今回から、国道8号線に沿った鏡神社の近くの史跡を紹介します。
1174(承安4)年、牛若丸(義経)は京の鞍馬で遮那王(しゃなおう)と称してひそかに源氏の再興を志していました。
鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は兄頼朝を尋ねんと、東下りの途中近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町鏡)に入り、「沢弥傳(さわやでん)」の屋敷に泊まります。
その夜、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意します。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子(えぼし)を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。
元服の池
左下に少し見える池が元服の池です。
滋賀県PRブログの旅で訪問した史跡です。
1174(承安4)年、牛若丸(義経)は京の鞍馬で遮那王(しゃなおう)と称してひそかに源氏の再興を志していました。
鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は兄頼朝を尋ねんと、東下りの途中近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町鏡)に入り、「沢弥傳(さわやでん)」の屋敷に泊まります。
その夜、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意します。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子(えぼし)を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。
元服の池
左下に少し見える池が元服の池です。
滋賀県PRブログの旅で訪問した史跡です。
さらい年の「清盛」の年には、観光客も沢山来て、活性化して欲しいですね。
訪問とコメントありがとうございました。
閼伽井屋は、大昔からこのように水がわいて
いたのでしょう。今まで続いているのが歴史が
続いていることを実感します。
今日から湖東の史跡を紹介していきます。