実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

天然記念物「鹿島の森」に行ってきました!!

2013年06月30日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

 

わたしたちは6月25日(火)の課題研究の時間、福井県との県境にある

鹿島の森」に行ってきました。

最初に越前吉崎に行って、「鹿島の森」の全景を見ました。鹿島の森」は

まるで北潟湖にこんもりと浮かんでいるような美しい島ですが、実は陸続きに

なっています。時々北潟湖の湖面に魚がピョンピョン飛び跳ねるのが見えました。

「あれって、とびうお?」って質問に対して、先生は「ありゃ、ボラっていう魚や

と思うぞ。スズキのような大きい魚に追われて、逃げ場を失って、

飛び上がっとるんとちがうかなぁ」とおっしゃっていました。そして先生は、

「ボラはカラスミとか天ぷらにすっと、うまいんや。」なんて、のん気なことを

言われてましたが、「頑張って、逃げるんやよ!」って、みんなで応援しました。

その後、みんなで「鹿島の森」に行きました。

わたしと隊員NO.4まこは4月27日の加賀市観光ボランティア大学の講座に

続いて2回目の訪問です。ボラ大のときに、講師の村谷邦彦先生から、

鹿島の森」って、標高約30m、外周600m、面積約3haの小さな島ですが、

その植生をみると、とっても貴重な森であると教えていただきました。

鹿島の森」には古くは天台宗の霊場、そして江戸時代には法華宗の道場があったので、

数百年斧を入れることがなかったそうです。ですから、「鹿島の森」は、

人間が手をつけなければ最終的にそういう森になるというぐらい、とても貴重な森です。

タブノキ、スダジイ、ヤブニッケイといった常緑広葉樹が森をおおい、

100年かかってやっと1cm積もるという落ち葉の層が、なんと10cmもあって、

森を歩くと、とってもふわっふわっな感じがします。

鹿島の森」は1938(昭和13)年に、国の天然記念物に指定されています。

わたしたちはこの「鹿島の森」で「アカテガニ」を観察してきました。

明日のブログでご紹介しますので、よろしくおねがいします!

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再録・卵は立ちます!中谷宇吉郎『立春の卵』大実験

2013年06月29日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^o^)

6月25日(火)の課題研究の時間、片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を

訪問しました。ここで今年2月2日付けで、あやか先輩がレポートされた

卵は立ちます!中谷宇吉郎『立春の卵』大実験」の記事を再録させて

いただきます。みなさん、どうぞお読み下さい!!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「立春」は「冬至」と「春分」のちょうど中間で、あったかい地方では梅も咲き始めます。

ところでみなさん、加賀市片山津出身の物理学者・中谷宇吉郎が書いた『立春の卵』という

随筆をご存知ですか?そしてを割らずに立てることができるって知ってましたか?

先日、「中谷宇吉郎・雪の科学館」の指定管理を受託しているNPO法人

I Love 加賀ネット」の理事長・川口泰之さんからお電話をいただきました。

「ブログ拝見してますよ。頑張ってますね。実高ふれ愛隊の6人は、中谷宇吉郎の

立春の卵』のこと知ってますか?」とおっしゃって、立春の卵』のことを

教えて下さいました。

「昭和22年2月6日の朝日本の新聞各紙は、日本や中国だけでなく、アメリカや

イギリスでも、『立春の日にが立つ』という中国の故事の再現実験が行われ成功したと、

写真つきで報道し、日本中が立春の卵』の話題で大騒ぎになりました。

ところが、その記事を読んだ中谷宇吉郎は、朝食後すぐに実験を開始し、

が立つのは「立春の神秘」などではなく、いつでもどこでも「物理的に可能」なこと

(=接点が3つあれば立つ)を実証したのです。

だから中谷宇吉郎割らなくても立つことを証明し、コロンブスの以来の

人類の常識をくつがえしたともいえます。

そのことが立春の卵』という随筆を読むとよ~くわかりますよ。」

そして「もうすぐ立春です。実高生のみなさんも学校で立てをやってみると

おもしろいですよ!実験の結果を教えてください!」とアドバイスをいただきました。

そこで、わたしたちは先生にもご協力いただき、地歴・公民科の授業で郷土学習として、

「中谷宇吉郎を知ろう!立春の卵』・立て大実験」を行いました。

上の写真は、情報ビジネス科2年の実験の様子です。

はちゃんと立ちました!「やった~!」開始30秒でまず1個目が、そして10分も

たたないうちに、つぎつぎと7回もが立ちました。

あせらず、ひたすら、「は立つんだ!」という信念を持って、集中して続けると、

意外とかんたんにをは立ちましたよ。みなさんも、チャレンジしてみてください! 

(おまけ)

バージョンアップした加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧下さい!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

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「一番大切なのは、役に立つことだよ」・中谷宇吉郎の科学する心

2013年06月28日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^o^)

6月25日(火)の課題研究の時間、片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を

訪問しました。そしていろんな科学実験を体験させていただき、

「へぇ、どうして?」「わっぁ、キレイ!」「やってみたい!」っていう気持ちを

たくさん感じることができました。

中谷宇吉郎は20歳代の頃、東京大学理化学研究所で、

災害は忘れた頃にやってくる!という言葉で有名な

寺田寅彦先生(1878~1935年)から物理学の基礎を学びました。

そして寺田寅彦先生が、研究や実験の際に常々言われていた言葉が、

一番大切なのは、役に立つことだよ」でした。

当時の理化学研究所は、若い研究者がお茶を飲みながら、思い思いの

意見を出し合い、自由に意見を交流できる学問・研究のモデルのような

雰囲気だったそうです。

中谷宇吉郎の「科学する心」はそのような中で花開いたのだと思います。

若い研究者たちはとかく”学位”や”名誉”に走りがちな学問とは違う、

「それはなぜ?」という知的好奇心にもとづいた研究に没頭していきました。

科学というものはもちろん、「いつでも、どこでも、誰がやっても」同じ結果が

出る再現可能性を発見するための学問でしょう。

でも、中谷宇吉郎の研究にはいつも「永遠に変わらない一つの真実」を

求めるだけでなく、人間の切り口一つで自然の真理を浮き彫りにできる

という確信があったように思えます。

そして、「をとことん観察していこうとした行動のバックボーンには、

いつも自然への畏敬の念や人間のあたたかな「まなざし」が感じられます。

近年「着氷研究」や「凍上研究」など、人びとの実生活に役立つ研究をした

中谷宇吉郎業績が再評価されています。

雪は天から送られた手紙である

という言葉には、科学者・中谷宇吉郎の人となりが凝縮されています。

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「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」・中谷宇吉郎の科学する心

2013年06月27日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^^)

6月25日(火)の課題研究の時間、片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を

訪問し、館内を角谷主任にご案内いただきました。

雪は天から送られた手紙であるというとてもロマンティックな

言葉で知られる中谷宇吉郎は、1900(明治33)年7月4日、片山津温泉

生まれました。生家はかつて、今の検番「花館」の前にあって、

呉服屋雑貨の店を営んでいました。

中谷宇吉郎随筆集』(岩波書店)に掲載されている私の生まれた家』には

次のような記述があります。

『・・・小学時代の片山津は、片側が薬師山、今一方の片側は、柴山潟という湖に

はさまれた、一本道の村落であった。私の家は、呉服雑貨店をやっていて、・・・』

宇吉郎は幼少時代、大聖寺の親戚の家に下宿し、京逵幼稚園と錦城小学校に

通いました。そして毎週土曜日になると歩いて家に帰り、月曜日には動橋から

汽車で大聖寺に出かけたといいます。錦城小学校には、宇吉郎が5年生の時に

描いた竹の絵が残っているそうですよ。

同じく『西遊記の夢』には「・・・その頃の加賀の旧い家には、まだ一向一揆時代の

仏教の匂いが幾分残っていた。・・・老母は、仏壇の前にきちんと坐って、

朝晩お経をあげていた。・・・」とあります。

そして宇吉郎簪(かんざし)を挿した蛇』の中で次のように述べています。

「本統の科学というものは、自然に対する純真驚異の念から出発すべきものである。

不思議を解決するのが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも

科学の重要な要素であろう。」

ふるさと加賀での幼少期、もうすでに科学する心」を育んでいた中谷宇吉郎に、

研究者としての基礎を教えたのが、東京大学理化学研究所の恩師・寺田寅彦でした。

火花放電の研究で線香花火のさまざまな美しい形をみながら、寺田寅彦

中谷宇吉郎に問いかけました。

ねぇ君、不思議だと思いませんか?

宇吉郎の「形の物理学」はこのときに始まったといえます。

「それは何?」という不思議が「それはなぜ?」へと変わったとき、

彼の科学する心」が伸びやかに解き放たれたのです。

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「中谷宇吉郎雪の科学館」に行ってきました!!

2013年06月26日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^^)

6月25日(火)の課題研究の時間、片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を

訪問し、とっても貴重な勉強をさせていただきました。

実高ふれ愛隊の7人のうち6人は、小学校の郷土学習で「雪の科学館」を

訪れたことがあったのですが、わたしはあわら市の吉崎小学校出身で、

今回が初めての訪問でしたので、すごく楽しみでした。

館内をガイドの角谷さんや古川さんにとっても丁寧にご案内いただき、

感激しました。ちなみに角谷さんは大聖寺実業高校の大先輩でした。本当に

ありがとうございました!

角谷さんには、最初に展示をご案内いただきながら、片山津で生まれ

大聖寺で育った中谷宇吉郎の生い立ちについて、解説していただきました。

そして今の東京大学理学部物理学科に進学し、恩師・寺田寅彦との運命的な

出会いをきっかけに、科学研究の基礎を学んだことをご説明いただきました。

14時からはシアターにおいて、中谷宇吉郎の生涯についてまとめた

「科学する心」という題名のDVDを鑑賞させていただきました。

DVDでは先生がウィリアムス・A・ベントレーという一人の農夫が撮った

の結晶」の顕微鏡写真の不思議に触れ、「」の研究に没頭していったことや、

恩師・寺田寅彦先生の「大切なのは、人の役に立つことだよ」という言葉を胸に

一生涯「」の研究に打ち込まれたことの紹介があって勉強になりました。

シアターを出た後は、いよいよ科学実験です。

ダイヤモンドダストを作る実験」「過冷却水をつかった氷筍づくり実験

そして「シャボン玉を使った雪の結晶づくり実験」などを体験させていただき、

不思議を心いっぱいに感じることができました

実験の後は屋外の中谷宇吉郎が研究に命を燃やしたグリーンランドから

運ばれた石の上を歩かせていただきました。建物のガラスがまるで鏡のように

私たちの姿を映し出していました。

最後には、加賀の発展と心豊かなまちづくりにご尽力されている

「I Love 加賀ネット」のみなさんが今年3月末に植樹された「高峰桜」も

見学させていただきました。

明日のブログでも、「中谷宇吉郎雪の科学館」で学んだことを

レポートさせていただく予定です。よろしくお願いしま~す!!

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「加賀温泉郷おやつきっぷ」の旅を満喫しました!!

2013年06月25日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す(^_^)v

6月18日(火)の課題研究の時間、加賀市観光交流機構の特別の

ご配慮により、加賀温泉郷おやつきっぷ使用して、

加賀市のおいしいもの探しの旅をしました!!とっても楽しい3時間でした!

わたしたちは、前日からKAGA旅・まちネット」のホームページより

ダウンロードした資料を見ながら、「何を食べようかなぁ?」と作戦を練りました。

本当は加賀温泉郷おやつきっぷを利用できる市内24店舗全部に

行きたかったのですが、時間の都合でいくつかに絞らなければなりません。

そこで私たちの出した結論は、お昼ゴハンを少なめにして、コロッケの

食べ比べをするために、山中温泉の「肉のいづみや」さんと片山津温泉の

肉のはまなか」さんへお伺いする案でした。先生からは、

「そんなもん、お腹いっぱいになって食べられんぞ!」という忠告がありましたが、

「大丈夫。完食します!!」と宣言をして、旅を開始しました。

加賀温泉駅KAGA旅・まちネット」→山中温泉ゆげ街道・肉のいづみや

→山代温泉湯の曲輪(がわ)・「総湯売店」&「はづちを茶店」→片山津温泉・

肉のはまなか」→加賀橋立・「ヴァン・ベール美岬」の順にめぐる

加賀温泉郷おやつきっぷ」の旅です

コロッケ対決は肉のいづみや」さんも片山津温泉の肉のはまなか」さんも

どちらともおいしすぎて、引き分けでした。どちらも「おやつきっぷ」1枚で2つも

コロッケが食べられます。加賀市で宿泊をされる皆さん、絶対おすすめですよ!!

デザートのソフトクリームはNO.4まことNO.5いくのが「温玉ソフト」、その他の5人が

「はづちを茶店」のミルクソフトクリームです。本当はどっちとも食べてみたかったなぁ!

最後に加賀橋立の「シーサイドガーデン&カフェ ヴァン・ベール美岬」に行って、

手作りクッキーをゲットです。

学校の終礼の時間に遅れそうになって、とっても慌ててしまいましたが、

加賀市のおいしいお店をいっぱい訪問させていただき、すごく楽しかったです。

加賀市観光交流機構」とKAGA旅・まちネット」、そして各お店の関係者の皆さん、

本当にお世話になりました!

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「民家の甲子園」最優秀作品は加賀橋立の情景!

2013年06月24日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(*^_^*)

 

昨日ご紹介しましたように、わたしは6月23日(日)、臨時隊員かなちゃん、

けいすけ君と一緒に羽咋市の宇宙科学博物館コスモアイル羽咋で開催された

第11回『民家の甲子園石川県大会』に参加して、「実高ふれ愛隊」の活動に

ついて発表してきました。わたしたちは加賀市の魅力について精一杯お伝え

したつもりですが、会場においでた皆さん、いかがでしたか?そしてお世話

いただきました「石川県古民家再生協会」のみなさん、ありがとうございました!

さて、会場となったコスモアイル羽咋は、県内22校29チームの高校生や

先生方、そして石川県古民家再生協会の会員の方々が集まり、熱気に

包まれていました。そして開会の前には、鶴来高校ジャズバンドや

金沢市立工業チアリーダーのアトラクションもあって、とっても華やかでした。

今年の課題である「生」をテーマに、各チームが5枚の写真作品と、PR文章力、

プレゼンテーション能力の総合点で競うこの大会で、見事団体最優秀賞を

受賞したのは、小松高校でした。

小松高校の5人のみなさん、本当におめでとうございます。

みなさんが浴衣姿もあでやかに、たくみな表現力でプレゼンされる姿に圧倒されました。

そしてわたしたちにとって、とってもうれしかったのが、大聖寺実業高校の地元である

加賀橋立の情景をもとに作品が発表されたことでした。

小塩町で撮影した「大八車」の写真、橋立漁港でとれた日本海の恵みを手に

ニッコリほほえむ女性の姿、北前船の歴史と関係が深い赤瓦の橋立町の民家と

海の情景。加賀橋立の人たちの生業(なりわい)が生き生きと表現されていました。

加賀市の大切な宝物をとってもすてきに紹介していただき、ありがとうございました。

加賀市代表の加賀高校の発表もとても良かったですよ!!

小松高校とともに、福島県会津若松市で行われる全国大会に出場される

金沢二水高校、飯田高校のみなさん。石川県代表として、震災で被災された東北の

高校生と交流を深めながら、日本一を目指してくださいね!応援しています。

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「民家の甲子園」石川県大会(羽咋)で発表してきま~す!!

2013年06月23日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(*^_^*)

わたしは今日、羽咋市で開催される第11回『民家の甲子園

-全国高等学校対抗民家町並みフォトコンテスト-石川県大会』で

実高ふれ愛隊・高校生が発信する加賀市の魅力」の

活動についての発表を行います。

本当は実高ふれ愛隊7人全員で参加したかったのですが、あいにく

簿記の検定試験と重なってしまったため、臨時隊員かなちゃんと

同じくけいすけ君の3人で会場にお伺いする予定です。

3人で、赤瓦がうつくしい加賀市の街並みや、九谷焼・山中漆器などの

伝統工芸、大聖寺藩や北前船、一向一揆の歴史、加賀温泉郷

おもてなしのなどについて、精一杯発表してきます!!

←(石川県古民家再生協会ホームページより)

民家の甲子園』とは、高校生がカメラのファインダーを通して見つけた

日本の伝統文化や自然、風土を写真で表現し、その作品のテーマを文章力と

プレゼンテーション力によってメッセージにすることを競う大会です。

大会は最初に四国の香川県で始まりましたが、10年かかって徐々に全国に

広まってきました。石川県大会は平成22年にはじまり、今年が4年目だそうです。

石川県大会の主催は、「一般社団法人・石川県古民家再生協会」の皆さんで、

石川県教育委員会・石川県高等学校文化連盟などが後援しています。

大会には、県内各地から22校29チームが全国大会への出場権をかけて参加します。

わたしたちは「高校生の活動紹介」の部で参加しますので、コンテストには

加わりませんが、200人以上の高校生や関係者の皆さんの前でプレゼンテーションを

するので、少し緊張気味です。なお、今大会には加賀市から加賀高校

初出場します。加賀市代表として頑張ってね。

大会は12時から、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋で開催されます。

お時間がある方は、見学にいらしてください。よろしくお願いします!!

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加賀温泉郷「おやつきっぷ」はとっても人気です!!

2013年06月22日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

6月18日(火)の課題研究の時間、KAGA旅・まちネット」を

訪問させていただき、佐野所長さんから、加賀温泉郷に宿泊された方々に

大好評の加賀温泉郷おやつきっぷついてお話を伺いました。

加賀温泉郷おやつきっぷの情報は、各旅館のホームページや旅行会社の

宿泊プランのパンフレットで、加賀市に宿泊される方々に提供されています。

今年3月1日に発売されて以降、3月92枚、4月247枚、5月279枚と

どんどん売り上げが伸びているそうです。そして現在のところ、特に山中温泉での

利用が目立っているのだそうです。きっと「ゆげ街道」の各お店で「おやつきっぷ」を

使われるお客さんが多いのでしょうね。

加賀温泉郷おやつきっぷが利用できる店舗は次の加賀市内24店舗です。

(加賀片山津温泉)

○村カフェ「アレ・コレ」 ○ケーキ屋「ア・ポワン」 ○肉のはまなか ○玄米食専門店 玄命庵

(加賀山代温泉)

○はづちを茶店 ○六方焼 惣八 ○山代温泉総湯売店 ○洋菓子工房プルミエール

(加賀山中温泉)

○山中石川屋山中本店 ○小出仙 ○サロン・ド・テ西洋菓子倶楽部 高乃倉

○加賀野菜・地物野菜なかまさ ○肉のいづみや

(加賀大聖寺)

○茶房古九谷 ○げんば堂図書館前店 ○梅田菓子舗 ○工芸空間FAISONS(フゾン)

(加賀橋立)

○加佐ノ岬倶楽部 ○マルヤ水産 ○シーサイドガーデン&カフェ「ヴァン・ベール美岬」

(その他地域)

○月うさぎの里 ○加賀フルーツランド ○御菓子城加賀藩 ○世界のガラス館加賀店

加賀市で宿泊をご予定の皆さん、加賀市観光をされる際には是非

加賀温泉郷おやつきっぷをご利用下さいね!!とってもお得ですよ!

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加賀温泉郷「おやつきっぷ」絶賛発売中!!(宿泊者限定)

2013年06月21日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^_^)v

6月18日(火)の課題研究の時間、実高ふれ愛隊7人は、

加賀市の観光」について学習するため、KAGA旅・まちネット」を

訪問させていただきました。そして佐野所長さんから日頃の

KAGA旅・まちネット」の活動の様子や今年3月から発売され、

加賀温泉郷に宿泊された方々に大好評の加賀温泉郷おやつきっぷ

ついてお話を伺いました。KAGA旅・まちネット」のみなさん、本当に

ありがとうございました。

いまや加賀市観光の旅先案内人としてすっかりおなじみのKAGA旅・まちネット」は

2001年10月にオープンしました。当初は加賀温泉駅前の「アビオ・シティ加賀」

内で業務を行っていましたが、現在はJR加賀温泉駅構内に活動の場所を移し、

9人の職員の方が、加賀市を訪問された皆さんにさまざまな情報提供をされています。

さて、今回わたしたちは、加賀市観光交流機構の特別のご配慮により、

加賀市観光」の学習の一環として、特別に加賀温泉郷おやつきっぷ

使用させていただくことになりました。そして「おやつきっぷ」を使って、

加賀市の名産物やおいしいスイーツを満喫させていただきました!!

加賀温泉郷おやつきっぷは、来年度末の北陸新幹線金沢駅開業に向け、

加賀市観光を楽しまれる皆さんにいろんな加賀市の楽しみ方を知っていただくために、

JR東日本・東海・西日本共同企画の「Japanese Beauty Hokuriku」

キャンペーンの一環として、期間限定で発売されたものです。

来年3月31日まで加賀市内に宿泊される方に発売されています(1セット500円)

おやつきっぷ」は、加賀市内でご利用できるとってもお得な食べ歩きクーポンです。

クーポンにはきっぷが3枚付いていて、27種類のおやつから好きなものを選び、

自由に組み合わせて食べ歩きを楽しむことができます。

おやつに選ばれているものは、加賀市民自慢のおいしいものばかりです。

明日のブログで、加賀温泉郷おやつきっぷについてくわしくお伝えしますので、

よろしくお願いします!!

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丸八製茶場(動橋町)の「加賀棒茶」

2013年06月20日 | 日記

隊員NO.7ゆっこです(*^_^*)

わたしは6月15日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第6回講座で、

動橋町の丸八製茶場を見学させていただきました。お店の中は、清潔感があって、

明るく開放的でとても心地よかったです。店内にはきれいなお花が飾られていて、

お花をみながら、冷たい「加賀棒茶」のサービスをいただきました。

丸八製茶場の創業は1863(文久3)年。加賀藩前田家の製茶奨励政策

によりつくられた打越茶園とともに歴史が刻まれてきました。丸八の商号は、

初代丸谷八左衛門に由来するものです。

加賀棒茶」とは、お茶の茎を原料とする「ほうじ茶」のことで、わたしの家では

いつも「加賀棒茶」を飲んでいます。「加賀棒茶」はわたしたち加賀市民のお茶

といってもいい存在なんですよ。

かつての「ほうじ茶」は、芯にまで火を通すにはかなりの火力が必要となるため、

表面が黒く焦げ、その焦げ香によって画一的な味になっていました。

1983(昭和58)年、石川県で全国植樹祭が開催され、昭和天皇がご宿泊される

ホテルから、最高のほうじ茶を納入してほしいとの依頼が「丸八」さんにあったそうです。

そこで、「丸八」さんでは、途方にくれながらも、ほうじ茶に適した納得のいく茎をさがし

もとめ、芳ばしさと力強い味が一番いい状態で出せるように研究を重ね、ついに

献上加賀棒茶」が誕生したのだそうです。

昭和天皇はこのお茶をお気に召され、残った棒茶をお持ち帰りになられたとのことです。

お店では係の方からおいしい「加賀棒茶」の入れ方を教えていただきました。

その入れ方とは、

(1)新鮮な水(地域によってはミネラルウォーター)を600cc用意します。

(2)市販のお茶パックに入れた献上加賀棒茶6g(大さじ2杯)を水に入れます。

(3)3時間ほど冷蔵庫に入れて冷やせば出来上がりです。

わたしも早速家に帰ったらやってみようかなぁと思いました。みなさんもお試し下さい!!

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篠生寺・蓮如ゆかりの「篠の道場」

2013年06月19日 | 日記

隊員NO.7ゆっこです(*^_^*)/    

加賀市観光ボランティア大学第6回講座で動橋町の”篠の道場”とし

知られる「篠生寺(じょうしょうじ)」を見学させていただきました

そして篠生寺のご住職の奥様から、とってもこわ~い老婆(おばば)の

のお話をお伺いしましたので、レポートします。

その老婆(おばば)の名前は「桝屋小右衛門(ますやこえもん)の母」です。

 1475年5月4日のちまき節句の日、蓮如上人が小松の波佐谷松岡寺から

吉御坊へ帰られる途中、動橋で日が暮れてしまいました。

そこで蓮如上人は桝屋小右衛門の家に「一晩泊めて下さい」と願い出ましたが、

小右衛門の母は「汚い坊主、さっさと立ち去れ」と追い払いました。蓮如上人が、

母がちまきを作っているのを見て、「せめてちまきをもらえませんか」と頼んだところ、

小右衛門の母は笹で包んだ石を投げつけ、「これを食えたら泊めてやるぞ~」と

言いながら、ケ、ケ、ケと笑ったそうです。

これを見た蓮如上人は小右衛門の母のあまりに邪見な心をあわれみ、

なんとかこの女性の卑しい心を正そうと思われました。

そこで、「我進める弥陀の本願に偽りなくば、この笹より再び青葉を生ずべし。

もし生ずるならば、一夜の宿をかし給われ」とちまきの笹を大地にさしたところ、

仏智不思議があらわれ、ゆで笹がたちどころに根をくばり、青葉を生じたのです。

小右衛門の母は蓮如上人の不思議な力に驚き、五体を地に伏し、前非を悔やみ、

「自分さえ良ければいいんだ」という心を改め、夜もすがら蓮如上人のお教えを

聞き、息子の小右衛門ともども蓮如上人の弟子となったのでした

桝屋小右衛門は動橋にあった真言宗地蔵院に入寺し、浄土真宗に転派して、

「篠の道場」の初代となって、念仏の教えを広めました。

木像の老婆(おばば)は、片膝を立て、垂れたお乳を放りだして、ふてぶてしくも見学客を

睨み返してきます。木像の老婆(おばば)の姿は、実はわたしたち人間誰にでもある

「邪見な心」を表現し、わたしたち現代人を今も戒めてくれているのでしょうね。

なお、「篠生寺」では、6月21日(金)の蓮如忌に、女性門人が「笹より」「笹あらい」を

して準備された約5,000本の「ちまき団子」を有料で配布するそうです。

ぜひおでかけくださいね!! 

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「動橋町」を歩く・宿場町の面影がたっぷり!!

2013年06月18日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

わたしは6月15日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第6回講座

 北国街道の宿場町・動橋チハカ山 ササユリと動橋ブラ散歩」で、

北国街道の宿場町の面影を残す動橋町を散策しました。

藩政時代、大聖寺藩の北国街道沿いには月津・動橋・大聖寺・橘という4つの

宿場町がありました。その中でも山代街道との分岐点であったここ動橋

とても栄え、本陣(橋本家)・中屋・粟屋・十兵衛宿など数多くの旅籠が並んでいた

そうで、いまもその面影がいたるところに残っていました。

また動橋は明治期まで水運の拠点として栄え、小松市の安宅から柴山潟を通って、

北海道の鰊粕が輸送され、肥料商として活躍した家も多かったそうです。

動橋(いぶりはし)」っていう地名は読み方が難しくて、

北陸本線・富山県のJR「石動(いするぎ)駅」とならんで、地元加賀市の人以外は

ほとんど読むことができないそうです。

動橋」という名前の由来は、金沢市出身の江戸時代の測量技術者・土屋又三郎が

記した『加越能大路水経』(1714年)という地誌に

「此橋昔は一本木にて架たり。人渡れば動く故いぶり橋と云」とあり、古くは丸太橋で

渡ると揺れ動いたため、いぶり橋になったといわれています。

またインターネットを調べたら(「Yahoo知恵袋」より)、「動(イブリ)」とは

「火の神(正式には火山女神)」の意味に通じ、「橋(ハシ)」は川を渡る橋ではなく

「カジ=鍛冶」の音変化であり、動橋」の語源は遥か古代、弥生期からあって、

「火と鍛冶の信仰」地域だとする説も紹介されていました。

町の中心には動橋宿の本陣をつとめていた「橋本酒造」があって、

町の観光の拠点になっています。

みなさん、お時間がありましたら、是非動橋の町を散策してみてくださいね!!

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北国街道・七曲辻

2013年06月17日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

わたしは6月15日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第6回講座

 北国街道の宿場町・動橋とチハカ山 ササユリと動橋ブラ散歩」で、

北国街道にある「七曲辻」を見学しましたので、ご報告します。

高塚町と動橋町をつなぐ旧国道8号線は旧北国街道の一部です。

そしてこの間の道は昔「七曲り」と言われていました。

1963(昭和38)年までここには40~50m毎に、90度近いカーブが

5ヵ所も続き、並木の黒松も残っていたそうです。

七曲辻」は戦国時代、領内に侵入した敵の力を分散し、攻撃に備えて

時間稼ぎを行うためにわざわざ作られたものだったのです。

打越町の勝光寺や高塚町から東3kmの高台にある興宗寺には

敵の数を調べる見張り台もあったそうです。

江戸時代の末期に活躍したいまの福井県出身の歌人の橘 曙覧

(たちばなあけみ、1812~1868年)は、この「七曲辻」の曲がり

くねった道をみて、

『蟻よりも ちひさく見え 行く人を ながめめぐらす 七曲りかな』

と詠んでいます。

動橋町から高塚町の方向に車を走らせると、左側にあります。

七曲り街道跡」という石碑が目印ですよ。一度お立ち寄り下さいね!!

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ササユリの里・チハカ山(分校町)

2013年06月16日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

わたしは6月15日(土)13時30分から行われた

加賀市観光ボランティア大学第6回講座 北国街道の宿場町・動橋と

チハカ山 ササユリと動橋ブラ散歩隊員NO.7ゆっこと2人で参加しました。

竹本利夫学長をはじめボラ大世話人の皆さん、いつも親切にご案内いただき

本当にありがとうございます。

←ササユリ、とてもきれいでした!

今回私たちが訪ねたコースは、「チハカ古墳群(ササユリ観察)→七曲辻→

動橋町(動橋大橋・篠生寺)→丸八製茶場→蓮如の白水公園」です。

まず分校(ぶんぎょう)町にあるチハカ山古墳を見学しました。

分校町」の「校」とは律令制の時代の軍団を意味するそうです。

分校」という地名は、律令制の時代、この地に人びとに分けられる口分田の

様子を調べるための軍団が置かれていたことに由来するそうです。

チハカ山古墳ササユリは今が見頃でとってもキレイでしたよ。

朝からの雨で濡れた可憐な姿はとってもけなげに見えました。

チハカ山は晴れると江沼三山(大日山・富士写ガ岳・鞍掛山)や霊峰白山が

キレイに見えるビュー・ポイントです。

山の上には18基の円墳や方墳をみることができました。ここには

5世紀前半に動橋川流域を支配した豪族たちが眠っています。

地元分校町の皆さんが一生懸命整備されているおかげで、

ササユリや古墳を楽しく見学することができました。

今回分校町や動橋町などいろんな所をご案内いただいて、「加賀市って

いいところだなぁ」と改めて思いました!!

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