実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

感動しました!『敷地物狂』里帰り公演

2013年09月30日 | 日記

実高ふれ愛隊臨時隊員・みきで~す

9月29日(日)、いよいよ待ちに待った『敷地物狂』の580年ぶりの里帰り公演が

行われました。関係者のみなさんの思いが通じて、最高の秋晴れです。

午後1時の開場とともに、あっという間に用意された座席が埋め尽くされました。

シャトルバスも運行されて、次々と観覧される皆さんが菅生石部神社へとやっておいでます。

わたしたちは、来場された方への座席誘導係をさせていただきました。

「白いチケットをお持ちの方は、背もたれにシールのないお席にお進みください!」

一度に本当にたくさんの方がおいでたので、びっくりしました。

午後2時、開演の時間です。加賀市教育長旭直樹さんのごあいさつ、フリーエディター・

八代有子さんの解説の後、「復活能『敷地物狂』と里帰り公演」をテーマとした対談が

行われました。パネラーは、天野文雄氏(大阪大学名誉教授)、竹田真砂子氏(作家)、

猪俣宏治氏(国立能楽堂企画政策課長)のお三方でした。

『敷地物狂』の世界をつらぬく「向去却来(こうこきゃくらい)」についてや、

今も昔も変わらぬ「母の子への思い」「子の母への思い」が劇中に色濃く表現されている

ことについて、お話を聞くことができました。

そして午後3時から約1時間半にわたって、能『敷地物狂』が上演されました。

とっても静寂な雰囲気の中、580年の歳月を経て、いろんな方々の思いがこもった

鼓や笛の音が菅生石部神社に響き渡りました。

なにか歴史的な時間と場所に立ち会ったようで、すごく感動的でした。

←『敷地物狂』パンフレットより 

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北前船の里・日本一の富豪村だった橋立

2013年09月29日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里

北前船主の粋な生き方-」で、講師の江沼地方史研究会・見附裕史先生から、

かつて橋立がとってもお金持ちの村だったことを示す月刊誌『生活』(1916(大正5)年、

東京博文館刊)の記事について教えていただきました。

この月刊誌『生活』は、現在、北前船の里資料館となっている旧酒谷家を調査している際に、

屋敷から発見された史料だそうです。今日は、月刊誌『生活』に紹介されている橋立村の様子

についてレポートさせていただきます

『北陸線大聖寺駅から一里半の海岸に日本一の富豪村がある。すなわち加賀国江沼郡

橋立村小塩と橋立の両大字(おおあざ)に分かれて戸数は各百五十位ある。此の村には

五十萬円以上が三四名あるが上に、二十萬三十萬の資産家が軒を並べ、五萬以上の家に

至っては村の半分以上を占めている。

・・・日露戦役の国債に同村西出孫左衛門氏が七万五千円、久保彦兵衛氏は七万円も応募

した。西出氏は函館の有力者で八十四銀行取締役、大聖寺川水力電気会社専務取締役、

七、八十万の資産を有する。久保氏は大聖寺川水電社長、大阪肥料問屋として、一、二の

顔である。ついで酒谷長兵衛、酒谷長一郎、泉藤三、増田又右衛門、久保彦助らが指を折れる。

・・・妻君達は亭主がいなくなると「鬼のいぬ間に命の洗濯」とばかりに寛々と手足を延ばして

、間食をはじめる。間食会が隔日位に輪番にそこここの家で行われる。金に任せて良い材料を

選んで菓子製造技術に巧妙なことは驚くばかりである。日永うして海晴れた時の女房達の胸の

中は第一の蟠(わだかま)りのない平和なものである。

・・・村には男がいないから、村長にも村会議員にもなりてがない。村長だけは郡長の古い手を

雇って間に合わせているが、村会は殆ど開かない。村役場の吏員は毎度、海を眺めては大欠伸

ばかりをしている。

・・・大家は家の前の道路に電灯を寄付しているから、闇夜でも真昼のように明るい。電灯は

大聖寺水力電気会社から来るが、会社は殆ど全部この村の人が経営しているのだから

お手のものである。

・・・一村に五十万、百万と云う富豪が数人ある村は、他にもまだ沢山あるが、全村挙げて巨万の

富豪ばかり、且つ村が辺陬で住民が土着の者のみと云うのは恐らく橋立村が日本第一であろう。

・・・加賀の人は橋立を称して「金の三昧」と云っている。加賀で「三昧」と云うのは墓地のこと

だから、「金の三昧」とは「金の墓地」と云うことである。・・・』 

北前船の里”橋立”を訪れると、北前船で巨万の富を築いた北前船主の豪勢な暮らしぶりを

うかがい知ることができます。

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「加賀ふるさと検定」受付開始!!

2013年09月28日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

今年12月1日(日)に開催される第1回「加賀ふるさと検定」の受付が

9月20日(金)からはじまっています。そしてわたしたち実高ふれ愛隊

加賀ふるさと検定」の問題作成に特別協力させていただくことになりました。

130917poster

今年度の出題は「初級」のみです。歴史、文化、芸能、自然、産業、方言、郷土料理、

偉人などの分野から50問と今年のテーマ「九谷焼」に関する問題10問の

合計60問が出題され、正解率70%(42問)以上が合格です。

現在、加賀商工会議所のホームページに、受験のためのウェブテキストや模擬試験が

公開されていて、自由に勉強することができます。

今回わたしたちは、実高ふれ愛隊の活動で勉強したことをもとに、高校生の視点から

何問かの問題を出題させていただくことになりました。10月の課題研究の時間に、

みんなで意見を出し合って、一生懸命問題を作らせていただくつもりです。

「さぁ、どんな問題にしようかぁ?」

お申し込みは、はがき・FAXおよび電話ですることができます。詳しくは

加賀ふるさと検定」ホームページ(加賀商工会議所)を御覧下さい!!

「加賀ふるさと検定」ホームページ(←クリックしてください!!)

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「敷地物狂」の整理券がとどきました!!

2013年09月27日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

大聖寺敷地町にある「菅生石部神社」を舞台とする能『敷地物狂(しきじものぐるい)

の開催日が近づいてきました。能『敷地物狂の公演は9月29日(日)15時からです。

8月末に行われた入場整理券の受付にわたしたちも応募していて、先日整理券が3枚

とどきました。実高ふれ愛隊は、会場の準備と受付業務のお手伝いをさせていただきます。

ご来場のみなさん、ご協力よろしくお願いします。

当日の日程は次のようになっています。

9月29日(日)

13:00 開場

14:00 対談 天野文雄氏(大阪大学名誉教授)、竹田真砂子氏(作家)、

          猪俣宏治氏(国立能楽堂企画政策課長)

15:00 公演 『敷地物狂』

16:30 終了予定

日没~21:00 D-K LIVE デジタル掛軸 長谷川章氏

今から、公演がとっても待ち遠しいですね。当日は混雑が予想されます。みなさん、

お気をつけて会場にお越しくださいね!!

①  ③ 

⑤  

⑦  

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「栢野大杉草だんご」由来記

2013年09月26日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

昨日のブログで栢野大杉茶屋の草だんごについてお伝えしました。

きなこがかかった草だんごは本当においしくて、ほっぺたが落ちそうでしたよ。

そしてお店の方からわたしたちは草だんごについて説明する小さなパンフを

いただいたのですが、そこにこの「栢野大杉の草だんご」の由来について書かれて

いましたのでご紹介させていただきます。

「時は源平くりから合戦の頃、平の馬之助と言う武士が小さな観音像を背負って出陣した。

しかし、篠原の合戦に敗れて馬之助は、観音さまに導かれながら大聖寺川をさかのぼった

ところ「千年杉の杉の森を目指せ」との観音さまのお告げにより、川づたいにたどり着いた

のがこの栢野郷の栢野寺である。白山霊場の一つであった栢野寺は、当時でも杉一本で

百本にも値すると賞賛された杉の森で、そこには一体の妙理観世音菩薩が祀られていた。

傷ついて、寺のお堂で一夜の宿を借りた馬之助の夢枕に観音さまが再び現れ「お前の持って

いる栗によもぎを入れて団子にして食せよ、ただちに傷も癒えよう、さすれば無事に京に帰れ

ようぞ」と告げて姿をかき消した。団子を食べた落ち武者たちは、たちどころに傷が癒え、

五体に力みなぎり、無事に京へ落ちのびたそうな。

以来、この村では、四月十八日を観音さまの日と定め、よもぎ団子を供え、無病息災を念じ、

信心を深めてきたと言う。

それから後、加賀から越前へと越える刈安峠の茶屋でも、峠を行き来する馬方達からとても

喜ばれ、きびや栗でつくられたこの団子は、馬方達の愛馬のそれに似て「馬のくそ団子」と

親しまれたそうな。

この村のきれいな水と村の女たちの手によってかもし出される「馬のくそ団子」の味は、村の

長い歴史と共に育ち、ますますその味を磨いて来たと言う。」

(おまけ)

大聖寺実業高校生が作成した加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧ください!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

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栢野(かやの)大杉茶屋の草だんご

2013年09月25日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

実はわたしたち、10月19日(土)の加賀市観光ボランティア大学の講座で、

山中温泉のガイド体験をさせていただくことになりました。そこで、9月24日の

課題研究の時間に、山中温泉をさらにさかのぼった所にある

栢野(かやの)の大杉に下見に行ってきました。

栢野の大杉」は、樹齢2300年の天然記念物です。1928(昭和3)年に天然記念物に

指定され、1947(昭和22)年10月21日には昭和天皇が御覧になられたそうです。

そこで、隊員7人全員で、大杉を痛めないためにつくられた「浮橋参道」を歩いて、

菅原神社にお参りです。とくに、11月に受験を控えているわたしやゆかぴ・まこは

しっかりと合格祈願をしてきました。

お参りを終えて、神社から出てきたわたしたちに、顧問の先生が、「栢野大杉といったら、

草だんご。さぁ、みんなで味わってみよう!」って、声をかけられました。

店に入って、草だんごを注文すると、お店の方が「薬草茶もどうぞ!」って、とってもおいしい

お茶もサービスしてくださいました。

昔懐かしい素朴な風味のだんごにはきなこがかかっていて、メチャクチャおいしかった

ですよ。何でもこの栢野大杉茶屋の草だんごには、八百年もの歴史があって、はじまりは

「篠原の源平合戦」のころだそうです。別名「馬のくそ団子」とも言うそうですよ!

みなさ~ん!栢野大杉を見学された後には、栢野大杉茶屋の草だんごを

是非食べてみて下さいね!!

(おまけ)

大聖寺実業高校生が作成した加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧ください!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

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『実高ふれ愛隊日記』への応援ありがとうございます!!

2013年09月24日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す

いつも応援していただき、本当にありがとうございます。

4月から、加賀市のたくさんの皆さんに先生になっていただきながら、活動をしています。

ブログ「実高ふれ愛隊日記」にも多くの皆さんにご訪問いただき、とてもうれしいです!

今回は、この4月からわたしたちがまとめた記事のうち、訪問者数が多かったもの(9/22現在)

整理してみました。もしよろしければ、表の中のタイトルをクリックして、お読み下さい

 

記   事

日にち

訪問者数

閲覧数

加賀市橋立町・「お夏ガン洞」の悲しいおはなし

8月17

515

1,241

たくさん閲覧いただき、ありがとうございます!

9月8日

338

967

佐ノ岬・白亜のロマンティック灯台(加賀市橋立町

 8月18

323 

819

大聖寺実高恒例・「夏の草むしり」

 8月22

297 

885 

九谷焼のルーツと東谷地区を訪ねて

 8月21

273 

877 

大聖寺の怪談・耳聞山の長面妖女(ちょうめんようじょ

9月1日

274

1,002

アクセス集中にビックリ!「加賀守岡屋の焼きいなり」

8月19

268

891

「蝶の舞」を見てきましたよ!(菅生石部神社・天神講)

7月26 

266

953 

片山津温泉・山口さんにいただいた素敵なおみやげ 

8月14

 262

  943

10

いつも閲覧ありがとうございます!

8月16

 262

  812

11位「12月に加賀ふるさと検定が実施されます!!」(9/7、261人・789回)

12位「片山津温泉おいしいとこめぐり」(8/15、261人・954回)

13位「赤瓦と煙出しがうつくしい・『加賀ひがしたに地区・大土町』

   (8/25、258人・758回)

14位「再録!複雑な思いで『辻政信』の石碑を見る(今立町)」(8/27、258人・727回)

15位「実高野球部1回戦突破(秋の高校野球」(9/9、258人・676回)

16位「おかえりなさい!寺口先生(U18野球日本代表のアシスタントコーチ)

   (9/11、258人・909回)

17位「実性院・白萩が咲き始めました!」(9/10、251人・751回)

18位「とってもたのしい『らくやき体験』(大聖寺・翠雲窯)」(9/13、252人・931回)

19位「旧北前船主邸の壁板に穴がたくさんある理由」(9/16、247人・991回)

20位「北前船』を決める3つの定義」(9/18、241人・974回)

などを多く見ていただきました。

最近はU18野球日本代表アシスタントコーチを務められた寺口結先生の記事や

本校OBで、7月のボクシングアジア大会で第3位に入賞された柏崎刀翔先輩の

記事へのアクセスがとても多かったようです。

先日、大聖寺実業高校の二期生の方から応援メッセージをいただきました。

ありがとうございました!これからも実高ふれ愛隊7人みんなで頑張りますので、

応援よろしくお願いします!!

(おまけ)

大聖寺実業高校生が作成した加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧ください!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

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加賀橋立・散策モデルコースをご紹介します!

2013年09月23日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

9月21日(土)の加賀市観光ボランティア大学第12回講座で、北前船の勉強をしながら、

加賀橋立町を散策しました。そして、わたしたち受講生は、橋立町を案内するとっても

すてきなマップをいただきました。そこで今日は、このマップで紹介されている加賀橋立

散策モデルコースをお知らせします。橋立の町中は、石畳やアスファルトで舗装されている

ので歩きやすいのですが、所々に古い石階段があったり、岬に近いところでは舗装されてない

道があるので、ウォーキングシューズがおすすめですよ。

(1)山崎通り・・・CANBAS停留所から最も近いコースです。資料館を見学した後、

石畳の道を歩いて蔵六園の庭園を眺めてみましょう。もう少し歩くと出水神社があります。

この神社は、船主たちが航海の安全祈願や、無事に航海を終えたことを感謝し、船絵馬を

奉納した神社で、橋立町の守り神がいます。

(2)新町通り~米木通り・・・資料館前から北前船主が眠る墓地までのコースです。石垣が連なる

増田又右衛門邸や西出孫左右衛門邸を眺めて歩けば、富豪村といわれた往時の橋立町の

繁栄ぶりをしのぶことができます。

(3)眺望の通り~サマンダ通り・・・天気のいい秋から冬の日には、美しい白山の姿を見ることが

できる素敵なコースです。橋立町のほぼ中心を走る「サマンダ通り」(昔あった町の三昧がなまって

名付けられました)は、北前船主邸を一番たくさん見ることができますよ。家々の赤瓦がとっても

美しい加賀橋立ならではの風景です。

(4)アジサイ通り・・・初夏にキレイなあじさいを眺めながら歩くことができます。途中に見える

「ジゲハマ」は、昔その沖合に北前船が停泊し、伝馬船で荷物のあげおろしをしたところです。

また「ジゲハマ」の駐車場には口語短歌をひらいた北前船主西出家出身の西出朝風の碑が建って

います。加佐ノ岬までの坂道を上がって、「加佐ノ岬倶楽部」でランチはいかがですか?

この秋、北前魂が静かに休息する町・加賀橋立を散策して、みなさんも、癒されてみませんか?

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北前船の里・加賀橋立を歩きました!!

2013年09月22日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

9月21日(土)13時30分から北前船の里・加賀橋立町で、加賀市観光ボランティア大学

第12回講座「名物ガイドと歩く北前船の里-北前船の栄華をこの目で-」が開かれ、

今回はわたしとNO.5いくのの2人が参加させていただきました。

今日の講師は橋立の名物ガイド呉藤光次さんでした。呉藤さんは、おもしろくて、とっても

わかりやすいお話をわたしたちにして下さいました。呉藤さん、本当にありがとうございました。

わたしたちは、北前船の里資料館に現地集合した後、橋立町の代表的な散策コースである

「山崎通り」や「サマンダ通り」「ジゲ浜」などをご案内いただきました。そして散策した後は、

北前船の里資料館」の館内をくわしく解説していただきました。

この日は雲一つない秋晴れで、まるで夏のような陽気になりました。北前船主の邸宅の

特徴である「虫喰い板」「笏谷石(しゃくたにいし)」「赤瓦」についても呉藤さんに解説して

いただき、美しい橋立の町を楽しく散策することができました。

途中、呉藤さんはわたしたち2人に「YOU、井戸水を汲んだことはあるかな?」って

質問されました。NO.5いくのの住む町には、今もたくさん井戸があるので、いくのは

上手に井戸水を汲むことができましたよ。

←福井別院橋立支部の鬼瓦

そして、北前船の里資料館」では貴重な資料をたくさん見学できました。

北前船の里資料館」は今年開館30周年を迎え、この日から特別展である

加賀市の船絵馬展」が行われていました。

みなさんも、ぜひ橋立町を訪れて、北前船の里の魅力を実感してみてください!!

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らくやき品評会です!!(らくやき体験工房・翠雲窯)

2013年09月21日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す 

9月10日と17日の2日にわたって、らくやき体験工房 翠雲窯」にお伺いし、

らくやき体験をさせていただきました。そしてついに、わたしたちの作品が完成しました。

講師の荒木実さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。

出来上がった作品について、隊員一人ひとりが説明をして、品評会をしました。

まずはNO.1いぶの作品。 大皿にひらめの絵を描きました。真っ赤なくちびるが

チャームポイントです。NO.2ゆきちはラーメン用のどんぶりとご自慢のキリンちゃん。

おいしいラーメンが食べれそうですね。NO.3ゆかぴは、うす緑色のお茶碗。

ここで、荒木さんからアドバイスをいただきました。

「どの作品も素敵に仕上がりましたね。いぶさんのひらめは、もう少し縁側によせて

絵を描くと、違う味わいになるかも知れませんね。ゆきちさんのどんぶりは、もっとも

飽きの来ないいい色ですよ。ゆかぴさんは今度作るときは、茶碗の上と下で色に変化を

与えてみて下さい。

NO.4まこは、ハートのペンダント。最初は箸置きのつもりでしたが、荒木さんが

ペンダントにすることを薦めて下さいました。NO.5いくのの大皿には、「かいらぎ」という

手法を使って、グラデーションが施されていました。霧吹きを使って、色が内側に向かって

少しずつ変化していてキレイです。わたしのお皿も鮮やかな青色が出ていて素敵でしょ!!

NO.7ゆっこは、家で飼っているワンちゃんのお碗です。荒木さんもワンちゃんが

食べやすいように、よく工夫されていますと、誉めて下さいました。

顧問の先生も、わたしたちが知らないうちに、荒木さんから素焼きされたぐいのみを

いただいて、作品を作っていました。そして、いぶが余った粘土で使った小さな灰皿を

作って、「先生、タバコの吸いすぎはダメよ!」ってプレゼントしました。

今回のらくやき体験、本当に楽しかったです。「機会があったら、また挑戦しようね!」と、

みんなで話をしました。

らくやき体験工房 翠雲窯」のお隣「実性院」の萩も見頃になっていました。

みなさんも、大聖寺下屋敷町の「翠雲窯」でらくやき体験してみませんか?

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作品の完成で~す!!(らく焼体験工房・翠雲窯)

2013年09月20日 | 日記

隊員NO.5いくので~す 

課題研究の時間、2週にわたって、らくやき体験工房 翠雲窯」にお伺いし、

らくやき体験をさせていただきました。さぁ、いよいよ作品の完成です。

窯の温度計の数字は、約850度。真っ赤な窯の中から、講師の荒木実さんが

わたしたちの作品を次々と取り出して下さいました。

「わぁ~、キレイ!」釉薬をつけたときとは違う色合いに作品が仕上がり、

感激です。「パリ、パリ、パリ」と取り出された作品は、外の空気に冷やされて音を

立てています。そして時間が経つと、少しずつ色が変わってくるので、

とても不思議な感じでした。

NO.3ゆかぴが自分の作品を見て、「思ったより、色が薄いなぁ~」とつぶやくと、

荒木さんは「もう一度釉薬をつけて、二度焼きしましょう!」とアドバイスして下さい

ました。わたしの作品ももう一度吹きつけをして、焼いてみました。

みなさ~ん、実高ふれ愛隊メンバーのらくやき完成ですよ~!

NO.2ゆきち自慢の愉快なキリンさんも、すてきに焼き上がっていました。

キリンさんの背中にはちゃっかり「くまもん」の人形が乗っています。

わたしたちはこの後、隊員一人ひとりが自分の作品を自己評価しながら、

品評会をしました。その様子については、明日ご報告しますので、

よろしくお願いしま~す!

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いよいよ窯入れで~す!!(らく焼体験工房・翠雲窯)

2013年09月19日 | 日記

隊員NO.4まこで~す 

9月17日(火)の課題研究の時間、先週に引き続いて、大聖寺下屋敷町の

らくやき体験工房 翠雲窯」にお伺いし、隊員7人全員でらく焼に挑戦しました。

翠雲窯」のご主人・荒木実さんに教えていただきながら、今週はいよいよ

窯入れです。とてもワクワクした気分になりました。

この日は台風18号も過ぎ去り、台風一過の素晴らしい秋晴れになりました。

この日の朝7時から、荒木さんはわたしたちのために、先週わたしたちが作った

作品を素焼きして下さったそうです。素焼きの時間は約1時間半ですが、素焼きを

する前に、窯を焚き、窯の温度を800度に安定させなければなりませんから、

約3時間の時間がかかったそうです。

素焼きを終わった作品は、わたしたちが思っていた以上に、よい出来に仕上がって

いました。さぁ、上塗りの開始です。

荒木さんは、とっても丁寧に、釉薬のかけ方や絵付けの仕方について説明して

下さいました。釉薬の種類は全部で16種類。無鉛のものには、紺・緑・青・空・紫・

透明・黒・黄・赤・白が、有鉛には三彩飴・飴黒・飴・黄・濃緑・透明の色がありました。

釉薬は「どぶ付け」しました。これはバケツに入った一つの色をどぶんとつける方法です。

1,2,3と数えながらつけます。「あまりつけすぎないほうがいいよ!」と荒木さんは

アドバイスしてくださいました。その他にも濃い色をつけたあと、薄い色をつける方法や

「吹きかけ」などについても教わりました。

NO.1いぶとNO.2ゆきちは、絵付けにチャレンジです。「陶芸本焼き絵の具」を

荒木さんに用意していただき、時間をかけて色づけをしました。

どんな絵に仕上がるのでしょうか?

わたしたちがワイワイと作業をしている間に、荒木さんは本焼きの準備をされています。

窯の温度計の数字は、約850度。近くによると、顔が熱くなる温度です。

いよいよ本焼きです。わたしたちの作品はどんな風に仕上がるのでしょうか?

完成した作品については、明日のブログでご報告させていただきますので、お楽しみに!

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「北前船」を決める3つの定義

2013年09月18日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里で、

講師の見附裕史先生から「北前船とは何か?」について、「北前船」を

北前船」と決める3つの定義をもとにお話しいただきました。

その3つとは、北前船」という商売をする船を決める絶対不可欠の要件

ともいえるもので、航路、②経営形態、③船籍のことです

まずは、「航路」です。北前船は大坂を基地として、瀬戸内海から赤間関

(今の下関)を通り、日本海の各港をへて北海道を往復する西廻り航路を主としました。

なかには国後島や択捉島で鮭・鱒を獲り、太平洋側を通って帰る船もありましたが、

一般には西廻りがほとんどでした。とくに加賀の船主たちには冬の間、船を囲っておく

良い港がなかったこともあって、商品を仕入れることの多い大坂を出発点にしていたようです。

次は「経営形態」です。北前船」は「菱垣廻船」や「樽廻船」とはまったく違う経営の形を

とっていました。「菱垣廻船」・「樽廻船」は賃積船(運賃船)といって、船主≠荷主であり、

船主は荷主から運賃をもらって商売をする船でした。それに対して「北前船」は

買積船といって、船主=荷主で、船主が商品をいろんな所で売買し、仕入れ値と売値の差

(利ざや)を稼ぐ形態をとっていました。ですから、「菱垣廻船」・「樽廻船」と違って、

儲かるときにはまるでばくちのように莫大な利益が出ました。反対にいったん時化にでも

あって、船が沈もうものなら、一瞬にしてすべての荷物も失い、とんでもない大損をする

命がけの商売でもあったのです。

三つ目は「船籍」です。見附先生は「これこそが北前船を定義づける上で、とても重要な点

なんですよ!」って、説明されていました。

江戸時代後期に活躍した高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ、1769~1827年)という有名な

廻船業者・海商がいました。かれも「北前船」と同じ西廻り航路を使い、買積船の形態で

成功した人物です。ですが彼の船はけっして「北前船」と呼ばないのです。なぜかといえば、

彼が淡路島の出身で、船籍が「北前」(日本海沿岸)ではないからです。

それでは、高田屋嘉兵衛の船のような「北前」以外の船籍の船を何といったかというと、

大坂では「北廻地船(きたまわりじぶね)」と呼んでいたようです。1838(天保9)年の史料

『日本船見細見記(にほんふなじほそみのき)』によると、大坂にやってくるいろんな船の

船着場所はちゃんと決められていて、「北前船」は難波に、「北廻地船」は

”まえだれしまへん”という場所に係留することが定められていました。ですからこの史料に

よっても、大坂の人は江戸時代北前船」と北廻地船」は別物であると考えていたことが

分かるのです。

以上のことをまとめると、「北前船」は、

江戸中期から明治末期にかけて、大阪を起点に、日本海を抜け北海道までを往来した

買積み形式の廻船で、北陸を中心とした人々の持ち船もしくはその商いの形態。

と説明することができます。

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北前船・「北前」の意味を知る決定的史料

2013年09月17日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

加賀市観光ボランティア大学第11回講座日本一の富豪村・北前の里で、

講師の江沼地方史研究会・見附裕史先生から教えていただいたことを

レポートさせていただいてます。

北前船の「北前」という意味をみなさんはご存じですか?

従来「北前船」とは、①北を前にして進んだから、②北海道松前から来る船だから、

③北回り船の呼び名が変わっった、④北の米(きたのまい)が変わった、などを理由に

名付けられたと考えられてきました。しかし、さまざまな研究の成果によって

これらの説は覆されることになりました。そして北前船の「北前」という名前の本当の

意味を知る決定打となる史料が発見されたのです。それが1579(天正7)年に安芸

(いまの広島県)の武将吉川元春(きっかわもとはる、毛利元就の次男)らが厳島神社に

あげた戦勝祈願文です。

「敬白 願書  厳島爾大明神 御宝前

右意趣者 今度北前之弓矢於任本意者 一所可寄進者也 仍願文件如

天正七年十二月十四日 元春 元棟 経言 元長」

この史料には、「今度北前と弓矢を交わすが、神のお力により、われわれの思い通り

勝利することができたら、神社に捧げものをいたします」という意味のことが書かれて

います。また、この年、吉川元春が「北前」という地域の武将と戦をしたことも分かります。

ですから、このときに吉川元春が誰と戦ったかを調べれば、北前」とはどの地域をさす

のかが特定できるのです。そして研究により、このとき吉川元春らが戦った相手が

因幡・伯耆(いまの鳥取県)一帯を支配し、織田信長側についていた南条元続らで

あったことがわかりました。そのことから、その当時、瀬戸内地方に住む人たちが

北前」という名前で、日本海側の地域を呼んでいたことがはっきりしたのです。

またその後の調査で、この史料と同じような意味で、瀬戸内地方の人が日本海側の

地域のことを「北前」とあらわしているものがたくさん見つかったそうです。

これらのことから、「北前船」という呼び名はもともと、日本海側の船が瀬戸内や大坂港に

入港した時、その土地の人びとがその船をさして呼んだ名前であったとする説が定着しました。

そしてもともと瀬戸内・阪神地方で、日本海側の陸地をさす語だった「北前」が、海をもふくめる

意味に拡大解釈されていったことも分かってきました。

ちなみに、瀬戸内地方の人々は、京・大坂のことを「上口」、九州地方を「下口」、四国の

太平洋岸の地方を「東前」と呼んでいたようです。

以上のことから、北前船」とは、北国の船主の持ち船で、日本海側から下関を回って大坂など

にくる船をさす瀬戸内や阪神地方の呼び名といえるのです。

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旧北前船主邸の壁板に穴がたくさんある理由

2013年09月16日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

9月12日(木)の加賀市観光ボランティア大学第11回講座

日本一の富豪村・北前の里-北前船主の粋な生き方-」で講師の

江沼地方史研究会・見附裕史先生から教えていただいたことをレポートしています。

現在「北前船の里資料館」となっている建物は旧北前船主・酒谷邸です。

酒谷家は、江戸時代後期から海運業を営み、橋立では西出・久保・増田家などに

次ぐ大船主の家柄でした。1888(明治20)年の小松税務所管内での所得調べでは、

酒谷家の年間納税額が3,317円となっていて、とんでもないお金持ちだったようです。

ところで、今の橋立町には、旧北前船主の邸宅が酒谷家のものも含め、たくさん

残っているのですが、不思議とどの家の壁板にも無数の穴が開いています。

みんなとっても豪邸ばかりなのに、なんで壁板に穴が開いているのでしょうか?

その答えを見附先生が教えてくださいました。

橋立町の旧北前船主邸には、もともと北前船の船底に使われていた「虫食い板」と呼ばれる

板が使われていたからです。木造船の船底には、船喰虫(フナクイムシ)という二枚貝の仲間

が寄生し、巣を作るために、無数の穴が開けられるそうです。船喰虫はゴカイに小さな殻を

つけたような姿をしていて、その固い殻で木に穴を開けます。そしてできた穴の内側に

薄い石灰質の膜を貼り付けて巣を作るのです。「板子一枚下は地獄」の北前船にとって、

その船喰虫が開ける穴は最大の敵でした。そこで毎年航海が終わったあとには、

必ず「たで場」という所で、船の底を外から火であぶって、船喰虫を殺したり、船板にしみ込んだ

水分を除いたりする作業をしたそうです。そして船喰虫はなぜか板を二枚重ねると、外側にだけ

穴を作る習性があります。そこで北前船では、船を守るために板を二枚重ねにして、「包み板」と

して使った外側の板を定期的に取り替えたのです。そしてこのときに取り外した虫食い板」を、

塩水に強く風にも強い性質をもっていたため、海に近い橋立町の家の板塀として再利用したのです。

なお、現在トンネルをつくるときに使われている「シールド工法」というのは、木材の虫害について

研究していたイギリスのエンジニア・マーク=ブルネルが、船喰虫の習性をヒントに編み出した

のだそうですよ。おもしろいですね!

明日も「北前船」のレポートをさせていただきますので、よろしくお願いします!!

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