きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

リバイバル企画

2012年02月19日 | 羊の群れ
19日午後、えんぢぇる田中牧師による『揺るがない希望 リバイバル企画第一弾』後半が行われました。厳しいスケジュールの中、それでも語る約150分!結果、失われた魂が救われました。導いてくださった主に感謝します。

「救いのない礼拝はない、救いのない集会はない、救いのない聖書勉強会はない。」(えんぢぇる名言by MU)

詳細は追ってお知らせしますが、取り急ぎダイジェストビデオその1<タイトル:パタパタポラロイド>








GNSのメインページはこちら!


2/17のアプリケーション

2012年02月18日 | 羊、朝の一声
昨夜はFRIDAY WORSHIP NIGHTで、「これからの時代をどう生きるか?」というメッセージをいただきました。夜の賛美&祈り会の後の“ショート”メッセージだと思っていたのは私の大きな勘違いで、昨日の記事に書いたように、各種テーマてんこ盛りの怒涛の90分メッセージ。勘違いとは言え、心の準備不足での長丁場でヘタれているところへ「アプリケーション!」と来られた時には、まさしく「えんぢぇる師健在」と感服いたしました。

愚痴っぽく(いえ、まさしく愚痴?)も、私の心境を敢えて書いたのは、このことこそが私のアプリケーションだったからです。どのテーマも心に響きましたが、一番心に突き刺さったのは、「絆、絆と口にしているのは、ほんとうの絆作りができない言い訳になっていないか。」ということだったから。えんぢぇる師はこう仰っていました。

「2011年を表す漢字は、“絆”だそうで、年賀状は“絆”という文字が入っているものが売れ、“絆”を大切にしようという謳い文句でおせち料理も例年になく売れた。でもほんとうに“絆”を大切にしている人は、年賀状は自分で書くし、お料理も作る!それが“絆”でしょう。ある牧師さんは、震災直後、東北の知人何人かに電話をするも連絡がつかず、携帯も繋がらず、一晩中、必死にコンタクトを取ろうとして取れなかった翌日、支援物資を車に詰め込んで一目散に東北に向かった。これが“絆”です。」(語尾はえんぢぇる調からかなり美化しています。)

これを聞いて思ったのは、「信仰、希望、愛と叫んでいる私は、それらを実践しているだろうか。」ということ。「御言葉は実践してなんぼ。(えんぢぇる名言 BY MU)」、とずっとずっと教えられ続けてたこのことをほんとうに実践(=アプリケーション)できているだろうか、と考え、心にチクリと来たのです。

メッセージ中に「失われた20年」の話がありました。それはちょうど私が渡米して後のことでした。つまり私がいた日本よりも、一層閉鎖的になり、逃げ場を失った多くの人が命を断ち、家庭は崩壊の危機にあり、経済は長く回復を見ず、「安全」神話は崩れました。聖書が語るように、時代はこれからますますたいへんな時を見るでしょう。日本も例外ではありません。「失われた20年」の前に私がアメリカに来ることができたのは、今ははっきりと「イエス様に会うためだった。」と確信しています。先に恵みを受けた者、と祈りの中で語られましたが、まさしく私は先に救い出された者なのです。それは、私のすべき使命のため、御心の実践のためです。

だから「愛」を口にするだけでなく、言動をもって「愛」を表していくこと、生活におけるアプリケーションをすることが、師の「アプリケーション!」という叫びと共に心に刺さりました。このメッセージで語られたように、天変地異や放射能問題を絡めて、今後も時代は困難を見るでしょう。でも間違えないでください。それは、一人一人の人生がひどい目に遭うのではなく、このことで真の希望を見出すためです。倒れそうな時、支えてくださる神様がいることを知るためです。


主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。(詩篇145:14)




これからの時代をどう生きるか

2012年02月17日 | 羊の群れ

画像はある意味、無関係ではありません。



金曜日夜、愛する姉様の教会のFRIDAY WORSHIP NIGHTにて、えんぢぇる師セミナーを行いました。タイトルは「これからの時代をどう生きるか?」

2001年の911(ナイン・イレブン 米国同時テロ)、そして2011年の311(スリー・イレブン 東日本震災・津波)、この両者の共通点は何と“イスラエル”だった!ということから、頻発する自然災害、放射能汚染とエネルギー問題、中東情勢、五大神話崩壊と自殺者増加、“伽藍”社会、人生の土台、日本のカミサマ、失われた20年、真の幸せ、現象と原因、果ては忠臣蔵から大阪ゴーストップ事件などなど、非常に盛りだくさんの内容でメッセージされました。

音声メッセージ、近日公開!乞う、ご期待。http://blog.goo.ne.jp/jesus101


全ての道は聖書に通ず(BY えんぢぇる田中)


 





GNSのメインページはこちら!

LifeWay クリスチャンショップ

2012年02月16日 | 羊のお出かけ
少し遠出してタスティンにあるクリスチャンショップ、「Life Way」に行ってきました。昨夏オープンしてから、知人から評判を聞いていて、一度行きたいなと思っていましたが、ちょっと距離があるので敬遠気味でした。今回、渡米中のえんぢぇる師をお連れするという名目で、私も楽しくお出かけしました。

まず嬉しかったことは、お店は「TUSTIN MARKET PLACE」というロサンゼルス地区でも人気のショッピングモール内に出店していること。ロサンゼルス地区のクリスチャンショップは、私の知る限り、教会などの敷地内か、そうでなければちょっとマイナなモールの一角にあるものばかりです。でもこのお店は、大手TOY'R USのお隣りに位置し、家族連れのお買い物客の目を引くところに大きく看板を出していました。雨降りだったので、記念撮影ができませんでしたが、お店を見ただけで感動してしまいました。

お店の中はごく一般的で、とりわけ広いということもありませんでしたが、チャンスがあればぜひ行っていただきたいと思います。因みに2/29は一日限りの29%OFF特別セールを予定しているようです。贈り物を考えていらっしゃる方、ぜひ2月29日のセールに行ってみてください!


Tustin LifeWay Christian Store
The Market Place
2902 El Camino Real Tustin, CA 92782
Phone: 714-573-1468
Fax: 714-573-4993
Hours: Monday-Saturday 10:00 A.M.-9:00 P.M.



わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)

バレンタインディ PartⅡ

2012年02月15日 | ペンギンコレクション


愛する神様の家族であり、友人であり、息子であり、時に頼もしく時に優しく、いつも一緒にいてくれるKくん(巷ではこっそり“王子”と呼んでいます。)が、バレンタインディにくれたカードです。私のペンギンコレクションにこよなく貢献してくれている一人であり、愛を伝えることに熱心な信仰の先輩でもあります。ほんとうに、ありがとう。嬉しかったよ!!


わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 (Ⅰヨハネ4:16)


バレンタインディ

2012年02月14日 | 羊、朝の一声
今日はバレンタインディ。街は赤とピンク、バラと花束、スウィートなお菓子と愛を表すためのギフトの数々で溢れています。「女性から男性へ」が定番の日本とは異なって、アメリカでは「愛する人へ」と男性女性を問わず愛情表示の日のような感じで、夫婦間はもちろん、親子間や職場関係でもプレゼントが交換されます。

    
プレゼントの数々。



私もお菓子はいただくと嬉しいですし、(なるべくなら原色デコレーションは避けて欲しいけど。)花束も大歓迎!でも、いただいたお菓子をつまみながら、ふとマザーテレサの言葉を思い出すのです。『愛の飢えからの癒しは、食べ物の飢えを満たすことより、ずっとむつかしいものです。』

クリスチャンにとっては、毎日がバレンタインディ!イエス・キリストがくださった真実の愛を、飢え渇いている多くの人に伝えていかなければなりません。お菓子の代わりに極上の御言葉を持って、花束の代わりに香りよい祈りを持って。




あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)

神様の祝福

2012年02月13日 | 羊、朝の一声
「神様はあなたを、いつも、そしてもっと祝福したいと思っていらっしゃる。だから今ある問題や困難も、神様があなたを祝福するために許されたものであることもある。問題や困難を解決することで、あなたが成長し、そのあなたを神様が祝福する。」


日曜礼拝でこんなことを言われ、ふと「神様は私をもっともっと祝福したいんだ。」という思いを心の内にいただきました。聖書に出てくるアブラハムは、生まれ育った土地を離れることで祝福をいただき、すでに年老いているけれど子供が欲しいという不可能に思える願いを叶える神様に信頼することで祝福をいただき、せっかく授かった子供を神様に献げることも神様の思いに添うことと確信することで祝福をいただきました。

そう聞きながら、親が子を見る視線を感じたのです。親未経験者が言うのも憚られますが、親はいつでも子供をほめたいのでしょう。でも、ただ「○○ちゃん、すごいわぁ~~!」と言っていても、子供的にはほめられた意識は希薄です。それよりも、どんなことでも、何かにチャレンジをし、その精一杯の結果に対して「よくやったね。」という一言は、生涯忘れることのできないほめ言葉になります。

神様もそれと同じだ、と思いました。神様は私をもっともっとほめたい、祝福したい、と思うが故、いくつかの課題を与えてくださいます。それを力を尽くして従おう、守ろう、乗り越えようとする私に、「よくやったね。」という祝福をくださるのです。アブラハムがカナンという見たこともない、神様の約束された土地へ向かって旅立ったように、今いる場所や状況から神様の言葉に向かって踏み出すこと。それこそが祝福の基なのです。


神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように
 あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
 すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように
 あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。
 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
 すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
 大地は作物を実らせました。
 神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
 神がわたしたちを祝福してくださいますように。
 地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。 (詩篇67)



未来型住居「箱船」

2012年02月12日 | 羊、朝の一声
礼拝後の昼食の席で、津波対策用のシェルターのお話になり、少し前(もう1年程前)のニュースを思い出しました。


ロシアの建築家アレクサンドル・レーミゾフ氏が「箱船」という名の未来型建築の設計コンセプトを発表しました。内部は住居やホテルに利用可能な構造になっており、タイプによっては公園や植物園なども箱舟の中にあるそうです。


このニュースは、確か3/11の後、災害対策が問われていた際の雑学ネタでした。スゴイこと考えるな、と思います。でも、私たちは技術によって生きるのではないのです。あのノアが方舟を作った時のように、彼は技術を持っていたから生き残ったのではありません。信仰があったから生きたのです。レーミゾフ氏の創造力は素晴らしく、感服しますし、夢物語としては、個人的にもこういう類は好きです。しかし、何をより大切にするか、何を選ぶかを間違えないよう、心がけたいと思います。



神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。 (Ⅰコリント1:25)

すべてに耳を傾けて得た結論。
 「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。(コヘレト12:13)

ソウルサーファー SOUL SURFER 6月公開

2012年02月11日 | 羊、朝の一声
昨年(2011年)、アメリカで公開された「SOUL SURFER ソウル・サーファー」が日本でも今年6月に公開になると聞きました。ハワイの超クリスチャン(マジクリ)、べサニー・ハミルトンさんのお証し映画です。オススメ!これが日本で公開されるというのは、とっても嬉しいニュースです。ぜひ、ご覧になってくださいね!







べサニー・ハミルトンさんがいただいた神様の言葉です。

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
 それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 (エレミア29:11)

サムソン・シンドローム

2012年02月10日 | 羊、朝の一声
黙想エッセイから。

神様から天賦の際を与えられていたサムソンでしたが、彼は一つの誘惑に負け、まるで昼ドラのような人生の泥沼に落ちていきました。彼には、友人や相談相手がいなかったのです。アロンと一緒だったモーゼ、カレブと共に行動したヨシュア、ヨナタンという親友を持つダビデ、バルナバやシラスがいたパウロとは違い、サムソンの側にはだれもいませんでした。彼は、人生の旅路を自分の力だけに頼って歩み、その結果、大きな代価を支払うことになったのです。サムソンの怪力も、直面する困難を克服するには至りませんでした。

あなたにも、いろいろな才能があるでしょう。誰よりも強いかもしれません。誰よりも賢いかもしれません。しかし、だまされてはなりません。もし、自分の力だけを信じて人生を歩もうとしているのであれば、それがどれほど愚かなことかを知るべきです。パートナーと共に歩むことの大切さをどうか、覚えていてください。


鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。(箴言27:17)