隊員NO.2ゆきちで~す
いよいよ第1回「加賀ふるさと検定」の受験日が近づいてきましたね。
受験生の皆さん、準備はできましたか?
さて、「加賀ふるさと検定」を全員で受ける大聖寺実業高校の1年生が取り組んだ
練習問題(専門テーマ九谷焼編)をご紹介します。今回は、九谷焼の問題が10問も
出ますので、テキストの「九谷焼編」を重点的に勉強されることをおすすめします。
10問中7問正解(70%)で合格です。(正解は最後にありますよ。)
←加賀ふるさと検定ホームページより
問51 伝承によれば、大聖寺藩初代藩主の前田利治は、領内の九谷で
鉱山を開発中に陶石が発見されたのを契機に、鉱山開発に従事し錬金の
役を務めていた( ? )を肥前有田に派遣して陶業技術を学ばせたと
言われています。
① 鹿野小四郎 ②後藤才次郎 ③渡辺卯三郎 ④北出塔次郎
問52 明暦元年(1655)頃に九谷の地に窯を築き色絵磁器生産を始めた
のが、九谷焼生産の始まりとされています。この事業は2代藩主利明が
引き継ぎましたが、この時期に焼成された作品は『( ? )』と呼ばれ、
高く評価されています。
① 赤九谷 ②青九谷 ③古九谷 ④大聖寺伊万里
問53 古九谷は、力強い呉須の線描の上に、紫・緑・黄・紺青・赤の
( ? )を用いて、絵の具を厚く盛り上げて描くことが特徴です。
① 五彩 ②九谷彩 ③軟彩 ④粉彩
問54 赤色を全く使わず、紫・黄・緑・紺青のうちから2色または3色で、
「塗埋手(ぬりうめて)」の手法で描く「( ? )」と称する古九谷は、
大胆なデザインのものが多く、見る人に強烈な印象を与えます。
① 青手 ②紫手 ③宮本屋 ④飯田屋
問55 溢(あふ)れんばかりのエネルギーを放った古九谷ですが、
約50年で突如として姿を消しました。その原因としては、元禄3年(1690)
以降、( ? )色絵の黄金時代が始まり、国内各地に販路を広げたことが
あげられます。
① 景徳鎮 ②伊万里 ③瀬戸 ④萩
問56 吉田屋窯(1824~31)は、大聖寺の豪商、( ? )が古九谷再興を
めざし、あえて九谷の古九谷窯に隣接して築かれました。しかし、交通が
不便であることから、山代に窯を移しました。
① 豊田伝右衛門 ②山本彦左衛門 ③後藤才次郎 ④北出塔次郎
問57 吉田屋窯を買収して再興させたのが宮本屋宇右衛門です。
宮本屋窯(1832~59)の主工、飯田屋八郎右衛門は絵付に主力を継ぎ、
赤絵細描の優品を焼成しました。この窯の赤絵細描の画風を「( ? )」、
または「飯田屋」と呼びます。
① 赤九谷 ②細手 ③赤手 ④八郎手
問58 ( ? )は飯田屋八郎右衛門や塚谷竹軒などから絵や焼き物の技術を
学び、明治12年には「九谷陶器会社」を設立し総支配人となりました。
浅井一亳(いちもう)は実弟である。
① 北大路魯山人 ②竹内吟秋 ③中村秋塘 ④須田菁華
問59 明治39年(1906)に山代に菁華窯を築いた初代須田菁華は、
大正4年(1915)、山代温泉に滞在していた( ? )に陶芸を指導しました。
のち、( ? )は「私は須田菁華に教えられた」と話している。
① 北大路魯山人 ②竹内吟秋 ③中村秋塘 ④須田菁華
問60 国指定史跡「九谷磁器窯跡」には、江戸前期の2基の古九谷窯、
江戸後期の吉田屋窯がある。一方、九谷集落跡の「( ? )遺跡」からは
色絵窯があったと推定される遺構も確認されました。
① 藤ノ木 ②宮地向山 ③九谷A ④九谷B
〈正解〉問51 ② 問52 ③ 問53 ① 問54 ① 問55 ② 問56 ①
問57 ④ 問58 ② 問59 ① 問60 ③