きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

Original Pancake Houseのパンケーキ

2011年09月25日 | 羊のご飯


たまには食べ物ネタ。Original Pancake House(オリジナル・パンケーキハウス)はオレゴン州ポートランドに本店のある老舗。この店名、言ってみれば『元祖パンケーキ屋』って感じ?教会のオレゴニアン(=親オレゴン州)、お勧めのレストランです。以前、ラスベガスで行ったことはあったけれど、その時はコレというこだわりなく、それからもう一度行きたいと思っていた願いが叶いました。クリスチャン友だちと優雅にブランチです。平日の朝だというのに、ほぼ満席。アメリカ人ってパンケーキ好きなのよね。同行した友達はお家がレストランの近くということもあって、時々ご家族でもいらっしゃるそうです。ということで、お勧めメニューをトライすることができました。

手前はお店の人気メニュー、ダッチ・ベイビーというレモン風味のパンケーキ。周囲をふくらませてあるので、テーブルに置かれるとちょっとびっくりの大きさですが、ペロッと平らげられます。ホイップバター、シロップ、追加のパウダーシュガーをお好みで。後方のお皿は、スウェーデン風パンケーキ。冒険したい私のために頼んでくれました。クレープのような薄いパンケーキに、コケモモジャムが付いてきます。これも美味しい!週末は早朝からたいへんな行列になるこのお店。ロサンゼルス近くでは、レドンドビーチ、アナハイム、オレンジ。オレンジは行っていませんが、アナハイムは古き良きアメリカの雰囲気あふれてステキ!一度試す価値は十分あります。オススメ!

http://www.originalpancakehouse.com/index.html

問題は「わたし」

2011年09月20日 | 羊、朝の一声
リビングライフの黙想エッセイから。

キリスト教の最も基本的な真理は、自己否定です。ぎょっとするかもしれませんが、自分を殺すことが信仰の第一歩です。自分を否定し、新しい自分としてイエス様を受け入れるのです。真理のために自分を押し殺すとき、真理を味わうことができます。

ある時、『ロンドンタイムズ』が著名な作家数人に、「この世で何が問題か」という主題でエッセイを依頼しました。その中の一人は、歴史上、最も短く最も印象的な答えを出しています。「I am.(私だ)」

祈る!

2011年09月19日 | 羊、朝の一声

祈りの大切さについて語られている今日この頃、リビングライフの書籍宣伝のコピーからも語られた。

ひざまづいて生きるクリスチャン
19世紀の有名な伝道者、D.L.ムーディが、エジンバラで説教中、子供たちに質問を投げかけました。「祈りとは何でしょうか。」

一人の子が自信を持って手を挙げます。「祈りは、イエス・キリストの名前によって僕達の罪を告白し、神様の憐れみに感謝して、神様の御心にあわせて、僕達の願いを神様に捧げることです。」


すごい!私はこのようにきちんと祈りをつかんでいるだろうか。そんな祈りをささげているだろうか。きっちりと神様から「祈り」を教えられた思いでした。




イエス様の祈り

2011年09月15日 | 羊、朝の一声
日々の生活が平安で順調なときは、ほどほどに献身し、信仰を守るのも難しくありません。しかし、予期しなかった困難に襲われると、神の御前に出て行くよりも現実を見つめてしまうものです。普段は神と親しい交わりを持っていても、苦難の波が押し寄せると、いつのまにか、不安や恐れ、恨みやため息の中で、神に自分の願いばかりを要求するようになります。御前に出て行くことをおそろかにし、状況を解決するために周りの人の助けを求めます。しかし、何よりも大切なのは、父のみこころです。神の目、心、手がどこに留まっているのかが、問題そのものよりも重要なのです。

イエス様の祈りにたくさんのことを教えられます。

山羊の思い違い、羊の謙遜

2011年09月13日 | 羊、朝の一声
イエス様の最後のたとえ話、「羊と山羊のたとえ」。このタイトルは面白い、と思ったが、内容は結構切実。。。

最後の審判の時には、羊飼いが山羊と羊を左右に分けるように私たちも分けられる。羊は右に、山羊は左に。右の羊は永遠の命をいただき、左の山羊は永遠の刑罰を受ける。なんで山羊が?と山羊ファンの方からのクレーム間違いなし、だけど、聖書では山羊は悪人の象徴になっている。ハイジが知ったら泣くだろうな、、、なんて考えるより先に、問題は分けられた時の羊と山羊の態度。

羊はお腹がすいている人に食べ物を分け、泊まるところのない人を泊めてあげ、病気の人を見舞い、牢にいる人を訪ねていた。神様から「あなた方はそういうことをしてくれたね。」と誉められると、心当たりがないと言う。この謙虚さ!私なら、たった一度でも、どれかひとつでもしたことがあったら、きっと覚えているだろう。そして、自分の数少ない美談として決して忘れることはないだろう。ということで、この私の態度はまぎれもなく山羊だ。

山羊は、「我々がいつそれをしなかった?神様になら、必ずやってあげているよ!」と、この高飛車な態度。だから神様は仰る。「最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのだ。」

神様はすべてご存知だ。私が見ないふりをしたとしても、忘れてしまっても、また気付かなかっただけであっても、そこに愛があったか、愛ゆえの行動だったか、それをご覧になっている。神様の前に立った時、「あんたは左」と言われてガーガー騒いだところで、後の祭り。ナマケモノになったり、シロクマになったり忙しいけど、今日は羊を目指そう。

脱ナマケモノ→シロクマへの道?

2011年09月09日 | 羊、朝の一声
また決心をくじくところでした。励ましのお祈りを感謝します。何とか初志貫徹。(ってまだまだこれからなんだけど。)今日のリビングライフのコラムから。

「労働は祈りであり、祈りは労働である」という言葉が韓国のある祈祷院に掲げられているそうです。労働は祈りと同じくらい尊く、祈りは労働と同じくらい労を要するものだ、という意味です。

まさに今のナマケモノに教えられるべき、また実践すべき課題?祈りつつ、この尊いブログ労働に勤しんで参ります、これからも!皆様、更なるお祈りをよろしくお願いいたします。

  

↑facebookで見た「祈る」写真シリーズ。




↑韓国系かしら、とも思うけど、う~ん、びみょう。。。


悔い改め!

2011年09月06日 | 羊の声


ナマケモノ二匹ではとっても表し尽くせることではありませんが、悔い改めます。「昨夜、啓示を受けました。」と師からの通知に、ピン!と来たのは、私はこれを悔い改めなければ、という強い思い。信仰の先輩、姉様を見習い、今度こそ悔い改め、継続を宣言します。

実は(と、言い訳は続く)、「兆し」はいただいていたのです。姉様と違って、同居している家族もなく、更に今年に入ってホームオフィスとなってしまったので人と会う機会が極端に減っており、つまりブログに書ける内容がない!と思っており、それならば毎朝のLIVING LIFEデボーションで学んだこと、記載してあるオススメの一言などを“とにかく”書けば良い、と我ながらGOOD IDEAを得たのは1ヶ月か2ヶ月前。しかし、結局それもうっちゃってしまった挙句、目の前に突きつけられたのは「啓示」。今日こそ、いただいたGOOD IDEAを実行します。

ということで、今日のリビングライフ。これがまた、マタイ24章なんですよ。。。タイトルは「終わりの時に備える方法」ときたもんだ。まったく神様の計画ってスゴイ、と感嘆するばかり。これだけでも頭上げられないけれど、更に突き刺さるのはこの記事。

神に不従順でありながら、「神が私たちと共におられるから、私たちは安全である」と考えるのは、信仰ではなく自己暗示にすぎません。神のさばきが始まれば取り返しがつかなくなるため、迅速に裁きの場所を離れなければなりません。(中略)すぐに離れるべき罪の場所はどこですか?

ど真ん中、ストライク?まずは週二を目標に、「怠惰」から離れる、いえ、「怠惰」を捨て去ります!この記事を読んだ方、どうぞ、このナマケモノのためにお祈りください。