隊員NO.5あやかで~す!
わたしたちは課題研究の時間に「加賀の一向一揆」について調べるために、
山中町菅谷にある徳性寺へ行ってきました。そして徳性寺のご住職の春木秀城さんに
ここ西谷地区の人びとが蓮如のことをとても慕っていたことを示す逸話があることを伺い
ましたので、ご紹介します。
それは、大内村のおさよ婆さんのお話です。
「般若窟(はんにゃがいわや)」
般若窟とは、下流対岸の「簾滝(みすたき)」を登ること一、五〇〇m幅二十七m、
高さ六m、奥行一〇mからなる洞窟である。
この洞窟に、浄土真宗中興の祖、蓮如上人の石像が安置されている。
蓮如上人は、文明三年(1471)吉崎御坊を開寺され、北国の布教の拠点とされ
越前郷を教化巡錫(きょうげじゅんしゃく)の折、平泉寺、豊原寺の天台の衆徒に追われ
竹田村から大内峠を越えて、難を逃れようと村びとに救いを求めた。
村人のおさよ婆さんは、上人を「ムギワラ」の中に隠しその場を凌ぎ、次いで
この般若窟に匿(かくま)い、風雨霜雪を冒して三度の食事を運んだ。然し、入山搬入
していることが、発覚する恐れから、ワラジを反対に履いて通ったと云う。
やがて難を逃れた上人は、洞窟を出られ山中方面に向かわれた。
御札に六字尊号(そんごう)を、この婆さんに書き与えてその労苦をねぎらわれた。
また、この般若窟の岩肌に生じている人体の型の凹所は蓮如上人の寄りかかった痕
であると伝えられる。不思議な痕跡(こんせき)ではあるが、この地訪ねる人も多い。
平成十四年六月 大内村誌
大内町に行くと、国道沿いに上のような説明が書かれた案内板があって、般若窟へ行く
登山道もあるそうです。でも今はあまり整備がされてなくて、歩くのに苦労するだろうなぁ
とご住職の春木さんはおっしゃっていました。
みなさん、来年の春になったら般若窟への冒険に出かけてみませんか?
みなさん今年4月からいつも『実高ふれ愛隊日記』を応援いただき、本当にありがとうございました。
年が明けた1月からはこの1年間の研究のまとめについてご報告させていただきますので、
2013年もよろしくお願いします。
みなさん、良い年をお迎え下さい!!