の楽章毎の割り付けを変更しなくてはならず、その作業にかかる人件費が高いので、既発の CD 割り付けをそのまま流用したものと想像します。
CD 製造コストはベラボーに安く 人件費は高いので、多少枚数が増えようが 総製造コストには大きく影響しないのでしょうね。 シャイー/コンセルトヘボウ管のマーラー全集の CD 割り付けを見ると、こちらは既発 CD 割り付けを使わず 新たに CD 割り付けをしたことが分かります。
小澤盤14枚に対し、シャイー盤は12枚です__演奏時間は勿論同じでなく、フィルアップ曲があるかないか、また10番は小澤盤1楽章のみに対し シャイー盤全曲などの違いはあります (10番については ご存知のように、1楽章はマーラー自筆、他は編曲者による補筆です)。 そして小澤盤の購入価格は、シャイー盤の6割です。 枚数は小澤盤の方が多いんですけどね。
今後はこういう既存 CD の割り付けを流用した全集ものの発売が増えていくような気がします。 コストを上げずに全集にまとめて再発売し、個別買いよりも全集価格を下げるにはこれしかないでしょう。 小澤盤から CD 会社の裏事情が透けて見えてくるようですね。
以上
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同時期に録音された2つのマーラー全集、小澤は1980~93年にかけて、シャイーは86~04年にかけて録音したものだ。 デジタル時代の録音だから飛び抜けて優秀な音質で聴ける。
全集に取りかかる前に 小澤/ボストン響はアナログ録音期 (77年と84年) に1番だけをグラモフォンに録音している (写真の黄色のレーベル)。「花の章」(84年?) 付きだが、私はこの部分は違和感を覚え、やはりマーラー自身が外してしまったように、「花の章」無しの方が楽しめると思った。 とはいえ 小澤指揮のそれは若々しい演奏で、好ましいと感じた。
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小澤がボストン響の常任に就任したのは、1973年。 当初の録音はフランス音楽を得意としていたミュンシュ/ボストン響のイメージを活用しようとしたのか、グラモフォンへラヴェル管弦楽全集など主にフランスものを録音していた (それは小澤ではなく、グラモフォン側の意向だった?)。
しかし 小澤は自伝 (日経・私の履歴書) でも書いていたが、フランス風の柔らかい音色から徐々にドイツ風の響きが出せるように 重々しい響きのオーケストラに変えていった。 それの成果が77年のマーラー1番録音だったのかもしれない。 しかし 私は86年小澤/ボストン響来日公演「ツァラトゥストラ/ブラームス1番」映像 LD を持っているが、ブラームスは面白い演奏には感じなかった。
後に小澤はブラームスの交響曲全集録音を完成させるが、それはサイトウ・キネン・オーケストラとだった。 プライドの高いボストン響に不満を感じさせまいとしたのか オランダの指揮者ハイティンクに頼んでブラームスの交響曲録音をしてもらったという記事を読んだことがある。
また80年頃、小澤/ボストン響はゼルキンとベートーヴェンのピアノ協奏曲全集録音をテラーク社で完成させ、その余力からか 5番 “運命 “ を録音したが、その後は続かなかった。 どちらもいい演奏だと思ったが、市場はピアノ協奏曲を受け入れたが交響曲は受け入れなかったのかも?
これらのことから、小澤/ボストン響によるドイツもののブラームス/ベートーヴェンの交響曲はウマが合わなかったのかもしれない。 しかしマーラーは合ったのだろう、全集録音にこぎつけたのだから。 多くの CD・レコード会社が競合するマーラー全集録音のなかで、全集を完成させるには余程の市場性がないとできないだろう。
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ちなみに ハイティンクは常任を務めていたコンセルトヘボウ管とアナログ録音によるマーラー全集を完成させた後、デジタル時代にベルリン・フィルと2度目の全集録音に取りかかるが、6番あたりで止まってしまい 完成には至らなかった (どちらもフィリップス)。 これほどマーラー全集録音は簡単にはいかない。 アンドレ・プレヴィンも録音をしたいと CD・レコード会社に希望したことがあるらしいが、承認を得られなかったという。 プレヴィンのドイツもの? 私も う~ん … ですね (けれど テラーク録音のブラームス4番はまともでした)。
逆に完成させたくても、また CD・レコード会社が乗り気だったにも関わらず 完成できなかったのが、カラヤン/ベルリン・フィルによるマーラー全集です。 4~6番/9番/”大地の歌” の5曲だけを録音しましたが、他は録音できませんでした。 カラヤンがマーラーの魅力に気づくのが遅すぎたのでしょう。 カラヤン自身も完成は無理だろうといっていました。 彼ら黄金コンビによる全集が残っていたら、他の全集はかなりセールスに影響があったでしょうね。
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フィリップスは80年に小澤/ボストン響による最初のマーラー録音となる8番を録音、(このセールスが良かったのでしょうか?) それから86年に2番を録音、87年に10年ぶりとなる1番 (4楽章コーダで金管に少し問題あり?) と4番、以降 93年にかけて全曲を録音、足かけ14年かかっています。 また 解説には6番製作が日本フォノグラムとあり、日本側が製作費を出したのかも知れません (他は親会社のユニバーサル)。
この全集は録音会場が同じでも、生録とそうでないものと半々位の割合です。 大体 1988~89年以降から生録になっています。 (1989年というと これとは無関係でしょうが冷戦が終結した年です) 段々と録音コストが上昇していって クラシック録音は録音のためだけにアーチストに演奏させるのは厳しくなっていったのかも知れません。 ライヴならば 練習時からテープを回しっ放しにしておき、生演奏時も録音し、後でベスト演奏を選択すればいいのですから、コストは圧倒的に安いはずです。
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2番は録音会場のボストン・シンフォニー・ホール舞台後方のパイプオルガンを使っているのでしょう、オルガンを明確に聞き分けることができます。 これもいい演奏ですね。 CD を2枚たっぷりと使っていますが、他の番号曲の CD への割り付けを眺めると、どうも既存発売の CD をそのまま流用して、総枚数を減らすということはしなかったような割り付けですね。
それは CD 会社にしてみれば、1枚の CD への割り付けを工夫すれば総枚数を減らせなくもないのですが、それをしようとすると マスターのオリジナル音源の楽章毎の割り付けを変更しなくてはならず、その作業にかかる人件費が高いので、既発の CD 割り付けをそのまま流用したものと想像します。
CD 製造コストはベラボーに安く 人件費は高いので、多少枚数が増えようが 総製造コストには大きく影響しないのでしょうね。 シャイー/コンセルトヘボウ管のマーラー全集の CD 割り付けを見ると、こちらは既発 CD 割り付けを使わず 新たに CD 割り付けをしたことが分かります。
小澤盤14枚に対し、シャイー盤は12枚です__演奏時間は勿論同じでなく、フィルアップ曲があるかないか、また10番は小澤盤1楽章のみに対し シャイー盤全曲などの違いはあります (10番については ご存知のように、1楽章はマーラー自筆、他は編曲者による補筆です)。 そして小澤盤の購入価格は、シャイー盤の6割です。 枚数は小澤盤の方が多いんですけどね。
今後はこういう既存 CD の割り付けを流用した全集ものの発売が増えていくような気がします。 コストを上げずに全集にまとめて再発売し、個別買いよりも全集価格を下げるにはこれしかないでしょう。 小澤盤から CD 会社の裏事情が透けて見えてくるようですね。
以上