*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」を数回に分け紹介します。10回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」」の紹介
前回の話:科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 ※9回目の紹介
◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」
さて、ここまで見てきたような資料を「教材」として冊子に掲載していた「未萌会」とは、どんな集団だったのだろうか。
86年5月に発行された「未萌」第一号は、会の原点ともいえる重要な一冊だ。そこには、発足の経緯についてこう書かれている。
<昭和60年(85年)3月1日、動燃の明日を憂える面々が箱根に会し、「長期的な展望と確かな現状把握を通じ、意識を統一した連帯と広い視野をもったたゆまぬ研鑽に努めるとともに、外部に対し我々の考え方の浸透と理解を得るための時機を得た周到な活動を行う」ために同志の会を結成した>
メーカーなどからの出向者が多い動燃にあって、会員はプロパー職員に限定していたらしいことは、こんな記述からわかる。
<組織のために生命をかける仲間が団結しなければ発展しない。動燃に集まったプロパー職員の我々が未萌会という場に集い、切磋琢磨し、明日の動燃を切り開く行動を外に向かって起こすことが今重要である>
冊子では発足から1年間の活動の成果が、満足げに語られていた。
<原子力委員、科技庁幹部等と未萌会メンバーが中心となった懇談の場が多数持たれており、会にとっても有意義な情報が入手できている>
冊子には「未萌会」という謎めいた名前の由来も書かれていた。中国の前漢時代に編幕された書物『戦国策』の中にある、「愚者闇於成事、智者見於未萌」という逸話からとったのだという。
<これを現代風に解釈すると、愚者は社会的評価がすでになされていることすらも認めようとしないが、これに対して智者は社会のニーズが未だ起こらない前にそのきざしを察知して、未だ誰も気がつかない前にその未来を見て手を打つ、ということになる>
<千見力こそ時代を切り開く原動力であり未来を正しく予測してそれにそなえることこそ我々の目指すところである>
愚者=一般大衆、智者=動燃と置き換えて読むと、エリート特権意識に凝り固まった彼らの思考パターンが浮かび上がってくる。
自らを一般人より優れた「智者」と信じて、社会のニーズの未だ起こらない「核燃料サイクル」を推進する。それを認められない「愚者」に、情報を公開する必要はない・・・「未萌会」という名前一つ取っても、このような意識がにじみ出ているのではないだろうか。
ちなみに、「未萌会」の初期の代表幹事を務めたのは、第二章でも登場した”ミスタープルトニウム”こと菊池三郎氏だった。
※続き「科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 」の紹介は、10/8(水)21:00予定です。
<第4章 科学技術庁が指示したNHKへの「やらせ抗議」 紹介予定>
◎投稿、電話によるNHKへの「対抗手段」を指示
◎「料金不払いも」 やらせ例文の過激な中身
◎あまりに露骨な科技庁の「反対派つぶし」文書
◎反原発作家の広瀬隆氏を「徹底監視」
◎謎の組織「電事連」の脅威の情報収集能力
◎広報チャート図でわかった「世論操作」の手法
◎「未萌会」の由来に見える「エリート意識」 ※現在、紹介中です
◎見学者が反原発派とわかり”大パニック”に