源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

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平将門首塚(たいらのまさかど 東京都中央区)

2012-05-01 02:20:51 | 源平の史跡

今回紹介している東京の源平の史跡の最後です。

東京駅前の丸の内ビル街の中に平将門首塚があります。

将門は、父:平良将、母:県犬養春枝女(あがたのいぬかいのはるえのむすめ)の子であるが、生まれた年月日は不詳。平安時代中期の豪族で、父は下総国佐倉(現千葉県佐倉市)が領地と伝えられ、同市には将門町という地名も残っています。

将門は、下総で兵を起こし、坂東八ヶ国を平定し、自らを平新皇と称して政治の改革をはかったが即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された。享年38歳。これを「天慶の乱」といいます。原因は、確定していませんが、一族の争い、或いは、政治への不満からの戦いなどが言われています。
身分の低かった武士が力を見せた最初の戦いで、武士の台頭のはじまり、平清盛の時代へとつながっていきます。
(参考資料:敷地内の案内板、ウィキペディア)

平将門首塚:東京都千代田区大手町1丁目2番1号

平将門首塚

 

東京駅前の丸の内ビル群の中にあります。

 

 

 

 


江戸時代の寛文年間(1661年から1672年)、この地は、酒井家上屋敷の中庭であり、歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達安芸・原田甲斐の殺害されたところです。
(説明板より)
酒井雅楽頭は、幕府大老。
伊達安芸は、仙台藩伊達 宗重(だて むねしげ)の通称である。
原田甲斐は、伊達藩の家老。

 

カエルの置物が多数あります。
・海外に赴任した官庁職員達が、「無事にカエル」、にあやかり赴任前にお参りにくる。
・左遷された会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、蛙を供える。
・誘拐されたり、行方不明になった子供が無事帰ってこられるように、蛙を供える。
このような謂れがあります。

 

 

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2 コメント

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平将門 (merry)
2012-05-02 11:24:28
平将門といえば、乱をおこして征伐されたと歴史で習った記憶があります。
確かに武士の抬頭のはじまりですね。

平安時代中期といえば、清盛の生まれる少し前の時期ですが、こういった事件が祖父や父を通して伝えられ、「武士の世を」といった機運が高まっていったのかも知れませんね。
Unknown (ラメール)
2012-05-02 13:03:25
merryさん
訪問とコメントありがとうございます。

武士の世への先駆けが将門なんでしょう。

清盛もこの話を聞いて、自分たちの世を

造ろうと思ったのでしょう。

彼らをしっかり見ていた頼朝が、彼らの失敗を

教訓にして武士の世を確立したのでしょう。

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