兵庫区の北側は清盛が邸宅をつくり、福原遷都の地として、天皇、上皇を招きました。
JRを境にして南側は、大輪田の泊りの地として開けていきました。
今回は、2久遠寺、9築島寺、19和田神社を紹介します。
2 久遠寺
平清盛の経ケ島築造の頃、このあたりは浜辺であったと言われ、 俗称「浜の寺」と言われていた。
9 築島寺(来迎寺)
寺伝によれば、平清盛が経ケ島を築造する際、竣工直前に暴風雨によって破壊されたため、陰陽博士に占わせ人柱をたてることになり、身代わりとなったのが「松王丸」で、その犠牲によって無事に島が築造された。
その供養塔が右の写真の左の塔、右の塚は清盛の愛人「妓王と妓女」の五輪塔。
19 和田神社
元は、現在地から西南に約800mの海岸にあり「蛭子(えびす)の森」と呼ばれていました。
平清盛が大輪田泊りの修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より
市柿嶋姫大神を勧請しました。その後、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた
社務所には、西国大名や勝海舟が訪れました。
沢山の訪問とコメントありがとう。
祇王・妓女の話、そんな理由があったのですか。
私は、単純に清盛の愛人だから、清盛別邸の
雪見御殿にいたからだろうと思っていました。