義経元服の池から北へ30Mのところにあります。
鏡神社には、製陶技術を伝えた朝鮮半島の新羅の皇子「天日槍」(あめのひぼこ)が祀られ、鏡をこの地に納めたとも伝えられています。周辺には、須恵器を焼成した登り窯の跡地が見られる渡来文化伝承の地です。南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されています。
鏡神社
本殿
舞舞台
烏帽子掛けの松
鏡神社の参道には、義経がただひとりで元服後、
参拝したときに鳥帽子をかけたとされる「松」です。
謡曲「烏帽子折」
◆鏡神社に、義経が元服する時に使ったといわれる
「盥(たらい)」の底板が現在も保管されています。
八幡神社(鏡神社内)
源義経公と応神天皇が合祀(ごうし)されています。
応神天皇は五世紀頃の天皇で、兵法にすぐれ、
学術技芸を栄えさせた長寿の天皇と言われています。
したがって源九郎義経公に合い通じる神として
合祀されたものと思われます。
滋賀県PRブログの旅で訪問した史跡です。
鏡神社には、製陶技術を伝えた朝鮮半島の新羅の皇子「天日槍」(あめのひぼこ)が祀られ、鏡をこの地に納めたとも伝えられています。周辺には、須恵器を焼成した登り窯の跡地が見られる渡来文化伝承の地です。南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されています。
鏡神社
本殿
舞舞台
烏帽子掛けの松
鏡神社の参道には、義経がただひとりで元服後、
参拝したときに鳥帽子をかけたとされる「松」です。
謡曲「烏帽子折」
◆鏡神社に、義経が元服する時に使ったといわれる
「盥(たらい)」の底板が現在も保管されています。
八幡神社(鏡神社内)
源義経公と応神天皇が合祀(ごうし)されています。
応神天皇は五世紀頃の天皇で、兵法にすぐれ、
学術技芸を栄えさせた長寿の天皇と言われています。
したがって源九郎義経公に合い通じる神として
合祀されたものと思われます。
滋賀県PRブログの旅で訪問した史跡です。
一つでも撮り逃さないようにと必死でした(笑)
訪問とコメントありがとうございました。
義経は、この辺りがお気に入りだったのかも。
元服関係の史跡が沢山集まっています。
地元の人も義経を大切にしたのでしょう。
皮肉にも、平家の終焉の地が近くにありますね。
実物を見たいですね。