きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

リチャード・ウォンブラント師

2010年06月25日 | 羊のお出かけ
木曜日、ルーマニア勉強会にお出かけしました。前半は歴史を教えてもらい、後半は昨年ルーマニアへミッショントリップへ出かけたクリスチャン婦人が、スライド上映をしながら報告をしてくださいました。感動したのは、最初に聞かされた「リチャード・ウォンブラント師」のお証。






リチャード・ウォンブラント師は、1966年、自分の体に残された拷問の痕を見せながらルーマニアで起きている迫害の凄まじさをアメリカ上院議会で証言されました。その様子はテレビ中継もされ、それから共産主義各国による教会迫害に対して世界の祈りが動き始めたのです。リチャード・ウォンブラント師は、ルーマニアに生まれたユダヤ人で、全体主義へ走る当時のチャウシェスク独裁政権下、キリスト教の牧師だったそれだけの理由で、ルーマニアの首都ブカレストの共産党本部にある地下牢に投獄されました。政治犯向けのその牢獄で、食べる物も碌に与えられず、拷問を受け続け、じめじめとした暗い地下房に14年間も閉じ込められたのです。奇跡的に生き延びて解放された彼は、最終的にアメリカに来て、上院で非人道的行為を公に訴えました。愛と赦しの主の御名にによって。

師は仰いました。「神は理論の神ではなくて実在し、世界の歴史を支配しておられるお方だ」と。そんな彼は、「ルーマニアで過去百年間に最も影響を与えた人物」の1位に挙げられる方だそうです。クリスチャン婦人は、テレビで見たウォンブラント師の証からルーマニアという国に心を寄せるようになり、師やその家族と交流を持ち、今回ルーマニアや共産主義と戦っていた、あるいは今まだ戦い続けている国々のことを教えてくださいました。

スピーカーのクリスチャン婦人は、物腰柔らかく、優しく穏やかな声で語る方ですが、最初に「私が語るのは作られた物語ではありません。実際にいた方々の真実の体験です。」と力強く仰って、その深い知識をシェアしてくださいました。パッと見には、小柄で普通の日本人お母さん、でしかない彼女の内にある熱いパッション、悪に立ち向かう思い、その中にいらっしゃる主、神様への信仰を感じさせていただき、私にはまだまだ知らないことがたくさんあり、この世の中には私には想像できない苦難に遭う方々が多くいらっしゃることを知らされました。

私自身、使命を求め、人生を懸けることを求める今、今回教えていただいたことが「力」となるかもしれないと思わされた勉強会でした。ウォンブラント師について、もっと知りたい方、ぜひご連絡ください。場所をセッティングします。213-324-6942 Mutsumiまで。





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なかったことにはできない

2010年06月22日 | 羊の群れ
約1ヶ月前、事故に遭った。後ろからぶつけられ、相手の過失として処理はスムーズに完了した。しかし、そこからも気付かされることもあり、私自身も運転はくれぐれも注意するように周囲の人々から思いやりのアドバイスをいただいていた。そんな人の言葉=思いをどれだけ真剣に受け止めていなかったか、先週ビッシリと知らされた。同じような状況で、今度は私の過失で事故を起こした。

「あと2メートル、車間距離を取りなさい。でなければ、いつか絶対事故を起こすから!」という忠告は、一月と経たない内に実現した。失敗の事実、己の過信、人の忠告に耳を傾けていない自分、そんなネガティブな思いに取り囲まれ、お布団をかぶって泣いて寝て忘れたい!明日になったら全部なかったことであってほしい!と逃げの姿勢に走りかけた。その時、目の前に言葉があった。「なかったことにはできない。」そして、イエス様の十字架が見えた。

私たちの罪はすべてイエス様が贖ってくださった。だからこそ、救われたクリスチャンは永遠の命を神様と共に生きることができる。過去仕出かしてしまった嘘も怒りも嫉妬も高慢も、人を傷つけたことも愛さなかったことも、すべてイエス様がご自身の命でその代償を支払ってくださった。そして神様は私たちの罪を「見ない。」と仰ってくれるのだ。確かに罪はなくなったのだが、「なかったことにはできない」。イエス様の十字架によって救われた事実をなかったことにできない、したくないように。

今回私がぶつけてしまった相手もとても寛大で、ダメージはないから修理はしないと言ってくれた。自分の車を直すためにお金は必要だったけど、授業料と言うにはあまりに小額だ。「愛ある運転」をすること、とAkoブログでも書いてもらったけど、私の生活すべてにおいて神様の守りがあり、恵みがある。だから私も「愛」を持って生活のすべてで応えるんだ。運転でも、仕事でも、教会でも、人間関係でも。すべてが「なかったことにならない」十字架によって与えられているものなのだから。



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私の知らない私

2010年06月20日 | 羊の声
 礼拝後、みんなで賜物チェックをした。御霊の実(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制 from ガラテヤ5:22-23)と霊の賜物(知恵の言葉、知識の言葉、信仰、病気をいやす力、奇跡を行う力、預言する力、霊を見分ける力、種々の異言を語る力、異言を解釈する力 from Ⅰコリント12:8-10)の内、自分自身が与えられていると思うものと、人から持っていると思うものをそれぞれ言い合うというチェック。

 私がその場で感じたのは、「自分が知っていることと、人の目に映ることはこんなに違うんだ。私って猫かぶりかも?」ということ。しかし、その後ちょっと考えてみた。私は私自身をどれだけ知っているのだろう?私が知っている私自身の評価は正しいだろうか?ひょっとしたら、人の評価の方がより真実に近いことはなかろうか?100%人の見立てが正しいことがないように、100%自分の見立てが正しいこともない。だとしたら、人の判断を謙虚に受け取ってこそ、ほんとうの自分自身と向かい合うことができることになる。

 「人間の行動は、ほとんどが潜在意識によって動かされている。」これは田中牧師の常套句だが、潜在意識とは私の知らない私の部分。それを知っているのは、私でない「人」と天の父なる神様。ほんとうの私と出会うため、そしてほんとうの私が神様に近づいていくためには、人との交流や人の言葉が欠かせないものだ。それができるのは、霊の家族関係、教会の交わりがあってこそ。。。教会ってそんな「自分探し」が容易くできるところだよ。モラトリアム諸君、ぜひGoon News Stationへ来たれ!お待ちしています。


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癌細胞

2010年06月17日 | 羊の声
今週の礼拝メッセージで、もう一つ心に残った言葉がある。「体は互いに補い合って動くものであり、周囲に無関係に一つで大きくなるのは癌細胞。」我武者羅な私=癌細胞?とギョッとした。

でも冷静になって考えると、まさしくその通り。私を支えてくれている周囲を無視し、私の努力なしに事は成ならないと思うというのは、とんでもない思い上がり。そんな思いを持っているから、一生懸命な私に自己憐憫してしまうのだ。それは、真の献身とは無縁であること。大切なのは、全体の益=神様の最善だと改めて知らされたフレーズだった。

そしてまた、「補い合って」ということは、決して「赤信号みんなで渡れば恐くない」状態ではない。互いの成長のために力を出し合うことが「愛」であり、その絆があってこそ「献身」となる。だから、「愛」(=神様)のない献身はなく、順序が大切なのだ。神様に献身し、教会に献身し、そして社会に献身する。そんな天の国に至る道を歩いて生きて行こう。



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人間の限界の隣に神様の愛と力と奇跡がある

2010年06月15日 | 羊の声
 「人間の限界の隣に神様の愛と力と奇跡がある」、私の愛し尊敬するメンターの一言。感動しました。

 今週の礼拝では、マルタのようにいろいろなことに心を奪われ、平安を失っている私に、神様が「睦美、睦美」と呼びかけてくれることを感じ、今は神様の思いを知ろう知ろう、と向かい合い、私からも神様を呼び求めてるところ。人生も、またその中の奉仕や仕事なども、神様が私に与えてくださったもので、それに限界まで、というとオーバーかもしれないけど、力を尽くして心を尽くして取り組む時、神様の愛と力と奇跡がすぐ隣に見える!そんな思いと励ましになったこの言葉でした。

 実際、日常生活にはしなければならないことが山積みのようにあります。いつもマリアみたいにしていられない!とも思います。でも、大切なのは心の姿勢であり、イエス様の傍にいれば何があってもくつろいでいられる、と思う信頼感。その心のスペースに、神様の御声と愛は注がれるのです。余裕のないスペースのないところには、マルタの怒り、自己憐憫、愛の欠如が発するように。

 「自分の役割を知り、賜物を知り、キリストの体としての成長を願って生きていく」という献身の意味を学び、それを私のライフスタイルで表していくために、ひとつひとつの小さな祈りがあり、霊で礼拝し、奉仕が与えられ、イエス様の体という共同体みんなでミッションの完成を目指す。神様が与えてくださった、任せてくださったこの素晴らしいプロジェクトの一員として、完成(=天国)を見つめて日々献身させて、神様の喜びを私の喜びにできるよう、祈って付いて行きたい、と思います。




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天国と地獄

2010年06月11日 | 羊の声
天国と地獄の存在を知っていますか。びっくりすることがありました。

この前の前の記事は「地獄の門」というタイトルでした。この記事の時だけ、読者数がぐ~んと飛躍的に増加したのです!そして試しに、前の記事では対比するように「神の時」としてみました。全然増えませんでした。人は、「神」ではなく「地獄」に惹きつけられるのだろうか、と不安になった出来事でした。

Good News Stationでは、メッセージにも学びにも、みっちりしっかりはっきり「天国と地獄」が出てきます。天国も地獄も聖書にあり、イエス様も仰っていることだからです。しかし教会によっては、天国はともかく地獄は語らないというところもあるそうです。地獄を知らないで、天国を知ることができるでしょうか。それはまるで、えんじぇる田中のほぼ毎みたい。。。

クリスチャンになってはっきりと知ったこと。私たちの前にはいつも二つの道があるのです。天国へ至る永遠の命の道と、死と滅びへの道。地上に生きている間に、行き先を天国に定めること。これが天国で生きるための人生スタート地点として、歩みを進めるのが、神様が与えてくださった人生です。天国には泥棒も、嘘つきも、憎しみも、悲しみも、劣等感も、自己中心もありません。そんなものがある天国は、ほんとうの天国ではないでしょう?

今この時に、天国で生きる決断さえすれば、神様があなたに与えたあなたの人生がスタートします。どんな過去があっても大丈夫!ただ、今、目標を定めてください。。。このびっくり出来事を通して、そんなことを感じました。あなたが正しい目標を知るためのお手伝いをします。いつでも御連絡ください。213-324-6942/Mutsumi

神の時

2010年06月06日 | 羊の群れ
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。 (イザヤ40:8)

 今年初め、神様は創造第一の日に人間に「時」を創ってくださったとメッセージされた。そして、今日は時間を超越したようなヘブル的な時空感覚のこと、そして時間は私に与えられた人生であり命であることを聞いた。少し前に日野原先生の命の授業について聞いた時も、「命」は私が何かをするために与えられた時間のこと、と聞いた。命は時間であり、人生のこと。命の使い方が神様の時である「天国」での生に価値をもたらす。そして問われた。「あなたは何に時間を使っているか、何に命を使っているか」と。

 今日の詩篇90でも、上のイザヤ書の御言葉も、また伝道の書全体でも、「時」が語られている。「永遠」の神の時に対して、「限りある」私の時。その時を何に使うか、それが人に与えられた一生の課題。私はどれだけ真剣にこの課題に取り組んでいるだろう?どれだけ自分の好き放題ではなくて神様のため、世のため人のために時や命を使っているだろう?今日の問いかけに思いがけずギクリとしたのは、うっちゃっていた課題の進行具合をチェックされたからかもしれない。

 神様はうっちゃっていたことを責めたりはされない。が、今日のメッセージを通して私が気付き、思いを明確にして、正しい時間の使い方をして欲しい、と願っていてくださっているのは間違いない。いつまでも、その場限りのことで時間に追われるのではなく、正しい優先順位で時間を使っていく。消え去るものでなく、永遠に変わらない神様の言葉で私の「時」を満たしていく。一日一日一歩一歩の実行をもって、一生の課題に真剣に臨んでいこう。



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地獄の門?

2010年06月03日 | 羊の群れ
木曜日、リビングライフの学びを分かち合っている。テキストの中で、「内面的生活の秩序と霊的成長」という本からひとつのお話が抜粋されていた。「ある朝、あるマンションの前の道が大きく陥没し、自動車や道路、芝生などを飲み込み、マンションまでも崩れそうになっていた。(中略)突然、地上のすべてのものが地に飲み込まれると考えると、今立っている大地も決して安全だとは言えない。多くの人々は、陥没する道の上に生きているかのようだ。」表面的には平和に見える、あるいは思い込む内側に何があるか、何が起こっているか、を考える学びで、日常生活や霊的生活の基本、礎を見つめ、改善する課題のひとつだった。そこで、帰ってきてニュースを見て驚いた。以下、同日のロケットニュースから。



中米で熱帯暴風雨「アガサ」が猛威をふるっている。グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルでは少なくとも死者の115人が出ており、約12万人に避難勧告が出され、約3万人が収容施設に避難している。グアテマラでは首都の近郊にあるパカヤ山が噴火を始め、非常事態宣言が出されていた。自然災害が重なり、街では道路が陥没して巨大な穴があく被害まで出ている。

先月28日、グアテマラの首都から南に約50kmにあるパカヤ山が噴火を始めた。山から溶岩が流れ出し、市街地にも火山灰が降り注いだ。噴火の報道をしていたニュースキャスターが、飛来した岩に直撃し死亡したほか、火山周辺の地域の約2,000人が避難していた。同国のアウロラ国際空港は28日から全便のフライトを中止し、空港を閉鎖していた。

そこに追い討ちをかけるように、熱帯暴風雨「アガサ」が到来したのだ。火山噴火と暴風雨は予想外の事態を引き起こした。街中に降り積もった火山灰に大雨が大量に降り注ぎ、灰はコンクリートのように固まって、街中の排水管および下水システムを全て詰まらせてしまったのだ。下水システムが壊滅した街は悪臭が漂っているという。そして、地盤のもろくなった地域では、コンクリート化した火山灰の重さに耐え切れずに道路が陥没してしまった。

現在、アガサは勢力を弱め、すでに暴風雨ではなくなったが、グアテマラでは復興の目処は立っていない。政府はインターネットなどを通じて復興支援を呼びかけている。火山と豪雨が同時に起き、排水管を詰まらせるとは、誰も予想しなかったことだろう。自然の力は凄まじい。


英語ニュースでは、何と「グアテマラに地獄の門が開いた!」と大見出しが出ていた。学びでは、「不安」と「まことの平安」について分かち合ったが、このニュースを読んで、より一層考えることができた。自然の力を無視して築き上げた技術の成果が崩れ落ちるように、神様の力を無視して自分の人生を突っ走っていたら?クリスチャンだから一安心、ということはない。神様がご覧になるのは、クリスチャンという「タイトル」ではなく、「クリスチャンである」という事実だから。そうあるために、学びも、交わりも、そして何より礼拝が必要なんだ、と感じた次第。

天国の門はこちらから。毎週木曜日、ロサンゼルス、リトル東京で午後6時から学びの時を持っています。今週の礼拝で聞いたように、真理を求め、現実を見つめ、目的を持って歩むための学びです。一度お立ち寄りください。 213-324-6942 MUTSUMI



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