*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、
「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」
を複数回に分け紹介します。2回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)
前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※1回目の紹介
◎家族にも言えぬ裏の”秘密業務”
1946年生まれの西村氏は、中央大学法学部政治学科を卒業して69年に動燃に就職。政治に興味を持つ明るい青年だった。本棚には、歴代総理大臣の伝記本がびっしりと並んでいたという。
入社から数年後、同じフロアの厚生課に勤めていた1学年上のトシ子さんと20代半ばで社内結婚した。トシ子さんがこう振り返る。
「夫はとにかく社交的で人当たりがよく、後輩にも頼られていたから、仲人を頼まれることも多かったんです。動燃に勤めずに、どこかで営業の仕事をした方が良い成績を残したのではないかと思うくらい。何度か他の会社の人に『うちに来ないか』と誘われたこともあるらしい。いま思えば、その時によそへ移っていれば、死なずにすんだのかもしれません」
主に文書課や秘書課、労務課など事務畑を歩み、茨城県東海村の東海事務所での勤務や、原子力関連団体である日本分析センターへの出向、福井県にある新型転換炉「ふげん」(現在は廃炉)の労務課長などを経験。在米日本大使館にも赴任した。90年には本社総務部文書課長、亡くなる前年の95年には総務部次長と、順調に出世の階段を上っていった。
70年代後半、電力会社から動燃に出向して西村氏と同じ職場に配属された友人がこう語る。
「動燃プロパー職員は電力会社社員と違って”反官僚的”というか、堅苦しくないところがある。西村君も快活な性格で、飲む、打つ、買うと何でもできた。歌もうまくて、カラオケでロス・インディオスの『コモエスタ赤坂』を熱唱していたのが印象に残っています。頭がよくキレ者でもあり、仕事も素晴らしかった。総務部にいったのは、そういう性格が買われたんじゃないか」
非常に社交的な性格だったという西村氏だが、一方で別の側面もあった。
「夫が長くいた文書課では、(当時の)科学技術庁や通商産業省など、国に提出する文書作成の責任者でした。文書の文言から句読点まで、相当細かく気にしていた。そんな経歴もあって、幹部が出席する会合に同席し、メモや議事録の作成も重要な仕事でした」(トシ子さん)
その西村氏が残していた資料が、冒頭の膨大なファイルの数々だった。これら「西村ファイル」の資料を見ていても、西村氏が非常に几帳面できまじめだったということがよくわかる。
ファイルは仕事のテーマや時系列ごとに分類され、バラバラにならないよう、細かくホチキスでとじられていた。ノート類はびっしりと細かい文字で埋まり、会議の出席者や発言者、その時の時刻などが逐一、克明に書き込まれている。「取扱注意」や「厳秘」などの印が押された重要資料から、何でもないような雑なメモ書きやファクスまで残っていることから、仕事で作成・入手したほぼすべての資料を捨てずに保存していたと思われる。
<村松の晴嵐 太田の落雁 山寺の晩鐘・・・>
西村氏が愛用してた手帳の冒頭には、動燃東海事業所がある茨城県の名所「水戸八景」が、毎年、決まって同じ場所にメモされていた。はるばる東海村を訪ねてくる客人に観光名所を説明するための「あんちょこ」だったのだろうか。誰からも慕われる社交的な性格は、地道な努力によって成り立っていたことがわかる。
手帳のスケジュール部分には、その日会った人物とのやりとりなどが小さな字でびっしりと書き込まれ、アドレス帳部分には知人の連絡先のほか、東京や東海村などの飲食店も大量にリストアップされていた。仕事上の接待などに使っていた店なのだろう。時折、連れていった人物の名前や好みの女性までもメモされている。
※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、10/16(木)22:00の投稿予定です。