実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

7月の活動(20)山代温泉と「お薬師さん」

2012年07月31日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^)v

7月12日(木)の夜、山代温泉古総湯2Fで開かれた加賀市観光ボランティア大学

第7回講座の後、総湯のすぐ横にある薬王院温泉寺を歩きました。

薬王院温泉寺は、山代では「お薬師さん」とよばれています。ここには、薬師如来が祭られていて、

病気を治すと信じられてきました。きっと温泉がもつ「湯治」の役目と関係があるのでしょうね。

←薬王院温泉寺

夜のお薬師さん」は、とってもきれいでしたよ。総湯に入ったたくさんの方々がライトアップされた

お薬師さん」の前を通って、夜風に吹かれながら、「いろは草庵」横の駐車場へと歩かれていました。

←服部神社の鳥居

毎日こんなに気持ちのいい温泉につかって、その後お薬師さん」や「服部神社」の

こんなにすてきな風景を楽しめるなんて、山代の人たちはホント幸せですね!!

みなさん、毎日の暑さを吹っ飛ばすためにも、今日は山代の総湯に行かれてみるのはどうですか?

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7月の活動(19)山代温泉古総湯

2012年07月30日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^^)/

一昨年に新しくできた山代温泉古総湯は、明治19年の古写真にもとづき、

可能な限り忠実に復元することをめざしてつくられました。基礎以外はすべて木材が

使用され、伝統的な工法を用いて木組みがされています。柱には、ひのきや杉、

梁にはひのき・能登ヒバが使われ、2階の瓦は北陸地方独特の釉薬瓦が再利用されています。

 ←明治期の山代温泉総湯

←加賀國山代温泉所全図(明治34年)

明治19年にできた総湯は、独特のプロポーションをもち、ペンキ塗りされた高欄意匠、色ガラス

からは、居留地の洋風建築に刺激を受けた大工の進取の精神が感じられます。

当時の総湯は、山代温泉にとって文明開化の象徴的な建物だったにちがいありません。

浴室の床に使われた九谷焼のタイルは、共同浴場の浴室用タイルとして、日本で最初に

使われたものですし、要所にほどこされたステンドガラスも、とてもモダンなものだったでしょう。

 

新しくできた山代温泉古総湯では、床に約2,000枚、腰壁に約1,000枚もの

九谷焼のタイルが使われています。ステンドグラスもとてもきれいです。

源泉かけ流しの快適なお湯を、もみ板を使いながら、ゆったりとお楽しみください!!

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7月の活動(18)山代温泉・湯の曲輪(がわ)

2012年07月29日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す(^_^)v

7月12日(木)の加賀市観光ボランティア大学第7回講座

「魯山人の愛した山代温泉 -名物ガイドが語る魯山人-」は、19時30分から

山代温泉古総湯2Fで開かれました。古総湯の2Fに入るチャンスはなかなかないので

とてもラッキーでした。

山代温泉は、開湯1300年の歴史を誇る日本を代表する古湯です。

総湯という共同浴場を中心に旅館や商店が建ち並ぶ「湯の曲輪」は

日本の温泉の原型で、今なお、はっきりとした形が残されているのは全国でも山代温泉だけ

と言われています。

温泉街というのは、もともと「いつまでも健康でありたい」「なんとか病気を治したい」という人びとの

切なるおもいをあつめる神社やお寺と温泉の効用がむすびついて生まれます。

だから、山代温泉も薬王院温泉寺への信仰と総湯がセットで誕生したといえます。

わたしは山代中学出身で、総湯周辺の風景はあたりまえのものと思っていましたが、

実はこんなに美しい温泉街の形は、全国でも他にはないということを改めて知りました。

おととしに完成した古総湯を中心とした湯の曲輪は、「はづちを楽堂」や「魯山人寓居跡いろは草庵」、

薬王院温泉寺・服部神社などとあいまって、明治の頃の情緒と歴史のある景観がよみがえり、

すごく賑わってきています。

もうすぐ山代大田楽も始まります。いま山代温泉はとっても熱いですよ。

みなさん、どんどん山代温泉に遊びに行きましょう!!

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われらが先輩・山中温泉芸妓”小乃葉”さん(3)

2012年07月28日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す(*^_^*)!

わたしたち実高ふれ愛隊が通う大聖寺実業高校の先輩、

山中温泉芸妓”小乃葉”こと山崎佳菜先輩の生き方を紹介する

 「芸妓小乃葉 二十歳の心情[コレカラプロジェクト]♯3」が7月12日から公開されています   

今回は第3弾で、20歳の佳菜先輩が、高校の友人と実高時代の思い出を語られている

シーンが、とてもすてきに紹介されています。

「芸妓小乃葉 二十歳の心情 コレカラプロジェクト♯3」(クリック!)
芸妓姿はもちろんおきれいですが、素顔の佳菜先輩はもっと魅力的ですよ

芸妓小乃葉 二十歳の心情[コレカラプロジェクト]#3芸妓小乃葉 二十歳の心情[コレカラプロジェクト]♯2芸妓小乃葉 二十歳の心情[コレカラプロジェクト]♯1

また、乗用車のCM撮影が先日山中座で行われ、佳菜先輩が撮影に挑戦しました。
このCMは石川県限定ですが、8月からMRO(北陸放送)にて放映されるそうです。
赤い車と「小乃葉」さんもぴったりです!! 
これからますますのご活躍をお祈りしていま~す!!
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7月の活動(17)人間国宝・川北良造さんの世界

2012年07月27日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^_^)v

これまで、7月21日(土)に、加賀市美術館開館15周年記念として開かれた

山中挽物「木工芸」人間国宝・川北良造先生

特別講演「木との対話 おつきあい」でお聞きしたことについてレポートさせていただきました。

わたしたちは、特別講演の後、「開館15周年記念特別展 山中木地挽物の世界展」で素晴らしい

作品の数々を川北先生に解説していただきながら、見学させていただきました。

わたしはこれまであまり美術館に行った経験がなかったので、どの作品もすてきなものばかりで、

びっくりでした。

「開館15周年記念特別展 山中木地挽物の世界展」は、8月20日(月)まで開かれています。

みなさん、どうぞ一度足を運んでください!

ここでは、日本工芸会のホームページにある「伝統工芸ミュージアム」”人間国宝ギャラリー”

川北良造先生のコーナーをリンクさせていただきました。

人間国宝の作品ページ(←クリックして下さい!)

素敵な作品の数々をご覧下さい!

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7月の活動(16)人間国宝・川北良造さんの心(5)

2012年07月26日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^_^)v

わたしは川北良造先生の講演会で、 ”木は動く”ということを初めて知りました。

木は本来、湿度や環境の変化によって、水分を出したり含んだりして動くものなのだそうです。

先生はおっしゃいます。

「木はいつまでたっても生きているんです。だから動くでもあまり動くと、工芸品には向きません。

木にすれば動くのは本質的なことなのに、人間様のつごうで動かないでほしい、

と相反することを要求しているわけです。木に対して申し訳ないと思います。」

先生は、わたしたち講演を聴く者に、一本の木を持たせてくださいました。

「みなさん、どうです?この木は重たいでしょう!」

わたしもその木を持つと、実際ずっしり重たく感じました。

「この木は、ポリエステルという物質を押し込んで、木の動きを止めています。現在は

ポリエステルやポリエチレングレコールなどの物質を押し込めば、木はプラスティックのようになって

かんたんに”木が動く”のを止めることができます。しかし、それでは木が本来持つ

あたたかさとか深みが損なわれてしまうのです。」

先生は、「持ったときに、見た目よりも軽く感じられる木の方がいい」とおっしゃっていました。

川北良造先生は、”木の動き”に細心の注意を払いながらも、木が持つ本質的な良さを生かす

心配りをしながら、日々作品を生み出されていることが本当によく分かりました。

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7月の活動(15)人間国宝・川北良造さんの心(4)

2012年07月25日 | 日記

隊員NO.3せりかで~すm(_ _)m

 

山中挽物木工芸「人間国宝」川北良造先生は木との出会いをとても大切にされています。

先生のご趣味は渓流釣りだそうです。先生はお忙しい合間を縫って、大聖寺川の上流に釣りに行かれる

のを楽しみにされています。

 

ある日のことです。西谷地区の枯淵で釣りをされていたとき、おもわぬことに立派なケヤキの切り株を

見つけました。直径1メートルもあろうものです。これはいい素材になると先生は直感しました。

しかし、こんな大きな切り株を、もちろんお一人では取り出すことはできません。

そこで、集落の方に「助けてください」と声をかけたところ、なんと15人もの方が駆けつけてくださり、

ロープをかけ、人力で何百キロもあるケヤキの切り株を一生懸命取り出してくれました。

先生はこんな小さい集落なのに、ありがたいことに、なぜたくさんの人が協力してくれたのだろうと

不思議に思いました。でも、その理由がじきに分かったのです。

実は、先生が「助けてください」と声をかけた枯淵の方は、かつて山中の温泉で心臓の病で倒れたところを

先生が助けるというご縁があった人だったのです。

この方は、命の恩人である先生のために、ほうぼうの家に声をかけ、人足を集めてくれたのでした。

 

山中挽物木工芸の素晴らしい作品ができる裏側には、木の善し悪しを見抜く川北良造先生の確かな眼は

もちろんのこと、地元・山中の人びととのたゆまぬきずながあることを知りました。

先生、貴重なお話し、ありがとうございました。

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7月の活動(14)人間国宝・川北良造さんの心(3)

2012年07月24日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^^)/

山中挽物木工芸「人間国宝」川北良造先生記念講演会で勉強させていただいたことを

ご紹介しています。


日本一の生産額を誇る山中漆器は、いまは廃村になった山中町の真砂(まなご)が発祥の地です。

真砂の木地師は、1580年の正親町(おうぎまち)天皇の綸旨(りんじ)より今の福井県越前市から

移り住んだと考えられています。

トチやケヤキの良材をもとめて深山に入り、ろくろで品物を作る木地師にとって、

原木を自由に切ることを認める綸旨(りんじ)はとても大事なものでした。

川北良造先生は、山中漆器発祥の地である真砂(まなご)と日本木地師の元祖とされる

惟喬(これたか)親王(平安時代に人びとにろくろ技術を教えたといわれる方です)が、

かならず関係を持っているはずだと考えていました。

そこで先生は、惟喬親王を祭神とし、多くの木地師が日本全国に散らばったという滋賀県永源寺町

(今の東近江市)の器地祖神社を訪問し、いろいろと調べられたそうです。

しかし、この神社には真砂の氏子がただの一人もいませんでした。先生ががっかりしていたところ、

実はこの神社に敷かれている”玉石”が真砂から寄進されていたことがわかったのです。

やはり、真砂と惟喬親王の間には深い関係があったことが明らかになりました。

川北良造先生は、先人たちの心をつねに大切にしながらお仕事をされています。

400年以上も前の真砂の木地師の心や伝統が今もしっかりと川北良造先生の作品に

受け継がれているのです。

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7月の活動(13)人間国宝・川北良造さんの心(2)

2012年07月23日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^^;)

7月21日に加賀市美術館で行われた山中挽物木工芸「人間国宝」川北良造先生

記念講演会では、先生が修行中、父浩一氏から教えられた逸話についてご紹介いただきました。

とても興味深いお話しでしたので、ご紹介します。

←川北先生は、じっくりとご自分の作品づくりについて話されました。

先生の父・川北浩一氏(1902~1977年)は山中木工界からはじめて作家としての道を

開いた方として知られています。

父・浩一氏は若いときに「山中以外の場所で一度仕事を見てみたい!」との思いから

大阪に修業に行かれました。すると作業所に一人の不思議な職人がいました。

朝、人と同じ時間に来て仕事を始めますが、必ず2時間早く帰ってしまうのです。

毎日毎日同じ様子です。浩一氏がふと、「おかしなことだなぁ~!」と、その人の仕事台を見ると、

なんと周りの人の2倍の作品が完成し、積み重ねられていたそうです。

「他のものより2時間少ない時間で、2倍の仕事をこなしている」

その人は四国の伊予出身の大村某という人だったのですが、片目が義眼だったそうです。

父・浩一氏はこのお話しを良造先生に何度も話されたそうです。

いくらがんばっても、「上には上がいるものだぞ」って。

 

川北良造先生の制作に対する姿勢は、「世のため、ひとのため、もののため」が貫かれています。

つねに謙虚でひたむきなお気持ちが、名品を生み出す原点なのです。

先生のお心には、きっと父・浩一氏のお話が生き続けているのだと思いました。

川北良造先生の心の中には、わたしたち現代人が忘れかけているもっとも大切なもの

がいっぱいつまっているのですね。

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7月の活動(12)人間国宝・川北良造さんの心

2012年07月22日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^^;)

7月21日の加賀市観光ボランティア大学第8回講座が、加賀市美術館で開かれました。

講座では、加賀市美術館開館15周年記念として開かれた、山中挽物「木工芸」

人間国宝・川北良造先生の特別講演「木との対話 おつきあい」をお聞きする機会にめぐまれました。

約1時間のご講演からは、川北先生の”木のいのちを大切にする心”や

平常心を大切にされながら山中挽物「木工芸」に打ち込まれているお姿が

ひしひしと伝わってきて、すごく勉強になりました。

いろんなお話しを聞かせていただきましたが、今日は「百万塔」のお話しをご紹介します。

 

764年(奈良時代)、恵美押勝(えみのおしかつ)の反乱が起き、とても多くの方が亡くなりました。

その時の女帝・称徳天皇は犠牲者を鎮魂するためになんと「百万塔」もの仏塔を作らせ、

中に陀羅尼というお経(世界最古の木版印刷物)を入れさせたそうです。

「百万塔」もの仏塔は”ひのき”を材料にわずか5年8ヶ月という短期間で完成しています。

その百万塔のいくつかが現在も残っていて、川北先生は法隆寺や東京国立博物館で実際に見られ、

当時の工人たちの信仰にもとづく強い精神力に感動されたそうです。

先生によると、その百万塔はびっくりするほど大きさが一定で、その精巧な出来映えは驚くばかりだそうです。

また百万塔には、白土が塗られていて、白土が塗られた理由にはいろんな説があるのですが、

先生は木に携わる立場から、生材を使って一気に仕上げるため、”割れ止め”に使ったにちがいない、

と説明されていました。

1200年前の工人たちは、つねに木と対話しながら、その特性を生かし、現代にまで残る木芸品を

作っていたのです。

 

このお話をお聞きして、川北良造先生のものづくりに対するお考えが、とてもよく分かりました。

「木や漆や先人たちの知恵に、深い畏敬の念と感謝の心をもって、作品を作り続けたい」

先生は50年以上生きてきた木のいのちを生かして、さらに今後何百年もの間生き続ける木芸品を

作り続けているのです。

川北良造先生の木に対するとてもあたたかいお気持ちと「木のいのちを生かしきる」徹底したこだわり

を知ることができました。

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(加賀市観光ボランティア大学の第8回講座「九谷焼のルーツと東谷地区を訪ねて

-古九谷窯・重伝建保存地区-」は、大雨警報が発令される荒天のため、内容が変更になりました。)

 


7月の活動(11)東谷地区へ行ってきま~す!

2012年07月21日 | 日記

隊員NO.3せりかで~す(^_^)v

梅雨が明けて、毎日暑いですね。7月17日(火)には、大聖寺実業高校全校あげて野球部の

応援に行ってきました。残念ながら負けてしまいましたが、みんなが一致団結して応援できました。

保護者やOBの方々もたくさんいて、感動でした。応援くださったみなさん、そして野球部のみんな

ありがとうございました!

←杉の水←大土 ←鶴ヶ滝

さぁ、今日から夏休みですが、わたしは加賀市観光ボランティア大学第8回講座

「九谷焼のルーツと東谷地区を訪ねて 古九谷窯・重伝建保存地区」に参加しま~す!

大学の皆さん、今回もよろしくお願いします。暑いですから、飲み物たくさんいりますね。

今回の日程は少しハードです。

加賀市役所前13:00出発→九谷ダム→九谷古窯跡→東谷地区重伝建保存地域

(杉の水・大土・今立・荒谷)→加賀市役所前16:30到着で、講師の先生は、加賀市文化課課長

田嶋正和さんです。

九谷を発掘したときのお話を聞いたり、東谷のうつくしい赤瓦を見るのが楽しみです。

 

夏休みも実高ふれ愛隊はがんばって勉強しますので、みなさんよろしくお願いしま~す!!

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7月の活動(10)加賀のこめ飴・荻沢製飴店(2)

2012年07月20日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す!

荻沢製飴店の荻沢修さんから、加賀の名産「こめ飴」の製造過程を教えていただきましたので、

ご紹介しま~す!

加賀の「こめ飴」は、無農薬農法で作った地元産こしひかり100%を原料とした、甘味料・

保存料一切無添加の自然食品です。

←クリック!「こめ飴」の製造過程をまとめたパンフレットです。

(1)朝四時から蒸し上げた米を、樽の中に入れ一定の湿度を保つようにこもで包み

  五時間発酵させます。

(2)発酵したお米を小袋に入れ、上から圧をかけ絞ります。底の穴から絞り汁が流れ出ます。

(3)たまった汁を大釜に少しずつ入れ煮詰めていきます。

(4)大釜で煮詰めると真っ白な湯気が出てきます。五時間ほど煮詰めるとどろっとした

  水飴状に出来上がります。

(5)出来上がった飴をたぐり機にかけます。黄金色の飴が空気を含んでどんどん乳白色

  に変わっていきます。

(6)空気を含んで柔らかくなった飴を、一定の太さに長く伸ばしていきます。

(7)棒状に伸ばした飴を一つ一つ専用のハサミで食べやすい大きさに切り、できた個々の

  飴をオブラートで包んで出来上がりです。

 

荻沢さんは、「今日は作るとこ紹介できなかったから」と、以前TVで放送されたビデオテープを

貸してくださいました。みんなで見させていただきます。それに「こめ飴」もプレゼントして

いただきました。本当にありがとうございました。

 荻沢さ~ん、これからもおいしい「こめ飴」よろしくお願いしま~す!!

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7月の活動(9)加賀の「こめ飴」・荻沢製飴店

2012年07月19日 | 日記

隊員NO.6ちーろで~す!

←「自然の甘み 加賀こめ飴

商標名は「吸坂飴」ではありませんが、加賀の伝統食「こめ飴」を作り続けている匠が

加賀市上河崎においでます。それが「荻沢製飴店」の荻沢修さんです。とってもきれいな奥様と

夫婦二人三脚で「こめ飴」づくりを39年間続けていらっしゃいます。(奥様は山中節をされているそうです。)

←荻沢さんご夫妻

わたしたち実高ふれ愛隊は、7月10日(火)のお昼過ぎに、「荻沢製飴店」を訪問させていただき、

実際に「こめ飴」を作っている工場を見学させていただきました。

←麦芽の粉

残念ながら、飴の仕込みは翌日ということで、飴を作っていらっしゃるところは拝見できませんでしたが、

荻沢さんからとってもやさしく「こめ飴」の製造工程や道具について一つ一つ説明していただきました。

荻沢さんは、大聖寺高校商業科の卒業生だそうです。ということは、わたしたちの大先輩です。

わたしたちの先輩がおいしい「こめ飴」をつくっておいでたとは感激でした。

明日は、荻沢さんに教えていただいた「こめ飴」の作り方についてご紹介しま~す!!

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7月の活動(8)『吸坂飴物語』(加賀市立図書館オーラルヒストリー文庫)

2012年07月18日 | 日記

隊員NO.5あやかで~す!

わたしたちは、今回吸坂飴について調べるために、加賀市立図書館オーラルヒストリー文庫の

吸坂飴物語』を参考にさせていただきました。

←『吸坂飴物語』表紙

オーラルヒストリーとは口述記録の作成・編集による知的財産の一形態だそうです。

加賀市は北陸先端科学技術大学院大学の支援を得て、平成20年度から

「加賀市立図書館オーラルヒストリー図書館構想」をスタートさせました。この取り組みは、

わが国でもあまり例がないものだそうです。

 

2009年3月30日に発行された『吸坂飴物語』(全6ページ)は、市民ボランティアの皆さんの

協力により発行されました。

内容は、2008年10月26日、吸坂飴製造販売に50年間従事された辻妙子さんへのインタビュー

をもとにしたものになっています。

吸坂飴の歴史について知りたいと思われる方は、是非ご一読ください!!

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7月の活動(7)吸坂飴職人・谷口数雄さん(5)

2012年07月17日 | 日記

隊員NO.1あさので~す!

2001(平成13)年5月9日(水)『北国新聞(夕刊)』に掲載された谷口数雄さんの記事です。

谷口さんの吸坂飴にかける情熱が感じられる「百人百職」という特集です。みなさん、お読みください!

吸坂飴の材料は米と麦芽だけで、混じりっ気なしや。どこでも作っとるもんやない。

自然食品やから自信持って人に薦められる。あっさりした甘さで、口ん中に入れてしばらく

かんどったら「じわっ」と溶けていく。店に売っとるのは見た目のきれいな飴がほとんどやから、

今の子供は分からんやろな。

飴作りで気を使うのは、最後に窯から上げる時や。硬すぎても、やらこ過ぎてもいかん。

何べんか飴をすくって水に冷やしてみる。「パリッ」と割れる状態になったら一気に上げるんや。

「まだ早い、まだ早い」って唱えてやる作業や。一番緊張する時やな。

飴作りは一人じゃできん。絶対二人おらなできんのや。棒状に伸ばした飴は、ぬるま湯

くらいの温度やけど暇がたつと硬くなる。「耳たぶの硬さ」のうちに、二人ではさみで切って

しまわんとだめなんや。

やっぱり三百年以上続いた飴の伝統は絶やしたくない。街でお客さんに会うと

「おめえんとこの飴は癖になってやめられん。長生きしてもっと作ってくれ」って言われる。

「命ある間作るわいのう」って答えるんやけどね。良い飴を作る。ただそれだけやね。

【谷口数雄さん】

1631(寛永8)年創業の谷口製飴所の長男として、1921(大正10)年に生まれる。

幼いころから飴作りを見て育ち、家業を手伝う。1962(昭和37)年、父親の死去を

機に同製飴所を受け継ぐ。

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