源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

牢の御所

2006-03-05 00:44:18 | 福原遷都コース
                 兵庫県神戸市の薬仙寺の境内にあります。

【 平家物語 都遷 】
清盛は、後白川法皇を福原に移して、四面を板で囲って入り口を一つ開けた中に、三間四方の板屋を造りそこへ押し込めた。これを牢の御所と言った。
平家の悪行もついに極にたっした。
「安元年間(1175~1177)よりこのかた、多くの公卿、殿上人を流刑や殺害をし・・・・・・・・いま、積み重ねた悪行の最後にしたのが遷都である」

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10 コメント

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牢の御所 (しずか)
2006-03-05 01:00:24
大河では、平幹次郎さんが法皇役を好演していましたね。おどおどする様が面白かったです。
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Unknown (ラメール)
2006-03-05 01:52:36
しずかさん

訪問とコメントありがとう。



大河では、福原遷都はあまり詳しく放映されませんでした。平法皇はいかにも策士といった感じをよく出していましたね。義経も翻弄されてしまって遂に頼朝と決裂してしまった。
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Unknown (やっちゃん)
2006-03-05 08:04:54
関係ない話で恐縮ですが・・・

今、6チャンネルで松本清張の「けものみち」を放映していますが その中で闇の大物政治家役をやっているのが平幹二朗です。

これを見る度にあの後白河法皇がリンクして・・・

この人は大した役者だな~といつも思ってしまいます。
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私も (しずか)
2006-03-05 14:44:39
「けものみち」は、母が見ているので、平さんの不気味な役を見ましたよ。さすが演技派ですね。
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福原遷都 (merry)
2006-03-05 19:54:59
平法皇が板屋に押し込められるのを見たかったですね。でも、渡清盛は悪役は似合わない。だから、この辺の話は省略されたのでしょう。
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Unknown (ラメール)
2006-03-06 03:12:11
やっちゃん、しずかさん&merryさん

訪問とコメントありがとう。



平幹次郎は、個性的な役をやっても上手く演じますね。「けものみち」は見ていません。

渡清盛は、義経の親で、尊敬する人になっていまし。平家物語とは、ちょっと違っていますね。
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Unknown (しずか)
2009-10-16 09:19:13
懐かしい記事ですね。
もう三年も経ちますか。
この時は、この場所を訪れる日が来るとは
思ってみませんでした。
実際その場に立つと、その当時が蘇って
くるようでした。
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Unknown (ラメール)
2009-10-17 02:14:37
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

ブログで交流をはじめて3年が過ぎるのですね。

そのころは、まさか「しずかさん」が神戸の
源平の史跡を訪問されるとは、考えもしません
でした。

しずかブログもよく続いていますね。
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Unknown (Unknown)
2011-04-27 06:57:49
後醍醐天皇が福厳寺に泊まられて置きながら、
わざわざ薬仙寺から水をとりよせたか?
ご利益とかの理由ではなく、
福厳寺で頭が痛くなったことを、
何かを盛られたと考えたようです。
そしてわざわざ薬仙寺より水を取り寄せたのが真実です。福厳寺は鎌倉幕府の菩提寺建長寺の関連で大覚という坊さんの流れで、後醍醐天皇は信用していなかった節があります。
鎌倉幕府は後鳥羽・後醍醐と二人の天皇を隠岐に
流していますが、
後鳥羽天皇が毎夜夢見て果たせないまま崩御された
「帰京」を後醍醐天皇は僅か一年余で実現されたのでしたね。
かって皇位にあった身で流人生活を送ったのはこの他、
淳仁天皇、崇徳上皇、土御門上皇、順徳上皇ですが、
配流地から脱出したのは後醍醐天皇だけですものね。
すざましいまでの執念の天皇です。
倒幕を掲げる後醍醐天皇が鎌倉方の密命を受けた使者
によって毒を盛られると考えられたとおもわれます。

臨済宗南禅寺派の福厳寺は後醍醐天皇の史跡
として有名です。また神戸の港の歴史におい
ても重要な地位をしめます。境内には塔頭二ヶ寺、
起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃
寺されましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲
庵と言う事になりました。また和田〔和田岬〕
にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在は福
厳寺に合併されています。
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Unknown (ラメール)
2011-04-27 12:27:24
Unknownさん
訪問とコメントありがとうございました。

歴史について大変詳しい方のようですが、
薬仙寺についての情報ありがとうございます。

後醍醐天皇の話は、鎌倉時代のことですね。
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