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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~原発技術者~> ※28回目の紹介

2016-08-01 22:00:00 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。28回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

原発技術者

(前回からの続き) 

「国の除染はお粗末なやり方だった。田んぼはゼオライトをまいて終了。放射線量計を買って自分で調べてみたら、かなり高いところがあった。再除染するべきだと繰り返し要望したが、受け入れられなかった。避難先では孫と一緒に暮らしていたが、自宅に帰ってくれば砂遊びはするし、目を離した隙に放射線量の高いところにも行ってしまうだろうから、とても連れて帰れない」

 特に心配されるのが山林の汚染だ。農業用水は川から引いており、引用水はほとんどが山からの引き水を使っている。だが、国は山林除染を実施しない方針だ。農業、生活に使用する水の源泉である山林が除染されていないのに、川下の地でその水を使って作物を栽培し、生活を営む。「山の汚染が水に染み出てくる。将来的に不安だ。国や県は安全だというが、根拠にしているデータというのは果たして本当なのか。どこで測っているデータなのかはわからない」。

 不信感は東電に対しても募るばかりだ。汚染水問題など、事実の公表のあり方に疑問を感じている。原発から約20キロメートルの地域で暮らす住民にとっては、事故収束の状況は生活に直結する。だが、放射線量など、東電の公表データの信憑性を疑ってしまうという。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/8/2(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~原発技術者~> ※27回目の紹介

2016-07-28 22:00:00 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。27回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

原発技術者

(前回からの続き) 

「原発事故前は縫製関係の会社が3、4社あって、女性はそこで働いていた。でも原発事故後、休業している。共働きは職場が近くないと、子育てしながら働きに出られない。勤めはダメ、農業もダメ、米プラス年金だったら生活できるが、原発事故でそのスタイルが崩れてしまった。結果、現在この地区は若い人はゼロ。一番若い人で60歳前後。これから何をやったら生計を立てていけるのか、みんな悩んでいる状態だ」

 雇用の場を奪われたうえ、農業収入も見込めない。政府に押し切られた形で避難指示解除になり、毎月10万円の精神的賠償もやがて打ち切られる。「年金生活者はよいが、今の状況で打ち切りでは困る。生活が軌道に乗るまでめんどうを見てもらわないと。原発事故がなければ生計を立てられていたのだから」。

 生活の手段をどこに求めるのか。

 結果、除染の仕事に従事する人が多いという。だが、「除染は勧められる仕事ではない。放射線量は原発と一緒だ。うちの会社の線量の上限は、年間15ミリシーベルトだった。政府は避難指示解除の説明会で、考えられないようなことを言った。

『普通の生活で年間20ミリシーベルトまでなら大丈夫だ』と。そんなばかなことはない。その上、緊急時の原発作業従事者の上限を年間250ミリシーベルトに引き上げた。ばかげている。勝手に基準をコロコロ変えて、本当に安全な値が知りたい」。

 国が実施する除染についても、広田さんは不満を抱いている。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/8/1(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~原発技術者~> ※26回目の紹介

2016-07-27 22:00:00 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。26回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

原発技術者

(前回からの続き) 

 広田さんは1983年から原発で働いてきた。変圧関係の技術者として、日本全国、新潟、宮城県と各地で仕事をしてきた。広田さんの勤務先は東芝の下請け企業で、本社は福島県外にある。社長は地元の人で、従業員は5,6人のみだった。

 専業農家を営んでいたが子供を高校に通わせるため、毎月の現金収入が必要になり、農業より原発の仕事が主体になった。(中略)

 原発事故後は事故収束作業に携わり、2013年11月、65歳になったのを機に原発の仕事から退いた。農業と年金で老後の生活を送るつもりだったが、原発から約20キロメートルにある自宅は、原発事故から3年が過ぎても放射線量が高いままだった。2015年春の米の作付け再開をめぐって地区で話し合った結果、地区としては作付けしないことに決まった。「本当は作付けするつもりだったが、全国的に米価が下がって、卸売業者から『この地区の米はいらない』と言われた」。

 冬場の貴重な収入源だったシイタケの栽培もできなくなった。地域は全国有数の原木シイタケの産地だった。だが、その原木が放射性物質によって汚染され、使い物にならなくなった。「米は売れない、野菜はダメ、じゃあ何をやればいいのかという状態だ」。

 働く場所もない。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/7/28(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~孫請け会社~> ※25回目の紹介

2016-07-26 22:13:15 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。25回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

孫請け会社

(前回からの続き) 

 これから先どうなるか。避難指示の解除後、集落に戻ったのは高齢者ばかり。かつての生活バランスを取り戻せない限り、若い世代が戻ってくることは見込めない。それでも、「命ある限りここにいて頑張る」という。

 中井さんにとって、忘れられない出来事がある。1953年、自家発電が地域に初めてやってきた時のことだ。かやぶき屋根からコードでつるされた電球が、ピカッと光ってやってきた時の衝撃が忘れられない。当時、小学生だった。

 その後、自分が電力の仕事に関わり、原発で働くことになるとは全く想像がつかなかった。「福島第一、第二原発は、東京に電気を送るためのものだった。でも、東京の人はどこから電気が来るのかを知らない(略)


原発技術者

「1Fの応援に行ってくれないか」

 2011年4月、原発事故の発生から約3週間後、自宅が避難指示区域に指定され、長男の自宅で避難生活を送っていた広田春一さん(66歳)の元に、勤め先の会社の社長から1本の電話が入った。「電源復旧作業をする資格を持っている人がいないんだ。行ってくれないか」。

 家族の心配をよそに、広田さんは1Fに向かった。通い慣れたはずの1Fは、それまでと全くの別世界に変わっていた。広野長から全面マスクを着用し、防護服を着込んでの作業。建物の陰にいないと、たちまち放射線を浴びる。作業は1日2時間のみ。放射線量計の数が足りず、10人程度の1グループにつき1個が支給されるのが常だった。

 ※「第2章 原発と生計「原発技術者」」は、次回に続く

2016/7/27(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~孫請け会社~> ※24回目の紹介

2016-07-25 22:14:18 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。24回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

孫請け会社

(前回からの続き) 

 中井さんが暮らす田村市都路地区は福島第一原発から約20キロメートル西の山あいに位置する。大型のスーパーは市の中心部にあり、車で30~40分ほどかかる。

 多くの家は、農業を営みながら兼業で生計を立てている。中井さんの実家は農家で、養蚕と林業を兼業していた。「長男なのであとを継がなければと思って」、中学卒業後、家業を継いだ。農業に加え、生活の足しにするため、自営業で採石の販売を10年ほど行ったこともあった。生活は何とか成り立っていたが、3人の子供が高校に進学するにあたって、それまでの収入だけではやっていけなくなった。一番近い学校でも車で30分以上。バスは1日数本しかない。高校に通わせるとなると、やむを得ず下宿生活になる。

 農業の収入は年に一度、秋に一括して大きな収入があるが、不安定だ。教育費を工面するには、毎月の定期的な現金収入が欠かせない。長男の高校進学を機に、1988年から中井さんは原発で働くことにした。(中略)

 中井さんの家族も原発事故後、世帯分離を余儀なくされている。長男夫婦は柏崎市、次男夫婦は三春町、長女はいわき市で生活している。花が大好きで庭の手入れを欠かさず、自宅に戻るのを待ちわびていた妻は、避難指示が解除される直前、肺血栓で亡くなった。中井さんは避難指示解除後、自宅に戻り、1人で暮らしている。

「長男に帰ってこいとは言えない。帰ってきても仕事がないから。でも、家は誰が来ても泊まれるようにしたい。みんなで生活するための拠点として、自分の持ち山の木を切って造った大切な家だから」

 ※「第2章 原発と生計「孫請け会社」」は、次回に続く

2016/7/26(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~孫請け会社~> ※23回目の紹介

2016-07-21 22:11:26 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。23回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

孫請け会社

(前回からの続き) 

 中井さんは原発事故前、東電の元請の孫請けにあたる事務所を経営していた。自宅は田村市の避難指示解除準備区域にあり、約3年間の仮設住宅での生活後、避難指示が解除され、たむらしの自宅に戻った。

 2014年5月、かつての仕事仲間と共に除染の仕事を始めた。「事故収束のためには除染をやるしかないと思った。いくらかでも放射能を閉じ込めたい。なんぼでもきれいにしたいという、ただその思いで」。

 原発事故前、中井さんの事務所は従業員十数人で、原発の電動弁駆動部のバルブの管理業務を受注していた。原発の中枢部は壁の厚さが1メートル以上もあり、「原発がメルトダウンするなんてありえないと思っていた。どんな圧力がかかっても絶対ないと思っていた」という。

 東日本大震災の発生時、中井さんは大熊町の事務所にいた。その日のうちに田村市の自宅に戻ると、一見、自宅に地震の被害は見られなかった。「これぐらいの地震なら大丈夫だな」。原発のことは全く頭になかった。

 翌日、浜通りからの避難者で、自宅の近くを走る国道288号がたちまち渋滞した。「原発が危ない」。切迫して避難してきた人たちからそう言われても、「そんなことねえべ」と思っていた。「原発が爆発するなんて、思ってもみなかった」。

 ところが、テレビをつけて現実を見た。強固な壁で覆われていた1号機の原子炉建屋の屋根が吹き飛ばされていた。「とんでもないことが起こった」。絶対にありえないと信じていたメルトダウンが現実となった。その後、自宅のある地域は避難指示区域となり、3年間の仮設住宅暮らしが始まった。

 ※「第2章 原発と生計「孫請け会社」」は、次回に続く

2016/7/25(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※22回目の紹介

2016-07-20 22:20:08 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。22回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

(前回からの続き) 

 社長の谷川さんは2013年、創業者の父の跡を継いだ。大熊町に生まれ育ち、千葉県の大学を卒業した後、東京で3年間サラリーマン生活を経験し、Uターンした。会社は富岡町にあったが、結婚後、いわき市にアパートを借りて会社に通っていた。「創業者が長い間社長職に就いている会社には未来がない」という父の経営理念で、若くして社長の任を譲り受けた。跡を継ぐにあたって、「年齢的には他の選択肢もあったが、実際に経営に携わるようになって、今更投げ出せなくなった。むしろこれから迷うことが多いかもしれない」と語る。

 柏崎の事業所は、再稼働に向けた東電の働きかけもあって、2013年6月に再開した。だが、福島第一原発の廃炉が決まり、第二原発の運転再開も見込めない。今後、国の原発政策がどのようになるのか、先が見通せない中、経営の課題は山積みしている。最大の課題は人事の育成だ。メンテナンスの仕事は5年程度の経験が必要だ。原発事故後は毎年高卒、大卒を採用し、資格を持つ熟練の技術者に経験の浅い従業員を見習いでつかせ、技術を学ばせていた。新しいメンバーを育てるため、新卒の採用を検討しているが、長期的に現場勤めができる人材を確保できるかむずかしい。(略)

 孫請け会社

 2014年夏、郡山市。中井昭三さん(70歳)は郡山市発注の除染作業を行っていた。

「うわあ、こんなあ」。放射線量の測定結果を見て驚き、思わず声を上げそうになった。線量計は毎時15マイクロシーベルトを示している。除染作業中、「いやあ、ここは線量が高いなあ」とは絶対に言わないように指示されている。だが、近くには幼稚園があり、中井さんら作業員は夏場でも長袖にマスクをしながら作業しているというのに、子供たちは半袖で遊びまわっている。「子供達がかわいそうだとつくづく思った」。

 ※「第2章 原発と生計「孫請け会社」」は、次回に続く

2016/7/21(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※21回目の紹介

2016-07-19 22:20:36 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。21回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

(前回からの続き) 原発事故で業務は一変した。

 原発事故直後、従業員は避難所を転々とし、混乱の日々を送る中、元請け企業から仕事の発注があり、3月18日から事業を再開した。当時の社長と専務ともう一人の3人が真っ先に駆けつけ、当時の社長のいわき市の実家を事務所にして従業員をかき集めた。原発事故前は建物、設備のメンテナンスを行っていたが、原発事故後の発注依頼は汚染水タンクの水位計の取り付けや海水をくみ上げるモーターの点検、計装品の取り付けやメンテナンスだ。夜間24時間ライトを点灯し続けるため、ガソリンを給油する仕事もあった。

「以前とはだいぶ違う内容だが、できることなら何でもやっていこうという意欲でやっている」という。

 原発事故前にはなかったもう一つの業務が除染だ。事故後の福島第一原発の作業で被曝線量が高くなり、原発構内で働けなくなった従業員の仕事を確保するため、従業員と話し合い、除染の業務をはじめ、樽葉町の除染作業や除染前後のモニタリング業務を請け負っている。

 原発事故後、他の仕事がよいといって辞めた従業員もいる。だが、従業員の生活を考えると、元請けから発注のあった仕事を受けざるを得ないという。従業員の7割が40~60代で、年齢的に、再就職が難しく、新しい仕事をはじめるには厳しい現状がある。

「実際は食べていくための仕事。原発の仕事は就労手当も悪くない。転職してそれ以上もらえるかというと難しい。費用対効果を考えて残る人もいる」という。

 ※「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」は、次回に続く

2016/7/20(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~一次下請け企業~> ※20回目の紹介

2016-07-14 22:12:04 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。20回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

一次下請け企業

 いわき市の谷川洋平さんの会社は、東電の元請けの一次下請け企業として原発事故前から福島第一原発、第二原発、東京電力柏崎刈羽原発で作業を請け負ってきた。原発事故前は富岡町に本社を置き、各原発の近くに事業所を置いていた。建物のメンテナンスが主で、原発の定期検査時、設備の点検を行っていた。

 原発事故前の従業員は最多で30人という中で経営してきたが、原発事故後、従業員の3分の1が退職した。新潟県柏崎刈羽原発の事業所に地元雇用の従業員が4人いたが、柏崎刈羽原発の運転が停止され、東電からの仕事が途絶えたため、一時的に事業所を閉鎖した。地元雇用の従業員に対して、福島県内の事業所で働かないかと声をかけたが、理解が得られず、2人は退職した。

「福島県の人は地元のためにという意欲があるが、他県の人はなぜ日本で一番危険なところで働かなければならないのかという思いもあったようだ」と谷川さんは言う。

 福島県の事業所の従業員は、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、南相馬市に住んでいた。浜通り地方には東京電力広野火力発電所や東北電力原町火力発電所などがあり、火力発電所と原発の仕事を掛け持ちする人も多い。ほとんどの従業員が避難指示区域の住民で、原発事故後、多くはいわき市内の避難先から通っており、南相馬市原町区や茨城県から通勤している人もいるという。

 ※「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」は、次回に続く

2016/7/19(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※19回目の紹介

2016-07-13 22:25:31 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。19回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 その後、バスは双葉町側にある5、6号機にやってきた。こちらは海抜13メートルで、津波で浸水したものの、1~4号機に比べるとその影響はあまり見られない。線量は4マイクロシーベルトと、1~3号機付近と比べると2桁以上低い。車窓越しに6号機の非常用ディーゼル発電機が入っている建物が見えてきた。(中略)

 津波の影響だけでなく、地震による影響も構内で見て取れた。5,6号機の送電鉄塔は津波でなく地震で倒れた。鉄塔の脇にある盛り土部分が崩れ、鉄塔そのものが倒れてしまったのだ。その結果、5、6号機は外部電源を喪失した可能性がある。倒れた送電鉄塔はそのまま残されており、足元の土が大きくえぐられていた。

 バスは海抜35メートルの高台に戻ってきた。東日本大震災当日、構内にいた東電社員約750人の大半が働いていた事務本館は、地震の揺れで天井の化粧板が落ち、水素爆発で窓ガラスが割れて放射性物質が入り込み、現在も一部を除き使用できない。

 2007年の新潟県中越沖地震の教訓で、緊急時の対策室として使用するため、地震に強い設計で建てられた免震重要棟が設置された。福島第一原発の免震重要棟は東日本大震災の約半年前に完成し、現場の指揮はここで執られた。地上2階建て、地下の部分にはゴム等を利用した免震装置が入り、震度7クラスの地震でも十分耐えられる設計になっている発電機も備わり、震災時、パソコンなどの事務機器や通信系統を動かすのに十分な程度の電気を供給した。

 免震重要棟の脇には原発事故当時、原子炉の注水に使用した消防自動車が置かれていた。付近の線量は15マイクロシーベルト。

 バスは最後に、使用済み核燃料を保管する乾式キャスク置き場の脇を通った。原発事故前はグラウンドだった場所だ。使用済み燃料はいったんプールで水中保管され、発熱量が少なくなった後、キャスクと呼ばれる容器に入れて乾式保管する。キャスクはコンクリート製の倉庫に保管される。もともとグラウンドだった場所に、50基のキャスクを置くスペースを整備しているところだという。

 かつてグラウンドや林だった場所は使用済み燃料や汚染水、放射性廃棄物の保管場所として使用されているが、広い1F構内の敷地もすでにこうした廃棄物置き場で手狭になっている。いずれ限界を迎え、増え続ける廃棄物を構内に保管し続けられなくなる。だが、1F構外に保管場所を確保するのは容易ではない。

 ※次回は、「第2章 原発と生計「一次下請け企業」」

2016/7/14(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※18回目の紹介

2016-07-12 22:06:26 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。18回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 4号機に近づくと、「心をひとつに がんばろう! 福島」という標語が見えてきた。付近の線量は50マイクロシーベルト。4号機は東日本大震災時、定期点検中だったため、建物の周りには点検に必要な資材や機材が置かれていた。津波で流された機材やがれきが道路をふさぎ、1,2,3号機の現場に向かうのを妨げたという。

 今では道路のがれきは撤去されたが、道路から少し離れたところにあるがれきはまだそのまま残されている。車両やタンク、分電盤、柵等が倒れたままの状態で放置されている。クレーンも傾いたままだ。付近の線量は140マイクロシーベルト。

 バスは4号機から3号機、2号機の横を通りながら1号機へと北上していく。線量は最大で720マイクロシーベルトに達したが、3号機の端に来ると300マイクロシーベルトに下がった。1号機付近の建物は、放射性物質の飛散を防止するために散布された薬剤で緑色に染まっている。建物の窓ガラスは割れている。津波で割れたのか、水素爆発で割れたのか。

「線量が高いのでこれぐらいにして、車はUターンします」

 原子炉建屋の対岸では、仮設防潮堤の工事が行われていた。従来の防長堤は津波で流され、ところどころ倒れた防潮堤の破片が見える。防潮堤の代わりに、今では消波ブロックが一時的に置かれている。津波で大きく変形したタンクが海側から陸側に流され、挟まりこんでいるのも見える。

 ※「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」は、次回に続く

2016/7/13(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※17回目の紹介

2016-07-11 22:06:11 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。17回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

(前回からの続き)

 構内に入ってまもなく右手に見えてきたのは汚染水タンク郡だ。タンクは大きいもので1基当たり約1000トンの汚染水が貯蔵されている。驚くのはタンクの大きさだけでなく、その数の大きさだけでなく、その数の多さだ。まさに林立状態。タンクの設置置き場場所は原発事故前、林で木が生い茂っていたが、増え続ける汚染しを蓄えるタンクを造るため、伐採された。それでもタンクはまだ足りず、増設工事が進められている。

「現在、車は海抜35メートル、高台の上を走っています。左手にテントが見えてきました。多核種除去設備ALPSです。セシウムを取り除いた後、まだまだいろいろな種類の放射性物質が入っていますが、これらを除去するために設置したのがこの多核種除去設備になります。ALPSで処理した水は正面にあるタンクに蓄え、分析測定を行い、放射性物質の除去を確認してから除去済みの方のタンクに戻します」

 構内の高台にある展望台から眺めると、原子炉建屋が見渡せる。水素爆発を起こして屋根が吹き飛び、クリーム色の建屋カバーに覆われた1号機。2号機は原型を保っているが、隣の3号機は爆発を起こして1フロアが損傷し、2号機より約10メートル低くなっている。4号機は使用済み燃料プールから燃料を取り出す作業を行うため、白いカバーで覆われている。2号機の排気塔近くには巨大なクレーンが設置されていた。

 バスは坂道を下り、高台から原子炉建屋に向かった。高台の放射線量は毎時3.3マイクロシーベルトだったが、海抜10メートル付近に降りると13マイクロシーベルトに上がった。東日本大震災時の津波は高さ約15メートル。原子炉建屋は5メートル程浸水したことになる。震災から3年がたとうとしていたが、原子炉建屋付近は津波による被害がそのまま残されている。左手に見えてきた小さなタンクは、よく見ると変形しており、点検用のはしごとその脇にある電源制御盤も大きく損傷している。草木がはぎ取られ、土がむき出しになっている場所もある。

 ※「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」は、次回に続く

2016/7/12(火)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~汚染水タンクの森~> ※16回目の紹介

2016-07-07 22:31:48 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。16回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第2章 原発と生計

汚染水タンクの森

 2014年1月23日、東京電力福島第一原発の構内が報道陣に公開された。樽葉町のJヴィレッジにある東電福島復興本社からバスに乗り、福島第一原発(1F)に向かった。

 樽葉町と1Fがある大熊町をつなぐ国道6号線沿線には、除染で出た放射性物質を含む土壌などの仮置き場が点在する。黒い土嚢袋に詰められた土壌が山積にされ、かつてのどかな田園風景が広がっていたはずの景色が、異様な後継に様変わりしている。

 避難指示解除準備区域(当時)の樽葉町は日中、自由に立ち入りができるが、大熊町はほぼ全域が帰還困難区域に指定されているため、検問を受けなければ入れない。

 樽葉町から国道6号線を北上すると、やがてバリケードにぶつかり、警察官が1台1台車両をチェックし、許可された車両のみがバリケードを通される。警察による検問は24時間体制で行われている。

 バスはバリケードを通過し、国道6号線を右折、やがて1Fが見えてきた。

「我々は福島第一原発の敷地の中におります。右手の奥の方に白いテントが見えています。福島第一原発の正門です。2013年6月29日まであちらを出入りしていましたが、現在では入退域管理施設ができましたので、出入りする作業員のチェックは今出てきた建物の方でやっています」


 東電広報がアナウンスしながら、バスは1F構内を進んでいく。

「左手に建物が並んでいます。定期検査等で協力いただいている協力企業の建物になりますが、震災でかなりやられています。放射性物質が中に入りこんだこともありまして、建物の多くはまだ使用できない状況です。一部の建物は除染して、休憩所等に使われています」

 ※「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」は、次回に続く

2016/7/11(月)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~アメ玉の限界~> ※15回目の紹介

2016-07-06 22:14:04 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。15回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

アメ玉の限界

(前回からの続き)

 富岡町議会は、こんな声明を出している。

「30年後に県外に移設される中間貯蔵施設ではない。永久的にその場に残る最終処分場なのだ。(略)計算上は100年後も安心して暮らすことができると国は言う。 ただ私たち富岡町民は、その計算された安全に一度裏切られている。起こるはずのないことが起こったときの怖さを誰よりも肌で案じている私たちが、もう一度計算された安全を信じることができるのか」

 2015年6月、国は国有化に方針を転換。富岡町と隣接する樽葉町に福島県が計100億円の交付金を拠出することで12月、町は建設を受け入れた。建設の要請から約2年が過ぎていた。

 指定廃棄物は、福島県を含め12都道府県で発生している。このうち、発生量が比較的多い宮城、茨城、栃木、群馬、千葉県に、国は処分場を建設する計画だ。2014年4月、5県に対して計50億円の交付金を拠出する方針も示した。だが、福島県以外で建設が決まったところはない。宮城県では栗原市、大和町、加美町の3か所が建設候補地とされ、環境省が地元との交渉を続けているが、地元から強い反発に遭い、計画は頓挫している。

 なぜここに造らなければならないのか。

 福島県の場合、理屈がはっきりしている。放射性廃棄物は県内の広い地域で発生しているが、福島第一原発に近い地域により多くの放射性廃棄物が山積みしている。輸送の効率を考えると、発生量の多い地域に建設せざるを得ないという理屈が存在する。建設が進まないと福島県全体の復興が進まないという危機感も、地元が苦渋の決断に至った背景にある。だが、他県の場合、建設候補地とされた自治体によって、計画は青天の霹靂だ。

 交付金という従来のアメ玉だけで計画を進めることができるのか。先は見えていない。

 ※次回は「第2章 原発と生計「汚染水タンクの森」

2016/7/7(木)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~アメ玉の限界~> ※14回目の紹介

2016-07-05 22:08:53 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。14回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

アメ玉の限界

(前回からの続き)

 富岡町の状況は、大熊、双葉町とは異なる。大熊、双葉町は、町のほぼ全域が帰還困難区域に指定されているのに対し、富岡町は帰還困難区域と居住制限区域、避難指示解除準備区域と、3つの区域にすっぱり分かれている。帰還する、しないについて、町内で温度差があり、東電の賠償金をめぐる不公平感も大きく渦巻いている。原発関連の仕事に従事する人の割合も、大熊、双葉町に比べると低く、商業を営んでいた人も多い。帰れる見込みがほとんどなく、帰ったとしても福島第一原発が廃炉になる以上、仕事もないという状況の人が大熊、双葉町では多いのに対して、富岡町では帰れる見込みがあり、戻って商いを再開させることが可能な人も少なからず存在する。そうした人にとって、指定廃棄物処分場の建設は死活問題だ。

 国が国有化の方針を打ち出さなかったことについても、町民から不満の声が上がった。中間貯蔵施設は当初から国有化する方針だったが、指定廃棄物処分場については民間の管理型処分場に業務委託し、国有化はしない方針だった。施設の安全性に対する不安と責任の明確化を理由に、国有化するべきだという意見が強かった。

---P89の図表から
図表7 各都県の指定廃棄物の量

岩手 475.6
宮城 3405.8
山形 2.7
福島 138490.6
茨城 3532.8
栃木 13533.1
群馬 1186.7
千葉 3690.2
東京 981.7
神奈川 2.9
新潟 1017.9
静岡 8.6
合計 166328.6

出展:環境省・放射性物質汚染廃物処理情報
※単位:トン。2015年9月末時点

---ここまで

 ※「アメ玉の限界」は次回に続く

2016/7/6(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)