実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

松尾芭蕉・桃の木の其葉ちらすな秋の風

2012年10月17日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/

西島明正先生から教えていただいた 「『奥の細道』-芭蕉山中温泉-」についてご紹介しています。

 

松尾芭蕉山中温泉に逗留中、宿舎にしたのが湯本十二軒の一つ泉屋でした。湯本とは、山中温泉草創

から宿舎を営む旧家のことです。

芭蕉が滞在したとき、泉屋の当主だった久米之助は14歳でした。

そして、まだまだ若い久米之助の後見役をしていたのが、叔父の自笑(じしょう)でした。

自笑は加賀の俳壇で人気のあった人で、芭蕉が金沢に着いたとき、金沢まで出かけ、山中温泉に芭蕉

誘ったとも言われています。

芭蕉は若くて多くの可能性を秘めた久米之助への期待から、自分の俳号である「青」のの一字を与えて、

桃妖(とうよう)」と名付けています。の字は、源郷のでもあります。

そして、

   加賀山中桃妖に名をつけ給ひて

 桃の木の其葉ちらすな秋の風  芭蕉 『泊船集』

(今日から俳諧の道を歩もうとする若々しい桃妖よ、どうかそのすばらしい才能を伸ばして大成してくれよ。)

という句を詠んでいます。

桃妖は、その後芭蕉の期待に応えて、山中の俳壇の中心となって活躍をしました。その後、その桃妖をたずねて

全国各地から多くの俳人たちが訪れることになります。

桃妖は、1751(宝暦元)年12月29日、76歳で亡くなりました。桃妖のお墓は、今も医王寺の境内の中に

静かに建っています。

←芭蕉150回忌の時につくられた芭蕉像

(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)

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