シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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ベー全集評価は第5出だしで決まり? (2)

2023年03月14日 | 楽聖様は偉大です
上左は バーンスタイン VPO。 中央がセル CO の箱のデザインで、その右が1~2番・3番。 下左から4番・5番・6番・7番・8~9番のオリジナル・ジャケ。
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バーンスタイン VPO の交響曲全集は、全てライヴ録音で、ハイライトは第9です。 第5の出だしは意外と大人しくて、これが あの第5?と少し拍子抜けしました。

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の交響曲全集 (10枚 CD ボックス) を聴いてみたら、全てがオリジナル・ジャケ仕様で、なかなか趣き (おもむき) がありました。 ジャケの紙の作りが LP のと同じで、第9+8は二つ折りの見開きです。 箱も4~5cm の厚みがあり、LP 10枚ものの箱と同じ位あります。

デザイン的には6番が “農民の婚礼の踊り“ の絵 (P. ブリューゲル画)・7番が “星月夜“ (ゴッホ画) で現代にも通じますが、他はかなり野暮ったいです。 第5は絵・写真はなく字だけで、デザイナーのセンス (の無さ) を感じます。

録音が1957~1964年とバラけていて、50年代録音の『英雄』(1957) と7番 (1959) などの音質は時代を感じさせます。 録音品質が良くなるのは概ね60年以降です。 ジャケにはステレオ番号とモノ番号が併記され、“STEREORAMA“ なる時代がかったロゴもあります __ これがステレオ盤だと宣伝したかった初期 LP ものらしいですね。

それで肝心の “第5出だし“ はというと、期待通りの迫力で、これもいいと思いました。
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後日追加 __ 指揮者 徳岡直樹氏「第5としては、あんまりお勧めしないです」(運命との運命的な出会い・聞いてきたレコード・CD・演奏ザッと紹介!  2023/04/14公開 https://www.youtube.com/watch?v=B9HKuN850QA)
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けれど 第9の第4楽章のコーラスはほんの少しビリつくのを感じました。 61年録音ですが、当時の硬質の LP を再現したような錯覚を覚えます (EPIC という CBS のマイナーレーベルで、高音質テープを使えなかった? そんな事は … 録音技師の腕が良くなかったのでしょうか?)。

59年録音のワルター コロンビア響によるベー全集 (CBS) の音質は良かったですから、益々上記の懸念が強くなってしまいます。

セルの第1番~9番を通じて感じたのは、程よい緊張感があって、キビキビしたいい演奏だと思います。 けれど 同時期録音のカラヤン BPO の全集もののような “触れば切れそうな“ 緊張感と高音質には届かないようです (この時期あたりから30年務めた カラヤン担当の DG のトンマイスター ヘルマンスが最初から優秀だったのかも)。

面白いと思ったのは、解説書にある「2人の副指揮者 (ロバート・ショウとルイス・レーン) を囲むジョージ・セル」の写真を見て 3人にヘルメットを被せると、“米軍の将軍と若い2人の兵隊“ のように思えた事でした。

レーンはこの CD ボックスの1枚「プロメテウスの創造物」全曲を指揮しています。 ショウは最初 合唱指揮者として知られ、後にアトランタ響の指揮者に就任しました。

蛇足ですが ロバート・ショウ Robert Shaw は、同姓同名の英俳優がいます。 007映画『ロシアより愛を込めて』で 列車内で主人公と死闘する殺し屋役を演じています。 一般的には彼の方が有名で、指揮者 ロバート・ショウの方は検索して見つけるのが骨でした。
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ウィキペディアから __ ジョージ・セル (1897~1970) は、ハンガリーのブダペストに生まれ、アメリカ合衆国クリーヴランドに没した指揮者、ピアニスト。 幼くしてピアノ演奏に才能を示し、「神童」と呼ばれた。 3歳からウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲を学んだ。 10歳半でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番と自作を弾いてピアニストとして、次いで16歳でウィーン響を指揮して指揮者としてもデビューする。 1917年ごろからストラスブールの歌劇場をはじめドイツ各地の歌劇場でキャリアを積んだ。 1924年には ベルリン国立歌劇場で第1指揮者を務め、その後プラハのドイツ歌劇場音楽総監督に就任した。

1946年 クリーヴランド管の常任指揮者に就任、楽団の改革に大なたを振るう。 程なく全米の「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる第一級のオーケストラのひとつとして高い評価を得るに至った。 厳しい練習により、端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を構築し、ドイツ圏で暮らした彼にとってドイツ系レパートリーは自家薬籠中のものである。 1970年 73歳没。
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今日はここまでです。

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