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加賀市観光ボランティア大学第13回講座 「『奥の細道』-芭蕉と山中温泉-」で、講師の西島明正先生
から教えていただいたことをご紹介しています。
1689(元禄2)年8月3日(新暦9月16日)、久しぶりに夕方まで雨が降り続きました。
松尾芭蕉が山中温泉に逗留して7日目のことです。
この頃、芭蕉は金沢から同行している立花北枝の質問に答えて、俳諧のこころを語っています。
その芭蕉の言葉を北枝が書き記したのが『山中問答』です。この『山中問答』は、芭蕉が唱えた
正風俳諧を研究する上でとっても貴重な史料なのだそうです。
『山中問答』
正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に迷はず、烏鷺(うろ)馬鹿(ばか)の言語になづむべからず。
天地を右にし、萬物、山川・草木・人倫の本情を忘れず、落花散葉の姿にあそぶべし。
其すがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして、流行の変にわたる。
然る時は、こころざし寛大にして物にさはらず、けふの変化を自在にし、
世上に和し、人情に達すべしと、翁申たまひき。
自然と人生に基礎をおく民衆的な文学を、「俳諧」という芸術に創り上げたのが芭蕉です。
そして芭蕉自身が諸国を行脚し、深く自然と人生に思いを込めながら広めた俳諧を「正風俳諧」とよびます。
「正風俳諧は万葉集の心なり。されば貴となく賎となく味うべき道なり。」とは芭蕉不滅の名言です。
『山中問答』の中にある「不易の理を失はずして、流行の変にわたる」(=不易流行)という考えは、
芭蕉が『奥の細道』の5カ月の間に体得したものといわれています。
「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、流行(変化)を知らなければ新たな進展がない、
しかもこの不易と流行のもとは一つ、不易が流行を、流行が不易を動かす」
「不易」は変わらないこと、すなわちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、
変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。
逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは
変えていかなければならないもののことです。
「不易流行」はもともと俳諧に対して説かれた考え方ですが、何か人生すべてのことに通じているように
思えますね。
←芭蕉堂
←『芭蕉と山中温泉』(西島明正著)
(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)