
左から 加藤剛、浅利慶太。
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演劇界の大物 2人が相次いでなくなりました。
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「加藤剛さん死去、80歳 “大岡越前” “砂の器” で活躍した昭和の名優」(7月9日 HUFFPOST)
「加藤剛さん死去 80歳 時代劇 “大岡越前”、映画 “砂の器” など出演」(7月9日 スポニチ)
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加藤剛 (1938〜2018) 出演ものでは、「戦争と人間」(1970)「忍ぶ川」(1972)「忍ぶ糸」(1973)「砂の器」(1974)「夜叉ヶ池」(1979) や、「蒼き狼 成吉思汗の生涯」(1980 テレビ朝日)「関ヶ原」(1981 TBS) など 主に70年代の映画を観ました。
はっきりと鼻筋が通る風貌だったので、恋愛物など (忍ぶ川・忍ぶ糸) では “いい男” を演じ、ハマっていると感じました。 しかし アクション歴史物 (蒼き狼・関ヶ原) では、知的な感じではあるが 豪快さに欠けるようで、向いてなかったように思います。
ただ 真面目な性格・面構えから、『大岡越前』は当たっていたようですね。 30年もの間 大岡忠相 役を続けたのですから、多くの人に受けたのでしょう。 しかし 私はテレビを見ないので、観たことはありません。
死去報道記事にある冒頭の3つの写真を眺めると、壮年の風貌から中年・老年へと顔が変わり、夢を売るのが俳優の商売とはいえ、老年のげっそりと痩せた顔・細った首などを見ると、ツライものがありますね。
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そして もう1人、こちらは俳優ではなく、おもて舞台などには出てこない演出の浅利慶太です。 どの写真を見ても “品のいいおじいちゃん” といった感じですね。
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「政財界とも結びつき深く … 故・浅利慶太さんの “功と罪” 」(7月20日 日刊ゲンダイ)
「巨星墜つ、『劇団四季』浅利慶太が死去」(7月25日 ビジネス・ジャーナル ※1)
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1970年代 池袋サンシャイン劇場で上演された『ジーザス・クライスト・スーパースター』を途中まで観た記憶があります。 なぜ途中までなのか __ それは、音楽にうんざりして それ以上聴くのに耐えられなくて会場を出てきてしまったからです。
英作曲家 アンドリュー・ロイド・ウェバーによる音楽でしたが、彼の初期の頃のものと思われ、私にはあまり親しめない曲でした。 確か 音楽関係のお店かどこかでもらった無料券だったはずで、無料券が配られているくらいだから 一般人気も大してなかったのでしょう。
その後 1980年代にウェバーが作曲した「キャッツ」のロングラン公演を成功させ、劇団四季の出世作になりました。 丁度その頃 新宿にある会社に通っていましたが、新宿高層ビル群の空き地に大きなテント小屋を置いて、「キャッツ」の目玉模様をテント壁に描いていたのがあったのを記憶しています。 しかし これは観ませんでした。
テレビで見た『ミュージカル 李香蘭』はそれなりによかったですね。
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ウィキペディアから __『ミュージカル 李香蘭』は、国際女優・山口淑子の半生に焦点をあてたミュージカル作品。 史実を基にしているがフィクションである。 浅利慶太の演出により劇団四季が断続的に上演している。 原作は山口淑子と藤原作弥の共著による『李香蘭 私の半生』。 劇団四季の昭和三部作と呼ばれる作品群の一つ (残り二作は『ミュージカル異国の丘』と『ミュージカル南十字星』)。
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記事※1ではこうも書いてあります __ 演劇界での多大な功績の裏には … 絶大な権力でトップ俳優を「干す」、どんな演技指導でも逆らえない。 こういう面もあったようです。
1983年 専用劇場を構えた「キャッツ」によって、劇団四季を安定した経営の演劇集団として成功させ、ミュージカル文化を根付かせたのは1人 浅利慶太の功績でしょう。 しかし そうして何十年も四季のトップに座っていると、どうしても “長期政権の弊害” が出てくるのはやむを得ないところです。
周囲は独裁者の顔色を伺うようになり、独裁者は他人の意見を聞かなくなります。 部下との議論はなくなり、命令だけが伝わるようになります。 これは どんな組織にも当てはまりますから、同じ人がトップを続けている集団というものは、そういう宿命を持っているものと私は認識しています。
今日はここまでです。
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演劇界の大物 2人が相次いでなくなりました。
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「加藤剛さん死去、80歳 “大岡越前” “砂の器” で活躍した昭和の名優」(7月9日 HUFFPOST)
「加藤剛さん死去 80歳 時代劇 “大岡越前”、映画 “砂の器” など出演」(7月9日 スポニチ)
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加藤剛 (1938〜2018) 出演ものでは、「戦争と人間」(1970)「忍ぶ川」(1972)「忍ぶ糸」(1973)「砂の器」(1974)「夜叉ヶ池」(1979) や、「蒼き狼 成吉思汗の生涯」(1980 テレビ朝日)「関ヶ原」(1981 TBS) など 主に70年代の映画を観ました。
はっきりと鼻筋が通る風貌だったので、恋愛物など (忍ぶ川・忍ぶ糸) では “いい男” を演じ、ハマっていると感じました。 しかし アクション歴史物 (蒼き狼・関ヶ原) では、知的な感じではあるが 豪快さに欠けるようで、向いてなかったように思います。
ただ 真面目な性格・面構えから、『大岡越前』は当たっていたようですね。 30年もの間 大岡忠相 役を続けたのですから、多くの人に受けたのでしょう。 しかし 私はテレビを見ないので、観たことはありません。
死去報道記事にある冒頭の3つの写真を眺めると、壮年の風貌から中年・老年へと顔が変わり、夢を売るのが俳優の商売とはいえ、老年のげっそりと痩せた顔・細った首などを見ると、ツライものがありますね。
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そして もう1人、こちらは俳優ではなく、おもて舞台などには出てこない演出の浅利慶太です。 どの写真を見ても “品のいいおじいちゃん” といった感じですね。
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「政財界とも結びつき深く … 故・浅利慶太さんの “功と罪” 」(7月20日 日刊ゲンダイ)
「巨星墜つ、『劇団四季』浅利慶太が死去」(7月25日 ビジネス・ジャーナル ※1)
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1970年代 池袋サンシャイン劇場で上演された『ジーザス・クライスト・スーパースター』を途中まで観た記憶があります。 なぜ途中までなのか __ それは、音楽にうんざりして それ以上聴くのに耐えられなくて会場を出てきてしまったからです。
英作曲家 アンドリュー・ロイド・ウェバーによる音楽でしたが、彼の初期の頃のものと思われ、私にはあまり親しめない曲でした。 確か 音楽関係のお店かどこかでもらった無料券だったはずで、無料券が配られているくらいだから 一般人気も大してなかったのでしょう。
その後 1980年代にウェバーが作曲した「キャッツ」のロングラン公演を成功させ、劇団四季の出世作になりました。 丁度その頃 新宿にある会社に通っていましたが、新宿高層ビル群の空き地に大きなテント小屋を置いて、「キャッツ」の目玉模様をテント壁に描いていたのがあったのを記憶しています。 しかし これは観ませんでした。
テレビで見た『ミュージカル 李香蘭』はそれなりによかったですね。
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ウィキペディアから __『ミュージカル 李香蘭』は、国際女優・山口淑子の半生に焦点をあてたミュージカル作品。 史実を基にしているがフィクションである。 浅利慶太の演出により劇団四季が断続的に上演している。 原作は山口淑子と藤原作弥の共著による『李香蘭 私の半生』。 劇団四季の昭和三部作と呼ばれる作品群の一つ (残り二作は『ミュージカル異国の丘』と『ミュージカル南十字星』)。
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記事※1ではこうも書いてあります __ 演劇界での多大な功績の裏には … 絶大な権力でトップ俳優を「干す」、どんな演技指導でも逆らえない。 こういう面もあったようです。
1983年 専用劇場を構えた「キャッツ」によって、劇団四季を安定した経営の演劇集団として成功させ、ミュージカル文化を根付かせたのは1人 浅利慶太の功績でしょう。 しかし そうして何十年も四季のトップに座っていると、どうしても “長期政権の弊害” が出てくるのはやむを得ないところです。
周囲は独裁者の顔色を伺うようになり、独裁者は他人の意見を聞かなくなります。 部下との議論はなくなり、命令だけが伝わるようになります。 これは どんな組織にも当てはまりますから、同じ人がトップを続けている集団というものは、そういう宿命を持っているものと私は認識しています。
今日はここまでです。