実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

曽良との別れ、山中との別れ

2012年10月23日 | 日記

隊員NO.1あさので~す(^_^)v/

これまで加賀市観光ボランティア大学で、西島明正先生から教えていただいたことを、

先生の著書芭蕉山中温泉』を参照しながら、ご紹介してきましたが、

いよいよ芭蕉山中を旅立つ時を迎えました。そして、この旅立ちは「奥の細道」で苦楽と共にしてきた

芭蕉曽良の別れの時でもありました。1689(元禄2)年8月5日(新暦9月18日)のことです。

二人はこれまでの旅を振り返りながら、それぞれの思いを句に託しています。

曾良は腹を病(やみ)て、伊勢の国長島と云う所にゆかりあれば、先立(さきだち)て行(いく)に、

 行行(ゆきゆき)てたふれ伏すとも萩の原    曾良

(病身のまま旅立ち、このまま行けるところまで行って倒れたとしても本望だ。できることなら萩の咲く

野原で死にたいものだ。それくらい旅にかける志である。)

と書置(かきおき)たり。行(いく)もの悲しみ、残(のこる)もののうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて

雲にまよふがごとし。予も又、

今日よりや書付消さん笠の露  芭蕉

(ずっと一緒に旅を続けてきた曾良とはここで別れ、これからは一人道を行くことになる。笠に書いた

「同行二人」の字も消すことにしよう。笠にかかる露は秋の露か、それとも私の涙か。)

また、立花北枝も山中を去る気持ちを

きくの里みるたびなかむゆの名残  北枝

とよみました。

昼頃になりました。芭蕉と北枝は、曽良山中の俳人たちの見送りを受けて、黒谷橋を渡り

那谷寺にむかって旅立ちました。

曽良もまた、燕が南に帰って行くその後を追うように、大聖寺に旅立ったのです。

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