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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『死の淵を見た男』<運命を背負った男 ~大声をあげて泣いた~> ※66回目の紹介

2016-06-01 22:28:39 | 【吉田昌郎と福島第一原発の500日】

 *『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。66回目の紹介

『死の淵を見た男』著者 門田隆将

「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」

それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)

吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。

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**『死の淵を見た男』著書の紹介

第22章 運命を背負った男

 大声をあげて泣いた P341~


(前回の続き)

「すごく苦労したんだというのは、ひと目でわかりました。驚いたのは、その時の恰好です。結構派手なパジャマというか、ジャージみたいな、ピエロが着るようなものを着て帰ってきたんです。なんでも、除染のために来ていた物は捨ててくるので、その代わりに古いみたいなものを来てたようです。こっちは生きて帰ってきてくれたのでそれだけでうれしくて涙がでましたけど・・・」

 夫に許されたのは、わずか「2泊」だけだった。冷却が進んでいたとはいえ、指揮官である所長がそれ以上、現場を離れるわけにはいかなかったのだ。

 帰宅翌日、洋子が、大声をあげてなく場面があった。夫が、「自殺したのではないか」と、思ってしまう出来事があったのである。
「翌日、主人が何かを机の上にそろえて、”ここにあるからね”って言って、ふらっといなくなったんです。主人が出かけたあと、机のところにいってみたら、財布とか預金通等とか携帯電話とかが、みんなきれいにおいてあるんですよ。それを見て、まさか、と思ってしまったんです。だって、預金通帳まで揃えておいておくなんて、変じゃないですか。それで急に心配でたまらなくなって、ひょっとして・・・と、変なことを考えてしまったんです。私、静岡が実家なんですけど、そこのあねに、”どうしたらいいんだろう”って電話したんです。そうしたら姉は、主人のことを、ちゃんと把握してますので、”吉田さんはそういう人じゃないから大丈夫よ”って言ってくれたので、なんとか、気を取り直そうとしたんですけど、それでも心配でたまらなくて・・・」

 夫は、あれだけの経験をして、しかも、部下の中で、2人の若い命を失わせてしまっている。その地獄のような現場から離れた時に、ふと気が緩むことがあってもおかしくない。そう思うと、洋子の胸で不安がたまらなく膨らんでいってしまったのだ。

「私の中で不安がどうしようもなく大きくなってしまって・・。それから1時間ぐらい経ったでしょうか。ドアが、ギイーって開いて、”ただいまあ”って、何事もなかったように帰ってきたんですよ。私は、言葉がなくなっちゃって、その瞬間、主人にしがみついて、わーんって泣いちゃったんです。たいがい、わーんって、声を出して泣くことってないです。大人になってから、あんなに泣いた経験って、ちょっとなかったです」

 驚いたのは、吉田である。

「どうしたの?」

 吉田はこの時、お金を少しだけポケットに突っ込んで散髪に行っていた。放射能がつきやすいのは髪の毛なので、なるべく短く刈ってこようと思ったのである。

「主人は大きいですから、「わたしは、銅のあたりにしがみついて泣いていましたが、向こうは、意味がわからなくて、呑気な顔して、”どうしたの?”って言っているから、理由を言って、”いなくなっちゃうつもりだったの?”というようなことを聞いたんです。”そんなことするわけがないじゃない”って言っていました。私は、主人が自分の責任を果たして、亡くなったんじゃないかと、ふっと思ってしまったんですね。それが無事戻ってきたことで、プツンってなっちゃったんですよ」

  (次回は「第22章 運命を背負った男 緊対室に巻き起こった万雷の拍手」)

※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、

2016/6/2(木)22:00に投稿予定です。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日


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