*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。14回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介
会社は78年5月に設立され、2008年度の売上高は7億6300万円にのぼる。この”村営企業”を、取材班は訪ねてみることにした。
鳥取県倉吉市の市街地から車で約30分。他にこれといった観光名所もなく、すれ違う車もまばらだ。ただ、”国の研究施設”があるせいなのか、道路の幅は十分で整備が行き届く。「動燃の事業所ができてから、完全舗装された道路や大きな建物が建つようになった」(地元住民)というのは事実のようだ。
路肩を厚く雪に覆われた山道を人形峠に向けて上った先に、「人形原産」はあった。脇に寄せられた雪が肩の高さまで積もる敷地内に、もとは観光客向けのレストハウスだったという三角形の屋根をした社屋がある。そのすぐ隣には、JAEA人形峠環境技術センターがあった。
事務所を尋ねると、事務職と思われる中年の女性職員が3人いるだけ。
普段、部外者が突然訪ねてくることなどめったにないのだろう。取材班の問いかけに、戸惑った様子で、
「責任者が外出していてわからない」
と答えるばかりだった。事務所の奥には、人1人がやっと入れるような小さなスペースがあり、そこが「責任者」の執務室のようだ。
敷地に隣接した入場無料の展示館「アトムサイエンス館」にも足を運んでみたが、受付には誰もおらず、館内には観覧者の姿もない。
原子力関係の”勉強”ができる映像コーナーがあったが、その機器の多くは「調整中」の張り紙があり、作動していない。奥には大きなプラネタリウムのような展示機器もあり、設備自体は人里離れた山奥とは思えないほど豪華なものだった。
しばらく中をうろついていると、ようやく若い女性係員が一人、展示場に出てきた。傘立てや花壇にさりげなく茶色いレンガが使われていたので「もしや」と思って聞いてみると、やはり、ウラン残土で作ったレンガだという。第一章で取り上げた、あの人形峠で作られたレンガである。引き受け手のないものを、自らの関連施設で使っているのだろう。
※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、1/26(月)22:00に投稿予定です。