兵庫区公会堂で「歴史講演会」が開催されました。
250名ほどの参加者で会場はほぼ満員です。
大河ドラマ「平清盛」に関連して、約2時間半の講演でした。
◆桂三ノ助さんの落語「平成の清盛」
◆講演は、清盛塚について
・コーディネーター 奥村弘氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)
・「清盛塚の誕生」~中世兵庫津の歴史
藤田明良氏(天理大学国際文化学部教授)
・「清盛伝説と神戸市民}~清盛塚の移転
落語 清盛のことについて調査していた人が何故か風呂屋をやって成功した。
清盛→遷都→銭湯 お時間がよろしいようで。
1285年(弘安8)に亀山上皇が兵庫嶋、和多(和田)御崎に来られた。これは、讃岐の善通寺修造のための費用を兵庫で徴収しようと下見に来られた。その時、多数の船、遊女がでてにぎやかだったと随行の公家が日記に書いている。
清盛塚は、清盛の墓であると思われていたが、1921(大正10)年ころ神戸市の都市計画で移転案出された時、築島寺の檀家などが反対運動があった。そこで、1923(大正12)年、清盛塚を発掘調査をした結果、骨などが出なかったことから清盛の墓で無いことが判明した。そして、現在の位置に移転しました。
当時の神戸市の資料には
「なんと言っても平相国は我が神戸市の発展の歴史と切り離すことの出来ない大人物であった」
又、新聞には、
「神戸市成立の素因は、実に清盛の兵庫築港に胚胎(はいたい)するものとせねばならぬ」・・・・・「神戸が東洋一の良港湾の素実を有するものとせられたのは、清盛の兵庫築島=経が島=に出立するのである。」
※胚胎とは、物事の起こる原因やきざしが生じること
三ノ助師匠の落語
大学の先生による講演
兵庫津絵図(安政6年)
ラメールさんもお風呂屋さんを始めてみませんか?
儲かりまっせ。
清盛話で、遷都から銭湯での落ちくらいで
精一杯でしょう。
今では、働く体力も気力もないですよ。