日曜日は仕事でしたが土曜日に頑張ったおかげで、思いのほか早く終わらせることが出来ました。そこで、ちょっと考えてお台場の船の科学館に野外展示されている船を撮影してみようと思い立ちました。
と言うわけで、今回は係留された船の写真です。
宗谷は海上保安庁所属の砕氷巡視船ですが、もともとは民間の船舶会社が発注した砕氷能力保持船舶でした。しかし、その時搭載されていた機器(英国製ソナーを装備していた)の能力と輸送力から、海軍が買い上げ特務艦(測量船)として連合艦隊(GF)に所属した。第二次世界大戦時での戦歴は、地味ですがかなりの幸運艦であることだけは間違いない船でした。
日本の軍艦はもちろん、船舶の大半が沈んだ戦争を生き残り、復員船として使用された後、発足した海上保安庁の巡視船として使われるようになり、当初は灯台連絡線として使われたのですが、そのうち南極観測船として使われることになりました。
さすがに南極の氷は宗谷の砕氷能力を超えたものでしたから色々と不都合も有りましたが、海上自衛隊の二代目南極観測船“ふじ”が任務につく海上保安庁の通常任務につき北海道近海で活躍をしました。
その後、海上保安庁の任務から退役した後、記念船として船の科学館のそばで展示されていると言うわけです。
なお、海軍や海自に所属している船を“艦”と呼ぶのと、海保の船を“船”と呼ぶのは組織の役割の違いによります。同じ船でどちらの呼び方も経験している船というのもかなり珍しいです。また、旧海軍の軍艦籍に入っていた船で今現在も海に浮かんでいる船はこの“宗谷”のみです。あと、今の宗谷の航空作業甲板の張り出しはよく見ると、戦時中の艦船の航空作業甲板の張り出しに良く似ているような気がします。
と言うわけで、今回は係留された船の写真です。
宗谷は海上保安庁所属の砕氷巡視船ですが、もともとは民間の船舶会社が発注した砕氷能力保持船舶でした。しかし、その時搭載されていた機器(英国製ソナーを装備していた)の能力と輸送力から、海軍が買い上げ特務艦(測量船)として連合艦隊(GF)に所属した。第二次世界大戦時での戦歴は、地味ですがかなりの幸運艦であることだけは間違いない船でした。
日本の軍艦はもちろん、船舶の大半が沈んだ戦争を生き残り、復員船として使用された後、発足した海上保安庁の巡視船として使われるようになり、当初は灯台連絡線として使われたのですが、そのうち南極観測船として使われることになりました。
さすがに南極の氷は宗谷の砕氷能力を超えたものでしたから色々と不都合も有りましたが、海上自衛隊の二代目南極観測船“ふじ”が任務につく海上保安庁の通常任務につき北海道近海で活躍をしました。
その後、海上保安庁の任務から退役した後、記念船として船の科学館のそばで展示されていると言うわけです。
なお、海軍や海自に所属している船を“艦”と呼ぶのと、海保の船を“船”と呼ぶのは組織の役割の違いによります。同じ船でどちらの呼び方も経験している船というのもかなり珍しいです。また、旧海軍の軍艦籍に入っていた船で今現在も海に浮かんでいる船はこの“宗谷”のみです。あと、今の宗谷の航空作業甲板の張り出しはよく見ると、戦時中の艦船の航空作業甲板の張り出しに良く似ているような気がします。
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