隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/
西島明正先生から教えていただいた 「『奥の細道』-芭蕉と山中温泉-」についてご紹介しています。
松尾芭蕉が山中温泉に逗留中、宿舎にしたのが湯本十二軒の一つ泉屋でした。湯本とは、山中温泉草創
から宿舎を営む旧家のことです。
芭蕉が滞在したとき、泉屋の当主だった久米之助は14歳でした。
そして、まだまだ若い久米之助の後見役をしていたのが、叔父の自笑(じしょう)でした。
自笑は加賀の俳壇で人気のあった人で、芭蕉が金沢に着いたとき、金沢まで出かけ、山中温泉に芭蕉を
誘ったとも言われています。
芭蕉は若くて多くの可能性を秘めた久米之助への期待から、自分の俳号である「桃青」の桃の一字を与えて、
「桃妖(とうよう)」と名付けています。桃の字は、桃源郷の桃でもあります。
そして、
加賀山中桃妖に名をつけ給ひて
桃の木の其葉ちらすな秋の風 芭蕉 『泊船集』
(今日から俳諧の道を歩もうとする若々しい桃妖よ、どうかそのすばらしい才能を伸ばして大成してくれよ。)
という句を詠んでいます。
桃妖は、その後芭蕉の期待に応えて、山中の俳壇の中心となって活躍をしました。その後、その桃妖をたずねて
全国各地から多くの俳人たちが訪れることになります。
桃妖は、1751(宝暦元)年12月29日、76歳で亡くなりました。桃妖のお墓は、今も医王寺の境内の中に
静かに建っています。
(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)