実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

芭蕉、山中温泉に着く(元禄2年新暦9月10日)

2012年10月16日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/

加賀市観光ボランティア大学第13回講座 「『奥の細道』-芭蕉山中温泉-」で、講師の西島明正先生

から教えていただいたことをご紹介します。

 

松尾芭蕉山中温泉に到着したのは、1689(元禄2)年7月27日16時30分頃のことです。

小松で3泊4日を過ごし、多太神社で「むざんやな甲の下のきりぎりす」とよんだ芭蕉は、

この日、祭礼が行われていた小松の菟橋(うはし)神社を参詣した後、河合曽良、立花北枝と一緒に、

串茶屋→動橋→庄→山代→二天を通って、山中温泉にやってきたものと思われます。

奥の細道』では、このとき那谷寺に立ち寄ったようになっていますが、実際は山中での滞在を終えた後、

那谷寺に行っています。現に串茶屋で、魚を焼いたにおいがするというような句も詠んでいます。

山中温泉では、湯ざや(共浴場)の周りに宿を構えていた湯本十二軒の一つ泉屋に逗留しました。

この当時、山中には湯ざやの周りに42軒もの宿舎がありました。

泉屋は、現在の北國銀行山中支店の前にありました。今、そこには「芭蕉逗留泉屋の跡」の石碑があります。

翌7月28日、朝からゆっくりと湯につかって疲れを癒した芭蕉は、夕方薬師堂(医王寺)や町辺を歩いています。

芭蕉はきっと医王寺下の楊弓場(ようきゅうじょう)や山中漆器の木地引き物を見物したことでしょう。

芭蕉は泉屋当主の久米之助に温泉頌(しょう)の懐紙を書き与え、山中温泉のすばらしさを讃えています。

←芭蕉150回忌の時につくられた芭蕉像

北海の磯づたひして、加州やまなかの湧湯に浴ス。里人の曰、

このところは扶桑三の名湯の、其一なりと。

まことに浴することしばしばなれば、 皮肉うるほひ、筋骨に通りて、

心神ゆるく、偏に顔色をとどむるここちす。

彼桃源も舟をうしない、慈童が菊の枝折もしらず。

    やまなかや 菊はたおをらじ ゆのにほひ   はせを

(日本海の磯づたいに旅して、今やっと山中の湯に浴している。里の人が言うには、山中の湯は、

日本三名湯の一つであると。なるほど何度も浴していると、体の皮肉がうるおい、筋骨まで湯がしみ

わたって、心はゆったりとくつろぎ、顔の色もつやを保つ心地がする。極楽のような所であるから、

わざわざ桃源郷へ行くための船を仕立てるまでもなく、またこの湯に入っていると寿命も延びるようで、

中国の故事にある菊慈童は、菊を手折ってその花の露を飲んで、長寿延命を保ったというが、

その必要もあるまい。)

松尾芭蕉は、山中の湯を最大限の賛辞でたたえたのです。

(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)

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『虹』のヒロイン・俳人森田愛子と山中温泉

2012年10月15日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/

10月11日(木)の加賀市観光ボランティア大学第13回講座 「『奥の細道』-芭蕉山中温泉-」で、

わたしたち受講生に思わぬプレゼントがありました。

そのプレゼントとは、1943(昭和18)年11月18~19日に山中温泉吉野屋で行われた句会にかんする史料で、

ボランティア大学の世話人をしていただいている山口丁三さんがご紹介くださったものです。

一つは、この吉野屋での句会でうたわれた句をまとめた高浜虚子直筆の書です。

←右下に”虚子”とあります!  

高浜虚子(たかはまきょし、1874~1959年)は、明治・昭和期の俳人・小説家でホトトギスの理念となる

「客観写生」「花鳥諷詠(ふうえい)」を提唱したことで知られます。この日虚子は、芭蕉250回忌の行事出席のため、

関西に行く途上、山中温泉に立ち寄ったのです。句会が行われた日の山中温泉は、とっても寒かったようですが、

宿の前の山は一面紅葉し、その全山の紅葉の上に雪がさらさらと降っていて、大変に美しかったそうです。

←森田”愛子”の名前も

そしてもう一つが、句会参加者の写真です。写真中央には高浜虚子がいます。そしてなんと虚子の名作』の

ヒロインとして有名な森田愛子と彼女が深く愛した師・伊藤柏翆の姿もあるのです。

←「俳人伊藤柏翆と森田愛子」(福井県立図書館ホームページより)

森田愛子1917年(大正6)年、福井県三国の豪商森田三郎右衛門と名妓田中よしの娘として生まれました。

福井県立三国高等女学校(現・三国高校)を経て、東京の実践女子専門学校へ進学します。女学校時代の同級生

よれば愛子さんと東京で道を歩けば、通りすがるもの全てが振り返った」というほどの美人だったそうです。

結核を患った愛子は、鎌倉で療養生活に入りますが、鎌倉の地で、高浜虚子門下の伊藤柏翆と出会い、弟子入り

します。 高浜虚子が、美人聡明であったこの孫弟子を大変かわいがったことが世に知られています。

小説『』では、結核を患い、1947年(昭和22)年に31歳の若さで亡くなる森田愛子の姿を

高浜虚子が情感を込めて描写しています。 

「虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉(=虚子の処)に行かん」といひし三国の愛子におくる

   虹たちて忽(たちま)ち君の在る如し 虚子 (「君」はいとしい異性に対し使う語です)

愛子が亡くなる直前に虚子に送った電報の句

  虹消えて既に無けれど在る如し 愛子

小説『の中には、山中温泉吉野屋での愛子の様子もつづられています。

いま山中温泉には、昭和28年10月に建てられた高浜虚子の句碑が建っています。

  秋水の音高まりて人を想ふ

この句は、すなわち遠く芭蕉を思い、近く森田愛子を思って詠んだ句です。

山口さんのプレゼントのおかげで、小説『』のこと、森田愛子のことがもっと知りたくなりました。

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松尾芭蕉と山中温泉

2012年10月14日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/

10月11日(木)1930分から加賀市民会館を会場に、加賀市観光ボランティア大学第13回講座

 「『奥の細道』加賀路の芭蕉芭蕉山中温泉-」が開かれました。

  

講師の先生松尾芭蕉について大変お詳しい西島明正さんでした。

西島先生は以前、山中町の図書館に勤務されていたとき、観光客の方からさまざまな質問を受けたそうです。

芭蕉のこと、温泉のこと、九谷焼、山中節、山中漆器のこと。そこで西島先生は訪問者の方々にいつでもお応え

できるように、それぞれについて関係図書の目録づくりをされました。また奥の細道』300年の記念イベントのために、

山中での芭蕉の足跡を調査研究し、『芭蕉山中温泉』(北國書籍印刷刊)を出版されました。

先生には、長年の研究をもとに、とっても丹念に「奥の細道の足跡」「加賀路の芭蕉」「芭蕉山中温泉」について

お話しいただきました。本当にありがとうございました。

奥の細道』は、1689(元禄2)年、松尾芭蕉が46歳のとき、5カ月間、600里(2,400km)にわたる旅の記録を

紀行文にまとめたもので、ドナルド・キーン氏が英訳して世界に紹介されているように、

日本を代表する文学作品といえます。

山中温泉には、7月24日(新暦8月29日)から8泊9日にわたって逗留しました。奥の細道』の旅の途中、

芭蕉はいくつもの温泉地をめぐっていますが、これほど長く滞在している温泉地は唯一山中だけです。

これから、西島先生から教えていただいたことを芭蕉山中温泉」中心にレポートさせていただきます。

よろしくお願いします!!

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東山神社・山中漆器と惟喬(これたか)親王

2012年10月13日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す(^o^)

山中温泉のバスターミナルを大聖寺川の方に降りると鶴仙溪にかかる黒谷橋があります。

そして黒谷橋を渡って、右に小路を曲がると、そこが鶴仙溪遊歩道の入口です。

昨日ご紹介した喫茶「東山ボヌール」は、ここに建っていて、そのすぐ脇に東山神社」の鳥居があります。

東山神社」へはこの鳥居をくぐって、ゆるやかな石段をゆっくりと約200mほど登っていくことになります。

(途中、温泉街の眺めが素敵です。それに、どんぐりの実がたくさん落ちていました。)

東山神社」のはじまりは、山中の木地師澤出萬吉が明治41年4月惟喬(これたか)親王(844~897年)

像をここ東山に安置したことによるいわれています。

惟喬親王とは、第55代文徳天皇の第1皇子であったにもかかわらず、故あって皇位を継承することなく

山峡に隠棲し、うるしの製法や木地ロクロ挽きの技術を開発したとされる人です。

惟喬親王の漆器工芸に対する造詣は深く、古くから木地師の人々に崇拝されてきました。

明治33年、澤出萬吉が徒弟をつれて荒挽の搬出のため、福井県南条の広野村大河内(おおこうち)に行ったとき

のことです。萬吉は大河内村に住む木地師の人たちが神社に惟喬親王木地屋祖神(きじやしそしん)

としてお祀りしていることを知り、感銘を受けます。

そして「ぜひ木地屋の多い山中にも神社を建て、惟喬親王をお祀りしたい」と思ったのです。

そのようなことから、東山神社」には、木地屋祖神の惟喬親王、漆芸の仏・虚空蔵菩薩、

商売繁盛の恵比寿が祀られています。

現在の社殿は昭和63年に建立されたもので、東山神社」は山中漆器に関係する皆さんにとって、

とっても大切な神社です。

11月13日は、「惟喬親王が京都嵐山の法輪寺で、漆の製法を虚空蔵菩薩から伝授された日である」との

伝説にちなみ、「うるしの日」に制定されていて、ここ東山神社」でも毎年11月13日には、「秋季例祭」・

「塗師屋まつり」が行われているそうです。

東山神社」が建っている場所は、戦国時代まで「黒谷城」のあった場所でもあります。

ここを訪れた蓮如上人は歌を詠んでいますし、一向一揆勢がたてこもり、柴田勝家と5日間にわたり

激戦を繰り広げ、400人もの負傷者を出した末、落城したお城でもあるそうです。

東山神社」って、とっても歴史を感じさせる神社ですね。

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東山ボヌール・鶴仙渓を眺めながらのカフェ

2012年10月12日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す(^_^;)

10月9日(火)の課題研究の時間に、鶴仙渓の入口に佇む隠れ家カフェ東山ボヌールを訪れました。

東山ボヌール」にひとたび足を踏み入れると、そこにはレトロなのにとってもモダンな雰囲気が

漂っていました。ほどよい調光の室内照明。大きく縁取られた木枠の窓。外からは鶴仙渓に広がる緑を通して

あたたかい木漏れ日が入ってきました。

2階のカフェコーナーにいると、なぜかとっても不思議ですが、まるで時間が止まったような錯覚を覚えます。

そしてゆったりとした居心地よい空間に包まれた感じでした。

さあ、私たちが注文させていただいた3種類のケーキが運ばれてきました。

←ガドーショコラ←ティラミス ←濃厚ベイクドチーズケーキ

次に、ドリンクも運ばれました。

←深煎りアイスコーヒー←生搾りオレンジジュースとまるごとぶどうジュース

ケーキもドリンクも見ているだけで、とってもおいしそう!実際に味わって、6人で「いいね!」を連発しました。

ボヌールとはフランス語で「幸せの時間」を意味するそうです。

みなさんも、一度東山ボヌール」におでかけになって、静かに流れる森の幸せな時間をお楽しみください!!

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鶴仙渓・森の隠れ家カフェ「東山ボヌール」

2012年10月11日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す(^_^;)

10月9日(火)の課題研究の時間に、久しぶりに山中温泉を訪問しました。今回のわたしたち

実高ふれ愛隊の目的は、鶴仙渓を中心に、松尾芭蕉の山中温泉での足跡を取材することでしたが、

実はもう一つとても楽しみにしていたことがありました。それは、今すごく人気のあるカフェ東山ボヌール

を訪れることです。東山ボヌール」は鶴仙渓にかかる黒谷橋たもとにたたずむ隠れ家的なカフェで、

県内外を問わず、多くのみなさんが訪れるとっても素敵なお店なのです。

東山ボヌール」は9月22日に、テレビ朝日系列で土曜朝8時から放送されている人気番組

「朝だ!生です旅サラダ1000回記念」で、人気司会者草野仁さんが訪れ、お店がご紹介されたこともあって、

これまで以上にたくさんのお客さんが来店されているそうです。そこで、わたしたちも前もって予約させて

いただいたうえで、おうかがいしました。

東山ボヌール」の建物は、黒谷橋のたもと、芭蕉堂のすぐ目の前に鶴仙渓の緑に包まれて建って

いました。噂どおりそれはそれは素敵なたたずまいで、お店に入る前から感激しました。

お店にはいると、1Fのスペースは、お客さんで満席となっていました。わたしたちは、お店の方にご案内いただき、

2Fのカフェスペースに行きました。階段を上る手前には、外国の絵本がたくさんならぶギャラリーや、かわいい

アクセサリーを紹介するコーナーが設けられていました。

2Fにあがると、わたしたち6人が座るのにちょうどいいカウンターがあって、芭蕉堂鶴仙渓の遊歩道を

包む美しい景色を眺めることができました。

わたしたちは、とてもおいしいと評判のケーキとジュースを注文させていただき、待つことにしました。

ケーキもジュースもとってもおいしかったですよ!

東山ボヌール」のおいしいケーキとジュースについては、明日隊員NO.4にいなが、あらためて

ご紹介させていただく予定で~す。おたのしみに~!  

 

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大聖寺おもしろクイズ(7)・荒町とおまけの問題

2012年10月10日 | 日記

隊員NO.1あさので~す(^_^;)

10月2日(火)の課題研究の時間に、わたしたちがチャレンジした「大聖寺おもしろクイズラリー」の

問題をご紹介させていただきましたが、今回が最終回です。レンタサイクルを快くお貸し下さった

歴町センター大聖寺の皆さん、ありがとうございました。

最後の問題は大聖寺荒町にかんするものです。(正解は一番最後にあります。)

問20 大聖寺荒町

 荒町は町人の町で昔の商家のおもむきを残している町屋が多くあります。さて、明治時代この町では

 どんなお店が多くあったでしょう?

 (1)八百屋  (2)菓子屋  (3)呉服屋

 

みなさん、さいごまで大聖寺おもしろクイズ」におつきあいいただき、本当にありがとうございました。

ここで、大聖寺に関するおまけのクイズをもう2つ、ご紹介します。どうぞチャレンジしてください!

そしてみなさんも加賀の小京都「大聖寺」に是非、遊びに来てくださいね。よろしくお願いします!!

 

おまけ問1 大聖寺馬場町から越前町にかけての熊坂川べりには、約800mにわたり桜並木がつらなり、

 桜の名所になっています。この桜並木には、桜の木が何本くらい植えられているでしょうか?

 (1)約130本  (2)約230本  (3)約330本

 

おまけ問2 大聖寺耳聞山町にあった国本別邸(御殿とよばれる)へ子どもの頃よく遊びに行っていた

 有名人がいます。その頃の思い出を「西遊記の夢」や「御殿の生活」という随筆で書いています。

 その有名人はだれでしょう?

 (1)深田久弥  (2)中谷宇吉郎  (3)高峰譲吉

  

 

正解:問20 (3)  おまけ問1 (2)  おまけ問2 (2)  

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大聖寺おもしろクイズ(6)・耳聞山仲町~木呂場町~弓町

2012年10月09日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^o^)/

今日も大聖寺おもしろクイズをご紹介します。大聖寺の町は、いたる所に城下町の風情が残っていて

とても美しい町です。そして細い路地もたくさんあって、時々迷ってしまうときもあります。実は今回の

大聖寺クイズラリーで私たちも途中、道がわからなくなったことがありました。耳聞山仲町の看板を

なかなか見つけることができませんでした。でも、なんとか頑張って見つけましたよ!

さあ今回は第6回目。今日の問題は、大聖寺の耳聞山仲町~木呂場町~弓町についてです!

問17 大聖寺耳聞山(みみきやま)仲町

 耳聞山町に関することでまちがっているのは、どれでしょう?

 (1)大聖寺川沿いに高さ10mほどの耳聞山があり、それが町名のいわれとなっている

 (2)大聖寺藩時代、このあたりは武士よりも町人のすまいが多くあった

 (3)耳聞堂(みみきどう)という石の祠(ほこら)があり、耳をあてると、いつも人のささやく声が聞こえてくるといわれている

 

問18 大聖寺木呂場町

 木呂場町の町名の由来は次のどれでしょう?

 (1)川上から流れてきたころ(材木)をあげる置き場があったから

 (2)材木を加工する製材所があったから

 (3)木こり職人が多く住んでいたから

 

問19 大聖寺弓町

 天明6(1786)年の大聖寺絵図では、弓町には下級武士の足軽が住んでいました。

 足軽とはどんな武士のことをいうのでしょう?

 (1)数が一番多く、普段は門番・関所番や洪水・火災などの警備にあたり、いざという時には弓を取って戦う。

 (2)同じ下級武士の徒士(かち)よりも一つ身分が高い

 (3)普段は農民として生活している

 

正解:問17 (2)  問18 (1)  問19 (1)  

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大聖寺おもしろクイズ(5)・新町~敷地町~大名竹町

2012年10月08日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^o^)/

みなさん、これまで大聖寺おもしろクイズをご紹介してきましたが、いかがですか?

さあ今日は第5回目です。今日の問題は、大聖寺の新町~敷地町~大名竹町についてです!

クイズはすべて3択問題です。問題の下にある写真をクリックすれば、ヒントがありますよ。

それではスタートです! (正解は、一番下にあります。)

問14 大聖寺新町

 この町は、福田橋がかかって新しくできた町なので新町と名付けられました。

 福田橋の川べりに最後の大聖寺城主山口玄蕃(やまぐちげんば)の首塚があります。今でも毎年、

 玄蕃忌がなされ町民に親しまれている殿様です。ところで、山口玄蕃は亡くなるまで何年間大聖寺にいたのでしょうか?

 (1)10年  (2)5年  (3)2年

 

問15 大聖寺敷地町

 菅生石部神社では、御願神事(竹割まつり)があります。これは石川県無形民俗文化財に登録されている

 貴重な伝統行事です。このまつりが行われる日はいつでしょうか?

 (1)2月10日  (2)2月の第1日曜日  (3)7月25日

 

問16 大聖寺大名竹町

 「大名竹」という町名の由来はどれでしょう?

 (1)竹林に囲まれた大名屋敷があったから  (2)殿様の別宅があり竹垣に囲まれた大名庭園があった

 (3)「大名竹」という種類の竹がこの地によく繁っていた

 

正解:問14 (3)  問15 (1)  問16 (3)  

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大聖寺おもしろクイズ(4)・八間道~福田町~鷹匠町

2012年10月07日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^o^)/

大聖寺おもしろクイズラリーの問題をご紹介する第4回目です。

今日からはB班のあさの・あやか・せりかが挑んだものです。

大聖寺の八間道~福田町~鷹匠町にかんする3つの問題ですよ!

ではチャレンジしてみて下さい。クイズはすべて3択問題です。問題の下にある写真をクリックすれば、

ヒントがあります! (正解は、一番下にあります。)

問11 大聖寺八間道

 町名は、道幅が八間(約15m)あったことからいわれています。ここは、町の西に藩邸、東に家老など藩の重臣の

 屋敷が並び藩政の中心でした。主要道路の道幅が3~4間なのに、その倍近い道幅があったのはどうしてでしょうか?

 (1)参勤交代など行列を整えるために広い道幅が必要だった

 (2)大聖寺川水運の拠点であり、荷物のあげおろしに広い道路が必要だった

 (3)藩邸を敵から守る空堀の役目をした

問12 大聖寺福田町

 町名は、鎌倉時代にあった荘園「福田の庄」からきているといわれています。大聖寺藩の頃、町の北半分は

 町人の中でも特定の職人が多く住み、その職種が町名になっていました。その職種とは何でしょう?

 (1)建具  (2)大工  (3)畳刺し

 

問13 大聖寺鷹匠(たかじょう)町

 大聖寺川が町の北側を流れるこの町は大雨が降るとよく水がつきました。水に対する備えとして日頃から

 していたのは次のどれでしょう?

 (1)どの家でも船を持っていた

 (2)床板や畳をはずしやすくし、畳をあげるための台座をそなえた 

 (3)水の浸入を防ぐため、普段から家の周りに土を詰めた袋を用意した

 

正解:問11 (1)  問12 (2)  問13 (2)  

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大聖寺おもしろクイズ(3)・本町~鍛冶町・山田町~法華坊~鉄砲町

2012年10月06日 | 日記

隊員NO.6ちーろで~す(^_^;)

課題研究の時間に実高ふれ愛隊がチャレンジした大聖寺おもしろクイズラリーの問題をご紹介する

第3回目です。今日は、大聖寺の本町~山田町、鍛冶町~法華坊~鉄砲町にかんする問題で~す!

どうぞ挑戦してみて下さい。クイズはすべて3択問題です。問題の下にある写真をクリックすれば、

ヒントがありますよ! (正解は、一番下にあります。)

問7 大聖寺本町

  本町の角に時鐘堂(じしょうどう)と高札場(こうさつば)が復元されています。時鐘堂は何をするところでしょう?

   (1)毎日、時を知らせる鐘をつくところ

   (2)災害時の緊急避難を呼びかける早鐘をつくところ

   (3)お殿様の誕生日やお祝い事、除夜の鐘など季節の節目を知らせるため鐘をつくところ

    

問8 大聖寺山田町・鍛冶町

  大聖寺藩政以前、ここに神明宮がありました。伊勢国山田町大神宮の流れから山田町と呼ばれ、

  隣接している町は鍛冶屋が住んでいたことから鍛冶町と言われました。ところで、城下町の構えをみると町外れが

  鍛冶町になっています。それはどうしてでしょう? 

   (1)火事が町全体に広がらないように、被害を少なくするため

   (2)火を焚く煙による空気汚染を防ぐため

   (3)火を焚く薪が得やすいため

    

問9 大聖寺法華坊町

   「法華坊」という町名の由来はどれでしょう?

   (1)法華坊というお酒が大好きなお坊さんが、この地で酔って大聖寺川に落ち死んだ

   (2)白英法師という日蓮宗のお坊さんがこの地に法華坊という草庵(いおり)をつくった

   (3)日蓮宗の修行道場がこの地にあり、たくさんのお坊さんが住んでいた

   

問10 大聖寺鉄砲町

   城下町には、この町名のついた街並みがよく見られます。どんな由来からこの町名がついたのでしょう?

   (1)鉄砲の練習をする射撃場があった

   (2)鉄砲を売り買いしたり、修繕するお店が並んでいた

   (3)鉄砲を扱う足軽たちがこのあたりに多く住んでいた

   

正解:問7 (1)  問8 (1)  問9 (2)  問10  (3) 

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大聖寺おもしろクイズ(2)・関町~馬場町~山ノ下寺院群

2012年10月05日 | 日記

隊員NO.6ちーろで~す(^_^;)

10月2日(火)の課題研究の時間に行った大聖寺おもしろクイズラリーの問題をご紹介しま~す!

今回は第2回目で、A班の3人(ちーろ、にいな、りか)が挑戦した大聖寺関町・馬場町・山ノ下寺院群に

かんする問題で~す!

みなさんもどうぞチャレンジしてみて下さい。クイズはすべて3択問題です。問題の下にある写真をクリックすれば、

ヒントがありま~す。 (正解は一番下にあります。)

問4 大聖寺関町

 ここ関町は、その町名の示すとおり、江戸時代に関所があった所です。さて、江戸時代、この関所を通れたのはいつ

 でしょうか?

      (1)朝7時から夕方5時まで  (2)一日中いつでも  (3)日の出から日の入りまで

    

問5 大聖寺馬場町

 馬場町という町名には、どんな由来があるでしょうか? 

      (1)江戸時代、「馬場」という家老(お殿様の家来)の屋敷があった。

      (2)江戸時代、藩士たちが馬に乗る練習場があった。

      (3)「馬場」というのは「ゴミ捨て場」という意味で、大聖寺藩の「ゴミ捨て場」があった。

    

問6 山ノ下寺院群

 このあたりは、山ノ下寺院群と呼ばれ、7寺院と1神社が並んでいます。いろいろな宗派のお寺がありますが、

 ここにない宗派はどれでしょう?

      (1)曹洞宗  (2)日蓮宗  (3)浄土真宗

     

正解:問4 (3)  問5 (2)  問6 (3) でした。

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大聖寺おもしろクイズ・大聖寺藩邸跡周辺

2012年10月04日 | 日記

隊員NO.6ちーろで~す(^_^;)

10月2日(火)の課題研究の時間に、大聖寺おもしろクイズラリーにチャレンジしました。

このクイズラリーは、レンタサイクルを使って、歴町センター大聖寺の皆さんが設置された大聖寺町内にある

20枚の掲示板を探り、正解を見つけ出すものです。クイズの問題は合計20問で、

わたしたちふれ愛隊は、3人1組の2班に分かれて、それぞれ10問ずつを答えることにしました。

出発地点は、「大聖寺川流し船乗船場」でした。A班は、ちーろ、にいな、りかの3人、B班は

あさの、あやか、せりかの3人で、自転車に乗って回ったコースは、次の通りでした。

A班 大聖寺藩邸跡(錦城小学校前)→大聖寺城跡→穴虫(現錦町)→関町→馬場町→山ノ下寺院群→本町

   →山田鍛冶町→法華坊町→鉄砲町

B班 八間道→福田町→鷹匠(たかじょう)町→新町→敷地町→大名竹町→耳聞山(みみきやま)仲町

   →木呂場町→弓町→荒町

クイズの結果は、20問中18問の正解、1問5点で90点でした。みんなで頑張りました。

さて、ここで今回の大聖寺おもしろクイズの問題をご紹介します。皆さんもトライしてみて下さい!

今日はAコース第1~3問です。すべて3択ですよ。 (正解は一番下にあります。)

問1 大聖寺藩邸跡(錦城小学校前)  ここは江戸時代、大聖寺藩の藩邸(お殿様の屋敷)があったところです。

    さて、初代大聖寺藩主は、次のうちだれでしょう?

    (1)前田利家  (2)前田利長  (3)前田利治           

問2 大聖寺城跡  錦城山の登り口の近くに、横穴の洞窟があります。この横穴はある目的で幕末から明治にかけて

    つくられたものです。その目的は何でしょう?

    (1)藩の財政を救うため、そこで贋金(にせがね)づくり

    をした  (2)敵から逃げるため秘密の通路をつくった   (3)十一面観音菩薩を置き前田家の繁栄を祈った

問3 穴虫(現錦町)  ここは昔、「穴虫」という地名でした。さて、江戸時代、ここはどんなところだったでしょうか?

    (1)商人の家が多かった   (2)職人の家が多かった

    (3)中級武士の家が多かった

正解:問1 (3)  問2 (1)  問3 (3) でした。

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工芸空間FAISONS(フゾン)・山根大徳先輩

2012年10月03日 | 日記

隊員NO.1あさので~すm(_ _)m

10月2日(火)の課題研究の時間に、大聖寺クイズラリーの一環として、大聖寺山田町にある

工芸空間FAISONS(フゾン)を訪問し、代表の山根大徳(まさのり)さんから、とっても素敵なお話しをたくさん

お伺いしました。山根さん、お忙しい中、本当にありがとうございました!

山根さんはなんと私たち実高生の13年先輩で、情報デザイン科のご出身でした。これまでコンピュータグラフィック

を勉強されてきて、長年の夢だったアトリエギャラリーを昨年5月にここ大聖寺山田町にオープンされたのです。

山根さんの工芸空間FAISONSは、とってもアートで、洗練された空間です。外観は明治13、14年に建てられた

歴史ある大聖寺町屋、そして中に入ると、落ち着いた照明と音楽が雰囲気を醸し出す現代的なアトリエです。

カウンターにあるキャンドルアートはめっちゃかわいくて、気軽にカフェやお酒も楽しめます。

FAISONSとは「作りましょう!」という意味だそうです。ですからFAISONS、単に作品を展示する空間ではなく、

作家のクリエーターとしての構想、制作、発表の場であり、時には ワークショップや教室としても利用できる

多目的スタジオでもあります。

今日は、「藍九谷の宴~山本長左と内弟子達~」という九谷焼の展示が行われていて、山本長左先生のとっても

細やかで素晴らしい作品を実際に手にとって鑑賞させていただきました。

10月5日(金)からは、「ぬいぐるみや絵画など様々なアートの世界」、

10月19日(金)からは「キャンドルアーティストMONの創作キャンドル展」が開催される予定です。

工芸空間FAISONSには、口コミで、金沢や富山など、遠くからの訪問者も増えているそうです。

山根さんは、「大聖寺の町にもっともっといろんなお店ができて、多くの方々が訪れる賑わいのある町になることが

目標です。」とおっしゃっていました。大聖寺中心部にある工芸空間FAISONSに皆さんも是非お越しくださいね!

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レンタサイクルで大聖寺の町をめぐりま~す!

2012年10月02日 | 日記

隊員NO.1あさので~す(^_-)/

台風17号の影響で、たくさん雨が降りましたね。風も強くて、大きな被害が出ないかとても心配でしたが、

みなさんいかがでしたか?今が旬の梨やぶどうの農園の方々はさぞかしご苦労が多かったことと思います。

さて、今日10月2日の課題研究の時間に、わたしたち実高ふれ愛隊はレンタサイクルで大聖寺の町を

クイズラリーします。自転車は歴町センター大聖寺の瀬戸さんにお世話いただき、大聖寺八間道の

大聖寺川流し船・八間道船乗場」でお借りする予定です。

また、わたしたち6人がチャレンジする「大聖寺クイズ」の問題は、

加賀市観光ボランティア大学の竹本利夫学長にご協力をいただき、先生が用意されるものです。

もし、自転車で走るわたしたち実高ふれ愛隊を見かけたら、応援よろしくお願いしま~す!

先生によれば、クイズラリーでは歴町センター大聖寺の皆さんが設置された大聖寺町内にある20カ所の

掲示板を自転車に乗ってたずね、計20問のクイズの答えを当てるものだそうです。

なにかとても難しそうですが、6人が力を合わせて、全問正解を目指したいと思います!

活動の様子は、城下町・大聖寺の魅力とともに、この後UPしていきますので、おたのしみに!!

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