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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

トップ・オブ・ザ・ワールド

2013年01月30日 | 音楽界よもやま話
中央下の写真は中年となったリチャードの家族たちによるコンサートの様子。
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昨夜の「カーペンターズ・スーパースターの栄光と孤独」番組を見て、自分の若かりし頃と重なって、懐かしく感じました。

当時は私も同じ20代、米国出張の折り75年 ラスヴェガスでのディナーショウでも彼らのコンサートを楽しんだ記憶があります。 丁度 日本ツアーの後だったのでしょうか、日本語をカタコト挿んでいました。 回りの米国人もこちらを見て微笑み、私も “ベリーグッドジャパニーズ” と答えたものです。
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Wikipedia から … 世界的なヒットに恵まれるが、コンサートツアーの過酷さや過度のプレッシャー等から、兄リチャードがクオルード依存症となり1979年から約2年間、活動を停止する。 妹のカレンが、Billboard 誌に ”Richard’s chubby sister (リチャードのぽっちゃりした妹)” と書かれたことにショックを受けたのがきっかけで 摂食障害を患ったといわれている。 75年 ラスベガスのコンサートで “Top of the World” を歌っている最中に倒れたことから、後に予定されていた UK と Japan ツアーがキャンセルされてしまった。 79年にリチャードはカンザス州のリハビリ施設で依存症からの回復を試みる。 

その間 カレンはカーペンターズ時代のイメージとは違う大人向けのディスコ調の曲でソロ活動を始めるが、リチャードやレコード会社からの反応が悪く、96年までお蔵入りとなる。 兄の回復と共にカーペンターズとして活動を再開する。 82年 カレンは拒食症を改善するために NY の有名なセラピスト スティーブン・レベンクロンからセラピーを受け始め、カリフォルニア州に戻り 離婚の最終段階の準備を始める。 カレンは1週間で 5kg も体重が戻ることになるが、そのために心臓に負荷がかかりすぎてしまい 83年2月4日 両親の家で急性心不全により32歳の若さで急逝。
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彼らの活躍したのは70年代前半でしょうね。 後半は過労が重なったのか、治療などで引っ込んでしまい、80年代初めにカレンが拒食症で亡くなったと聞いて驚きました。 それ以後は、当然新アルバムは殆ど発売されなくなり、残った「とり溜め録音」が少しずつリリースされているようです。

彼らの曲は 全てスローテンポで、カレンが歌って リチャードはバックコーラスとピアノで参加していました。 カレンはドラムをやりながら歌いたかったようですが、観客から見えないという理由でドラムは諦めたようです。 歌の内容も、身振りも過激なところはなく、衣装も控えめで、癒し系の曲ばかりでした。 伴奏の木管楽器のオーボエが、郷愁というか懐かしさを醸し出していましたね。

番組の中でリチャードが「74年にはコンサートが年 200回に達し、作曲どころではなかった」といってましたが、3日のうち2日もコンサートをやっているようでは、体を酷使して消耗しているようなものです。

その後 リチャードは睡眠薬の治療をし、カレンは拒食症となりますが、思うに 彼らには有能なマネージャーがいなかったように推理します。 コンサートの管理/作曲や録音時間の確保/レコード会社やプロモーター マスコミとの交渉など、マネージすべきことは幾らでもあります。

そうやって、ステイタスを維持しつつ、長期間に渡って優秀な曲を作曲/録音させ、コンサートも成功させる__これは片手間にはできません。 群がるプロモーターは人気のあるうちに稼ごうとコンサートのスケジュールを目一杯組もうとするでしょう。 20代で人気の頂点に立ったはいいが、その後のことまでは頭が回らないのも無理はありません。 今はああすれば良かった、こうすれば良かったと気付いているのでしょう。 そのうち CD アルバムを買って聞き直しましょう。

今日はここまでです。

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