*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」を複数回に分け紹介します。1回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査」の紹介
◎「まずい、まずい」と動燃OBを狼狽させた極秘資料
資料を見た瞬間、落ち着いた物腰だった動燃OBの顔がみるみる紅潮し、狼狽の色に染まった。
「あれれぇ!この資料、どっから? いや、まいったな。たしかに私が作成したものだが、ヤバいよ、これは。わかるでしょう!」
動燃OBは完全に動揺していた。頭に手を当てて何度も天井を仰ぎ、しきりに「まずい、まずい」「あちゃ~」と繰り返したー。
動燃OBがこれほど慌てふためいたのは、「西村ファイル」の中でもひときわ目を引く「方面地区住民資料」と題された、A3用紙6枚分にわたる手書きの極秘資料だ。
そこには、動燃が地元住民に対して、詳細な素行調査や思想チェックを行った驚くべき「工作」の記録の数々が残されていた。
作成者は、岡山県の動燃・人形峠事業所(現・JAEA人形峠環境技術センター)の総務課長などを歴任したX氏(73)。作成日は「1989年5月22日」だが、ファクス送信時の送り状は「1991年12月25日」となっている。当時、動燃本社で総務部文書課長として問題を担当した西村氏に送られたものだ。
そこには、こんな但し書きが添えられていた。
<目的は「住民工作」「健康相談」に資するため>
<外部へ出すのは今回が初めてなので西村課長扱いとして下さい>
「工作」というキナ臭い言葉からもわかるとおり、これは動燃が絶対に公表できない、門外不出の極秘文書だ。その詳細に入る前に、簡単に当時の状況を振り返っておこう。
※続き「第1章 ウランの里「人形峠」で行われた戦慄の住民思想調査 」は、12/3(水)22:00に投稿予定です。
・・・舞台となったのは、山陰地方と山陽地方を隔てるように横断する中国山地の奥地、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠だ。日本における原子力産業の黎明期である55年、国内で初めて原発の燃料となる天然ウランの鉱床が発見され、翌年から採掘がはじまった。
・・・動燃側の調査は、世帯主だけでなくその家族関係にまで及んでいた。多く世帯で、家族の勤務先や家庭事情まで徹底的に洗われ、その情報が ”共有”されていた。