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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~アメ玉の限界~> ※13回目の紹介

2016-07-04 22:24:22 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。13回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

アメ玉の限界

(前回からの続き)

用地買収交渉が今後進めば、地権者と地権者以外の住民の間で、補償金をめぐって新たな確執が生じる可能性がある。

「道路1本隔てての問題は、いずれ出てくるだろう。今でも避難先の集会所などで中間貯蔵施設の話になると、グループでひそひそ話になる。ある地権者はこう言っていた。『地権者はもちろんのこと、地権者でない同じ町民が納得しなければ、私は(同意書に)はんこを押すことはないし、そのような条件を付けている」と。地権者以外の町民の理解が得られなければ、この問題はいつまでも尾を引くことになる。町民の理解を得るためには、中間貯蔵施設の問題だけでなく、福島第一原発でメルトダウンを起こして溶け落ちた燃料デブリや地下の汚染水の処理を含めた廃炉工程を、国が明確に示すことが必要不可欠だ」。

 大熊、双葉町に建設される中間貯蔵施設とは別に、隣の富岡町には「指定廃棄物」の最終処分場が造られる予定だ。指定廃棄物とは、1キログラムあたり8000ベクレル超の放射性廃棄物を指す。1キログラム当たり10万ベクレル超の超高濃度の放射性廃棄物は中間貯蔵施設に保管し、8000ベクレル超10万ベクレル以下の放射性廃棄物は富岡町の施設に保管されることになる。

 中間貯蔵施設の放射性廃棄物は30年後、福島県外に造られる最終処分場に搬出される予定だが、富岡町の施設は一時的な保管施設ではなく、最終処分場となる。

 国は当初、東京電力福島第二原発から約3キロメートル西にある民間の管理型処分場「フクシマエコテッククリーンセンター」を、最終処分場として使用する計画だった。2013年12月、当時の石原伸晃環境大臣が富岡町に対して、計画の受け入れを要請したが、地元の反発は中間貯蔵施設のそれと同じかそれ以上に根強かった。

 ※「アメ玉の限界」は次回に続く

2016/7/5(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~アメ玉の限界~> ※12回目の紹介

2016-06-30 22:14:59 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。12回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

アメ玉の限界

 交渉が進まない背景には、最終処分場の問題もある。

「環境省は元の土地に造成して30年後に返すと説明している。でも、他の場所に移すのは現実的に考えてありえないとみんなも思っている。30年たってやっぱり駄目でした、最終処分場はできませんでしたので再契約をしてくださいというのでは納得がいかない。そうではなく、今きちんとした話をしてもらいたいと地権者は思っている。アメでもなめて我慢してくださいというのが今の状態。子供だましではなく、嘘をついてごまかさないでほしい。すべてをはっきり明確にしないから、キツネにつままれたような状態にあり、そんな煙みたいな話ではとても交渉は進まない」とSさんは言う。

 だが、そう割り切って話を進められない事情もわかる。Sさんにとっても、人生を懸けて建てた、家族との思い出がたくさん詰まった家を失うことは、もちろんつらい。つらいの一言で言い表せるものではない。それ以上に、先祖代々の土地を守ることに強い使命感を持っている住民のことを考えると、切なくなる。

「狭い仮設住宅に仏壇を置いて、毎日欠かさずご先祖様にお祈りをしているおじいちゃん。『早く帰りたい』と言って、毎日拝んでいるおばあちゃん。そんな人の前で、『もう帰れないんだよ』とは、口が裂けても言えない。『帰るのにあと数十年かかるんだよ』とも、とても言えない」。

 先祖代々の土地を自ら手放すことができない人、理屈では仕方がないことと思いながらも、ふるさとを失うことにやりきれなさを抱いている人、理屈ではなく、東京など他の地域の犠牲になることに憤りを感じている人。町民の思いは様々だ。

「双葉町は将来的に”放射性物質のごみ置き場”になってしまう。これも仕方ないと思ってはいる。まるで”第二の沖縄”みたいになってしまうなという感じだ」

 ※「アメ玉の限界」は次回に続く

2016/7/4(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※11回目の紹介

2016-06-29 22:18:03 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。11回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

(前回からの続き)  

 Sさん自身、中間貯蔵施設の建設はやむを得ないと考えている。「福島県内外の人の生活の安心のことを考えると、中間貯蔵施設はどうしたって必要不可欠。そう考えている町民も多いと思う」という。

「町のみんながダメだとは思っていない。町民も他の市町村に避難してお世話になっているわけだし、福島県内のみんなが困っているから、双葉町に中間貯蔵施設を造るのはしょうがないと思っている。でも、双葉町民と大熊町民が納得しないせいで建設が進まないと思われていて、町民が悪者扱いされているようでとてもつらい」

 実際には、建設が進まないのは地権者が了承しないからではないようだ。大熊、双葉町の両町が中間貯蔵施設の建設を了承した後、環境省は建設予定地の地権者との交渉を即座に始めた。だが、用地買収の交渉はいっこうに進んでいない。

 一部の地権者によると、建設了承の直後、環境省の関係者が1回訪れて挨拶をしたきり、その後1年たっても全く環境省から音沙汰がないという。条件も示さず、金額の提示にも至っていない。地権者の間では「国は何をやっているんだ。土地を買い上げなければ何も始まっていない。地権者の間では「国は何をやっているんだ。土地を買い上げなければ何も始まらないのに、本当に交渉する気があるのだろうか。もう中間貯蔵を造らない気なのだろうか」と首をかしげている状況だ。(略)

 ※次回は「アメ玉の限界」

2016/6/30(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※10回目の紹介

2016-06-28 22:03:10 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。10回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

(前回からの続き)  

 建設予定地の地権者は公共用地の取得制度に基づいた補償を受けられる。だが、国道6号線の道路1本を隔てた敷地外の土地で暮らしていた住民は、補償を受けられない。目の前に高濃度の放射性廃棄物が保管された施設が造られ、安心して暮らせない、事実上帰れないに等しいという点では建設予定地の地権者と同じなのに、道路1本で扱いは全く異なる。それはあまりにも理不尽だという意見が多く聞かれた。

「私の家は国道6号線から西側に300メートルほど入ったところにある。果たして、私の土地、建物、近い将来に民間不動産で売買ができるでしょうか。私はできないと思っています。隣に中間貯蔵施設、6号線は放射線量の高い廃棄物を1日に数千台運ぶ、そういうメイン道路になる、誰がこんな場所に好きこのんで土地を買ってくれて引っ越してくるのか。そうなると、40年先の原発の廃炉まで私たちの土地、建物の資産価値というのはゼロということになる。どうしたら良いのか。教えてください」

「私も熊川を境にして、その中に入らない組だ。大熊町全世帯の住民、双葉町全世帯の住民、全部の世帯の人たちに賠償してください。施設の外にいる人たちにも全世帯、全住民に賠償してください」

 双葉町のSさんの自宅は、中間貯蔵施設の建設地から約300メートル離れたところにある。2階建ての家に、手入れの行き届いた庭木が並ぶ広い庭。双葉郡の温暖な気候に会う南洋系の植物も育ち、彩りを添えていた。庭木の手入れをするのがいつも楽しみだった。

 原発関係の仕事をしていたSさんは、福島第一原発のメルトダウンを知り、「もううちには戻れないな」と悟った。郡山市の借り上げ住宅で約3年間暮らした後、2014年、郡山市に新居を購入した。閑静な住宅街にある新居だが、庭先には除染で出た放射性物質の汚染度が爪れれたフレコンが埋まっている。Sさんの家だけでなく、周辺のそこここの家の庭先にフレコンがあり、日々の暮らしの中でフレコンから目を背けることはできない。

 そうしたフレコンを見るにつけ、Sさんはプレッシャーを感じている。

「このフレコン、いつ持っていくんだろう、早くどこかへ持っていてほしい。双葉町の人たちが中間貯蔵施設の交渉で了解しないから、フレオンはいまだにここに置かれているんだ。双葉の人はいったい何をやっているんだ。あの人たちのせいだ。みんな陰ではそう言っているんだろうなと思う」

 ※「オリンピックと福島県」は、次回に続く

2016/6/29(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※9回目の紹介

2016-06-27 22:32:21 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。9回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

(前回からの続き)  最終処分場ではなく、あくまでも中間貯蔵施設であるという位置づけについても、住民は納得しなかった。国は「30年以内に福島県外に最終処分場を造り、中間貯蔵施設に保管した放射性廃棄物はすべて搬出する。中間貯蔵施設の敷地は元の状態に造成し直して地権者に返還する。きちんと法制化もする。中間貯蔵施設には福島県内で出た放射性廃棄物のみを保管し、福島県外のものはけっして持ち込まない」と説明した。だが、それがいかに現実性に乏しい話であるかは、住民も重々承知していた。

「双葉町に中間貯蔵施設ができたならば、これは最終処分になっちゃうんです。最終処分場に。そんな掘り起こして県外に持ってってなんてできないと思いますよ」

「30年後に福島県外に持っていきますなんて、どこが受け入れるんですか。結局は持っていくところがなくて、ここに置きましょうってなるに決まってるんですよ。そのとき、30年後、必ず法律の改正をしないで施行しますなんて保障はどこにもありません。そうでしょう。誰が保障するんですか。あなた方の一人一人の誰かが保障するんですか。答えてみろ。指定廃棄物だって、持ってくとこなければ、結局ここにくるんじゃないですか。違うんですか。福島県内のものしか受け入れませんて、今は言ってますよ、今はね、今は。しかし、時間は流れます。人も変わります。そしたら、考え方も変わるんです。30年もたったら。誰が保障するんですか。国は責任持ってやりますと言うが、その国が一番信用できないんですよ」

 もう一つ大きく懸念されたのが、中間貯蔵施設の建設地から外れた住民の扱いだ。

 「オリンピックと福島県」は、次回に続く

2016/6/28(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※8回目の紹介

2016-06-23 22:11:41 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。8回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

(前回からの続き) 汚染水問題と並行して大きな課題となっていたのが、中間貯蔵施設問題だ。建設候補地の大熊、双葉、樽葉町の3町ではボーリング調査が行われていた。建設受け入れの是非をめぐって、住民は先行きの見えない状況に立たされていた。中間貯蔵施設ではなく、最終処分場になってしまうのではないか。そうなると、もう一生ふるさとにはもどれない。東京に電気を送り続け、原発事故で避難生活を余儀なくされ、今度はふるさとをごみ捨て場として提供する。東京のためにまた犠牲になる。なぜ福島ばかりが犠牲にならなければならないのか。2014年5~6月、国が主催した中間貯蔵施設の住民説明会では、そんな住民のやり切れない思いが爆発した。

「なぜ恩恵を受けてきた東京が、何も知らないでオリンピックに浮かれて、私たちがその思いまで受け止めなければならないのか。東京に造ればいいでしょう。東京湾とか埋め立てて、そういうことがなぜできないんですか。すべてを福島で受け入れるなんて無理ですよ、そんなの」

「最終処分場はどこに造るのか。最終処分場を造る場所を選定して、それから中間貯蔵施設を造らせてくださいというのが当たり前じゃないのか。我々のふるさとをどうしてくれるのか。いいですか。新潟や福島で造った電気は、埼玉や東京や神奈川でみんな使っているんでしょう、そこに処分場を造ったらどうなんですか。安全安心だって言った原発を、東京に造ったらどうなんですか。安全だって言ったんだ。絶対に」

「オリンピックと福島県」は、次回に続く

2016/6/27(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※7回目の紹介

2016-06-22 22:23:51 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。7回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した頃、福島県では何が起こっていたか。招致活動を振り返るVTRが連日テレビで流され、半世紀ぶりのオリンピック開催の決定の喜びに沸く東京をよそに、福島県では東京電力福島第一原発の汚染水問題が深刻化していた。

 2013年4月、貯水槽にためられていた汚染水が土壌に染み出していることがわかった。これを機に、東京電力は貯水槽ではなく、タンクに汚染水を貯蔵する方針に切り替えた。だが、短期間に突貫工事で大量製造されたタンクの密閉性は十分ではなく、タンクの継ぎ目から汚染水が漏えいするアクシデントが相次いだ。汚染水そのものが、原発構内の排水路を通じて直接海洋流出したこともあった。度重なる汚染水問題の発生に、地元の不安はピークに達していた。

 地元にとって汚染水問題は、単なる環境問題ではない。『水の管理さえ満足にできないのに、溶け落ちた燃料デブリが眠る原子炉を安全な状態に持っていくことなどできるのか」。「やっぱり福島第一原発には近づけない。きっとまた何かが起こる」。やがて自宅近くの放射線量が下がったら、再び自宅に戻って暮らすことを考えていた住民にとって、汚染水問題は「やっぱりもう帰ることはできない」というあきらめに心を傾かせていく大きなきっかけになった。

 そんな頃、東日本大震災からの復興を開催意義の一つとしてアピールしたオリンピック招致活動は、福島県民にどのように映ったか。もちろん、快く思わなかった人も多い。特に安部晋三首相がオリンピック招致のプレゼンテーションで行った「福島第一原発はアンダーコントロール」発言には批判が集中した。地元の新聞の投稿欄には、オリンピックの開催に批判的な意見がたびたび載った。「福島県は東京オリンピックの踏み台にされた」そんな風に感じている人もいた。

「オリンピックと福島県」は、次回に続く

2016/6/23(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~触れない話題~> ※6回目の紹介

2016-06-21 22:19:32 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。6回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

触れない話題

 郡山市の住宅街にあるヨーロッパ風の色調でまとめられたカフェには、穏やかでゆっくりと過ごす時間を求めて多くの客がやってくる。原発事故後、オープンしたこのカフェは、母親同士がおしゃべりを楽しむ憩いの場にもなっている。

 カフェを営む佐山由佳さん(53歳)は、オープンキッチンでケーキを焼きながら、客が笑顔で食事を楽しんでいるかどうか目を配る。「原発事故の直後は余震が頻繁にあって、外出してゆっくり食事を楽しむこともできなかった。今は落ち着いたけれど。ここにいる時はほっとしてもらえれば」。

 店内で客同士、そして時に佐山さんも加わって交わされる会話は、ごく普通の日常の話題だ。

 子供に何を食べさせるのか。福島県産のものを食べさせる、食べさせない。放射性物質検査をしているから大丈夫だ、大丈夫でない。

「こだわるところが人によって全然違う。人によっては福島県産のものは絶対食べない、買わないという人もいる」という。

 だが、意識や考え方の差だけが、意見の対立を生み出しているわけではないようだ。

「人によって経済状況が違うので、こだわるところが違うというものもある」

 スーパーに並ぶ食材は、産地によって値段が違う。値段が高くても九州産や四国産など福島から遠く離れた地域のものを選ぶのか、値段の安い福島県産や近県産のものを選ぶのか。

「中には、スーパーでもなるべく買わず、取り寄せをする人もいる」という。だが、カフェの客から、使用している食材が福島県産のものかどうか聞かれたことは一度もない。」

「気にする人は、そもそも外食しない。食べる人は割り切っている。そんなこといろいろ考えると、何も食べられなくなってしまうしね」

(中略)

 原発事故当時、小学6年生だった子供は今、高校生だ。それほど厳しく外遊びを制限したつもりはなかったが、それでも、成長期の子供への影響は大きく、筋力が落ちてしまった。

 子供だったら誰もがする当たり前の遊びができなかった。道路の側溝は放射線量が高いため、子供はみんな、道路の端っこは歩かないよう注意されていた。側溝の水たまりに石をポチャンと落とす遊びも原発事故後、できなかった。草も触るなと言われ、落ち葉をかき集めてヒラヒラとまき散らすこともできなかった。砂場遊びもできなかった。当たり前のことができない。

 子供が将来、福島県外で暮らすようになった時、どういうことを言われるのだろうかと考えることがある。「『福島?』とまゆをひそめて言われることがあるかもしれない。『子供を残してはいけない』と言われもするかもしれない。広島や長崎の人たちが受けた苦しみを、福島も背負うことになるかもしれない。でも、福島で育ったことを伏せてほしくない。(略)

※次回は「オリンピックと福島県」

2016/6/22(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~帰れない人、帰らない人~> ※5回目の紹介

2016-06-20 22:09:31 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。5回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

帰れない人、帰らない人

 帰還するのか、移住するのか。70代、80代の年金生活の多くは住み慣れた土地への帰還を望んでおり、避難指示が解除されるのを持っている。何十年も続けてきた生活スタイルを急に帰るのは難しく、都市部での慣れない仮設住宅での暮らしを息苦しく感じている人が多い。

 だが、60代以下の人たちは、帰還と移住のはざまで揺れている。賠償金は一生支給されるわけではない。帰還して生活が成り立つのか。サラリーマンの場合、勤務先が休業、廃業しているケースが多い。自営業者の場合、顧客が避難先から戻らなければ、商売は成り立たない。帰還して生活の手段をどのようにして見つけるのか。国も自治体もその青写真を示せていない。

 帰還後の生活設計のめどが立たないまま、避難生活が長引き、都市部での生活の便利さが身に染みて、移住の決断をする被災者も多い。買い物や病院など、車を走らせなければならなかった施設が徒歩圏内にあり、24時間営業のコンビニエンスストアがすぐ近くにある。一度便利なくらしに慣れてしまうと、元の生活に戻るには、かなりのインセンティブが必要になる。

 帰還しない最大の理由とされているのは放射線量の問題だ。特に高校生以下の子供がいる世帯の多くは、子供への放射線の影響を心配して帰還しない家庭が多い。

(中略)

「8人兄弟のうち、4番目の姉、85歳、8番目の弟、69歳。2人が狭い仮設住宅で暮らしています。弟さんが家のことを仕切って、なんでもこなしています。お姉さんは手を出すと怒られるからと、ほとんどベッドの中にいて、テレビを見ています。若いころは東京に住んでいて、東京大空襲を経験されているそうです。あのときは爆弾が空から降ってきたが、今はもっと恐ろしいものが降ってきて、人生の中では今が一番いやだと・・・(略)

※次回は「触れない話題」

2016/6/21(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~見えない境界線~> ※4回目の紹介

2016-06-16 22:29:06 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。4回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

見えない境界線

 夜の森の咲く桜並木を隔てるバリケードは、放射線量の高い区域への進入を防ぐ物理的な意味合いだけでなく、住民の間に心理的な境界線を引いている。バリケードの先は帰還困難区域に指定されている。

 帰還困難区域とは、年間の積算放射線量が50ミリシーベルト超と極めて高く、原発事故後、少なくとも5年間は帰れない地域とされている。帰還困難区域に通じる道はバリケードなどで封鎖され、原則立ち入り禁止となっている。住民が一時帰宅する際も、マスクを放射線防護服を着用しなければならない。物を持ち出す場合も、放射線量の測定検査を受けなければならない。福島県内7市町村の一部が帰還困難区域に指定されており、福島第一原発が立地する大熊町と双葉町は、町内ほぼ全域が帰還困難区域となっている。

 一方、バリケードの手前側は居住制限区域と呼ばれるエリアだ。年間の積算放射線量は帰還困難区域ほどではないものの、20ミリ~50ミリシーベルトと高く、日中の立ち入りはできるが、夜間の宿泊は原則できない。帰還困難区域は長らく住民の帰還は難しいとされているが、居住制限区域については原則、住民が帰還することを政府は前提にしている。だが、原発事故後4年がたっても、何年後に住民が再び戻って生活できるようになるのか、めどはついていない。

 さらにバリケードから数キロメートル離れると、避難指示解除準備区域というエリアが広がる。年間の積算放射線量は20ミリシーベルト以下だが、居住制限区域と同様、日中の立ち入りはできるものの、夜間の宿泊は原則できない。このエリアでは優先して除染が行われており、避難指示解除に向けて準備が進んでいる。

 避難指示解除準備区域では、日中のみ、ガソリンスタンドやコンビニなどの商店の営業が認められている。除染や復旧工事の車両が行き交い、自宅の管理のため一時帰宅する住民が家の軒先で家事にいそしむ姿が時折見られるエリアもある。

 だが、ほとんどのエリアはひっそりと静まりかえり、文字通り「無人の町」と化している。(略)

※次回は「帰れない人、帰らない人」

2016/6/20(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~バリケードの先に咲く桜~> ※3回目の紹介

2016-06-13 22:09:46 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。3回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

バリケードの先に咲く桜

(前回からの続き)「毎年夜のライトアップがきれいで、家族で見に行っていた。原発事故後、初めて見たけど、ちょっと花が小さくなったかな。でも、桜は春を忘れないで咲くんですね。心が落ち着きました」

 大谷礼子さん(55歳)はバスからの束の間の花見を終え、そう語った。自宅は富岡町の居住制限区域にあり、現在は娘と2人で福島県内の仮設住宅で暮らしている。夫は福島第一原発で働いており、いわき市で単身生活している。「今は富岡を思いながら、近所の桜を見ています」

 桜並木の沿道には中学校や食堂、理容室などの商店や住宅が立ち並ぶ。原発事故後、原発から20キロメートルの県内の警戒区域となり、2013年3月25日から日中の立ち入りはできるようになったが、夜間の宿泊はできない。原発事故から3年がたち、商店や住宅は荒廃が進んでいる。伸び放題になった草木、ひびが入った窓ガラス、ところどころに置かれた除染で出た土などを入れる土嚢袋ー。3年前から時が止まったままだ。住民は、福島県内の仮設住宅や県内外の借り上げ住宅などでの避難生活を余儀なくされている。

 田中幸代さん(69歳)は原発事故前、桜並木の近所に住んでいた。現在は、いわき市の仮設住宅で家族と避難生活を送っている。

 この春、原発事故後初めて、夜の森の桜を見に行った。

「亡くなったお父さんに桜を見せたかった。だから『おじいちゃん、桜とってきたよ』って、写真を引き伸ばして仏前に飾ったんです」

 自宅は半壊だが、雨漏りしてカビも生えており、「帰りたくてももう帰れない」と思っている。義父は大熊町出身で、富岡町で長く暮らし、2013年11月、肺を患って亡くなった。89歳だった。旧国鉄に勤め、線路管理の仕事をしていた。健康なのが自慢で、原発事故前は入院することもなかった。

「義父は夜の森の自宅に帰りたいと、いつもいつも言っていた。『帰れなくても、せめて富岡に近いところに住みたい。仮設住宅では死にたくない』とずっと言っていた。原発事故さえなければ、もっと長生きできたのに。まさかこんなことになるとは思わなかった」

 義父の最後の言葉は「(富岡の)うちを頼むな」だったという。
 

※次回は「見えない境界線」を紹介します。

2016/6/16(木)22:00に投稿予定です。

==『リンゴが腐るまで』著書の目次==

第1章 オフサイトで起きていること

バリケードの先に咲く桜

見えない境界線

原発被災者と津波被災者

住宅バブル

「被災者、帰れ」

賠償金の罪

パチンコ、アルコール依存症の真偽

帰れない人、帰らない人

おじいちゃんの米

触れない話題

オリンピックと福島県

アメ玉の限界


第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

電源立地地域対策交付金

協力企業

一次下請け企業

孫請け会社

原発技術者


第3章 復興が進まないワケ

放射線と避難者

避難者は戻れるのか

たまるフレコン

第二の沖縄

三流官庁

病める自治体

官庁不在

リンゴが腐るまで

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~バリケードの先に咲く桜~> ※2回目の紹介

2016-06-09 22:20:38 | 【除染が続く福島での悲劇】

 *『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。2回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

バリケードの先に咲く桜

 2014年4月。

 東京電力福島第一原子力発電所から約7キロメートルにある福島県富岡町の夜の森公園のある夜の森公園のある夜の森地区には、今年も約2000本の桜が咲き乱れた。約2.5キロメートルの道路の両脇に数百本の桜が植えられた桜並木通りは東北地方一の桜のトンネルと言われ、開花時期には毎年福島県内外から多くの花見客が訪れていた。夜の森地区のある富岡町は東京電力福島第一原発事故後、高放射線量のため全町避難が続く。無人となったこの町でも、桜は春を忘れることなく咲き誇っていた。

 だが、この桜をみられるのは約2.5キロメートルのうち約300メートルの区間だけだ。それ以外の区間は高放射線量のため、立ち入り禁止になっている。立ち入り禁止の境界線にはバリケードが設けられ、警察官が常時パトロールをしている。立ち入りできる区間も居住することはできず、かつてにぎわっていた桜並木脇の商店街は無人の町と化し、荒廃が進んでいる。

 それでも、夜の森の桜を懐かしみ、「あの桜を一目みたい」と、花見に訪れる人が後を絶たない。立ち入り禁止区域ほどではないものの、桜並木通り周辺の放射線量は高く、花は車内で観覧するよう注意喚起する立て看板が沿道のあちこちに置かれていた。

 満開となった4月12日、大型の観光バス数台が桜並木にやってきた。福島県内外のの避難先で開花を待ちわびていた富岡町民らにひと目桜を楽しんでもらおうと、富岡町が企画した花見ツアーバスだ。バスはゆっくりと速度を落としながら桜のトンネルの下を通過していった。町民らはバスの車窓から思い思いに桜を眺めていた。隣の乗客と笑顔で話ししながら眺める人、窓に手を触れながら目に焼き付けるように眺める人。

 様々な思いが交錯する中、バスは停車することなくこの場を後にした。下車が許されず、車窓からの風景のみのひとときに、町民らは何を思ったのだろうか。

※続き「第1章 オフサイトで起きていること」バリケードの先に咲く桜 は、

2016/6/13(月)22:00に投稿予定です。

==『リンゴが腐るまで』著書の目次==

第1章 オフサイトで起きていること

バリケードの先に咲く桜

見えない境界線

原発被災者と津波被災者

住宅バブル

「被災者、帰れ」

賠償金の罪

パチンコ、アルコール依存症の真偽

帰れない人、帰らない人

おじいちゃんの米

触れない話題

オリンピックと福島県

アメ玉の限界


第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

電源立地地域対策交付金

協力企業

一次下請け企業

孫請け会社

原発技術者


第3章 復興が進まないワケ

放射線と避難者

避難者は戻れるのか

たまるフレコン

第二の沖縄

三流官庁

病める自治体

官庁不在

リンゴが腐るまで

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~まえがき~> ※1回目の紹介

2016-06-08 22:36:20 | 【除染が続く福島での悲劇】

 *『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。1回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

まえがき

 どこかで見たような光景でした。

 福島県いわき市の郊外にある住宅団地の一角に建てられた、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の被災者が暮らす仮設住宅。集会所には何人かの被災者が集まっておしゃべりをして過ごしています。料理教室や体操、以後、編み物など催しやお茶会なども頻繁に開かれ、たくさんお被災者でにぎわうこともあります。しかし、

「来る人はいつも決まっている。来ない人は来ないどうやってもダメなんだよねえ」

仮設住宅の自治会長は、仮設住宅にずっと引きこもったままの被災者のことをおもんばかって肩を落としました。

 2013年4月から約2年間、私は福島県内に駐在して、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の被災者を取材しました。そこで目にしたものは、その約10年前、2014年の新潟県中越地震の被災地の取材で見聞きしたことと酷似していました。

 同じことが繰り返されていました。

 お年寄りの孤独氏。アルコール依存症。家庭の崩壊。国などから受けられる補助金の額がことなることによって生じる地域住民間の不和。帰る、帰らないの問題。災害の規模も性質も異なるのに、起きている現象と問題の構造は、中越地震のそれとほとんど変わらないものでした。

 新潟県中越地震の後、日本では各地で大きな災害があり、多くの被災者が仮設住宅などで避難生活を送りました。行政はその経験を蓄積してきたはずです。にもかかわらず、この10年で被災者が陥る境遇とたどることになる過程はちっともかわっていません。そのことはショックでした。被災者が2度、3度と殺されていくのを見ているようで、やり切れませんでした。本書はそんな思いから筆を執ったものです。(略)

※次回は第1章 オフサイトで起きていること」

2016/6/9(木)22:00に投稿予定です。

==『リンゴが腐るまで』著書の目次==

第1章 オフサイトで起きていること

バリケードの先に咲く桜

見えない境界線

原発被災者と津波被災者

住宅バブル

「被災者、帰れ」

賠償金の罪

パチンコ、アルコール依存症の真偽

帰れない人、帰らない人

おじいちゃんの米

触れない話題

オリンピックと福島県

アメ玉の限界


第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

電源立地地域対策交付金

協力企業

一次下請け企業

孫請け会社

原発技術者


第3章 復興が進まないワケ

放射線と避難者

避難者は戻れるのか

たまるフレコン

第二の沖縄

三流官庁

病める自治体

官庁不在

リンゴが腐るまで

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)