昼食後は、いよいよ三草山合戦地へ移動です。「地図」
このツアーのハイライト、戦の天才:義経の名を
有名にしたデビュー戦の地:三草山です。
三草山合戦モニュメント
この辺りは御所谷と呼ばれ平家の本陣があったと言われています。
三草山
弁慶の薙刀石(三草山合戦モニュメントの横にあります
弁慶が薙刀を突き刺した穴があります)
平家物語絵巻物(複製品 鴨川の郷にあります)
京都→篠山と進んだ義経軍は、三草山の手前の小野原に布陣した。
小野原(兵庫県篠山市今田町小野原 地図 )
三草山合戦夜討ち
1184年2月4日夜半、義経軍は三草山麓:御所谷に陣を構えた平資盛(すけもり)軍に
夜襲をかけて撃破した。
三草山合戦
平家 屋島へ逃亡
負けた平家は須磨海岸(兵庫県神戸市須磨区)まで退却し、
義経の鵯越の坂落としの急襲を受け屋島へ逃亡しました。
三草山で戦った義経軍は、佐保神社に集結して、軍制を立て直しました。
稲荷神社
加東市観光協会のガイドの方が丁寧に説明してくださいました。
山氏神社の義経手植えの松(やまうじ)
6日、義経は自軍を二手に分けて、7000騎(実際は700騎か)を土居実平(どいさねひら)に預け、須磨一の谷(兵庫県神戸市須磨区)に向かわせ、義経自身は、3000騎(実際は300騎か)の精鋭を率いて鵯越を目指しました。(義経軍の人数は、諸説ありますが、平家物語の数字を使っています)
このあと、義経は鵯越の坂落としで平家の背後をつく作戦で、勝利します。
一の谷合戦の史跡については、以下のHP「明石海峡大橋 北南」で紹介しています。
こちらから ⇒「平清盛関連(源平合戦)の史跡」から入っていただくと詳しく紹介しています。
加東市観光協会は こちらから
佐保神社は こちらから
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