きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

コミュニケーションのススメ

2008年07月29日 | 羊の群れ
一生ものの能力は、身につけるものではなく「磨く」ものだ、という言葉を聞いたことがあります。ならば、人の間で生きる人間にとって、絶対に必要な「コミュニケーション能力」も磨き、成長させていくものなのでしょう。私自身、コミュニケーション下手、あまり好きでない、と思ってあきらめていた部分がありました。が、教会で「人との関わりの内に、本や知識では得られない『何か』を得られる。それが人生にとって大きな深い意味を持つ。」という真理を知って、少しだけ積極的になれたのです。

 今週のGNS礼拝では、コミュニケーション正常化のためのポイントを学びました。御声部屋で特に取り上げられたのは、理解の一致のため接点を求める、という点。人それぞれ、価値観は異なります。性格、好み、経験、過去、個性、心、どれも違います。もうひとつの礼拝では、「存在(=BEING)の価値」について語られたそうですが、一人一人が神様の最高傑作として創られた「ONLY ONE」なのです。だからと言って、専ら気の合う人とばかり付き合っているだけでは「コミュニケーション能力」は磨かれません。第一印象で合わないと思う人であっても、接点を探す、理解できる部分を求める、相手とのGapを埋めるよう努める、これが自分の内の宝を磨き上げていくのです。今週会った初対面の人とのコミュニケーションを振り返って、自分に必要なポイントを考えることもしてみました。

 コミュニケーションについて、イエス様が仰ったことはとてもシンプルです。「人にしてもらいたいことを、人にしなさい。」心理テクニックや洗練された会話術などは飾りでしかありません。コミュニケーションにほんとうに必要なものは「相手を思いやる心」。御声部屋は、そんな心の交流がされる場所、求め求められる場所でありたいと祈っています。


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弱さ

2008年07月22日 | 羊の群れ
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

 御声部屋メンバーの礼拝メッセージから、「弱さ」について考えました。誰にでも「弱さ」はあります。自分の「弱さ」をはっきり知る方、まだわからない方、いっぱいありすぎる方、それぞれの意見をいただきましたが、『わたしは弱いときにこそ強いからです。』と言うパウロの「弱さ」は何だろう、と質問がありました。

 先週に引き続き、人間関係の不協和の中にも「弱さ」を見ました。自分の弱さと、相手の弱さ。弱さに自力で対抗しようとする反動が、還って相手や自分を傷つけることもあることも話されました。最近は「勝ち組」を目指す自己啓発が盛んですが、聖書では「弱さ」を否定せず、抗いません。全能なる神様の前に、人間が弱いのは当然ですから。弱さを受け入れるとき、そこには「愛」があります。相手の「弱さ」を見て、その人を嫌ってしまうのではなく、その「弱さ」を受け入れられれば、周囲の人間関係の改善となっていくはずです。「弱さ」を通して大切なものを見つけられるのです。

 「弱さ」に対して、仲間の力が大切なことも知りました。自分自身で対応できないことを、セルの仲間が教えてくれる、味方でいてくれる、励ましてくれる。そんな確かな安心感によって、「弱さ」を受け入れることが容易になるのです。その時、「弱さ」と思っていたものが、あなたの人格のひとつとして内に刻まれ、「強さ」として輝くようになるのかもしれません。牧師先生が何度も仰います。「問題があることが問題なのではない。問題を知らないこと、気付かないでいることが問題なのだ。」と。問題意識を持つ場、そしてそれを考えていくためにセルを続けたいと思います。それぞれの「MISSION MIND」を成長させていくために。


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POSITIVEに生きる

2008年07月15日 | 羊の群れ
日曜日のGNS礼拝では、「アンテナ」の立て方に気付かされました。人生において「ネガティブ・アンテナ」を遠ざけ、「ポジティブ・アンテナ」を立てること。欠点ばかりに目を留めず、長所を見ること。そこで今週の御声を聞く部屋では、そんなPositive Thinkingのための心の在り方をテーマに始めました。特に、参加者の一人が直面している周囲の人間関係に重点を置いて、どうしても好きになれない人、あるいは嫌われているように思う人、波動が合わない人に対する態度、また同時に、無理に合わそうとして自分自身の内に発する怒りや悲しみ、ストレスなどの負のエネルギーへの対応、自己嫌悪や自己否定からの解放についてを、それぞれの体験からシェアすることができました。

 そして、別の方が礼拝で受けたメッセージ、『信じる生き方:人は信じたように生きる』の内容もリンクして、それぞれがどのように生きるかは選択にかかっていること、だからこそPositive Thinkingが人生を前へ進ませる原動力となることを確認し合いました。私たちは、すべての人を愛することなど到底できません。クリスチャンであっても嫌いな人はいるし、相性の良くない人、どう考えても仲よくできないと思える人もいます。そんな人との不協和に対し、いつまでも相手だけに解決を求めないこと、自分自身の内に解決の糸口を探していくこと。これこそが、信仰を立て上げることになります。そんな思いを新たに人間関係を温められるよう、そして自分自身を前進させる励みになるよう、セルを続けて行きたいと思います。愛を持って見守っていてくださる父なる神様に感謝しながら。


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「よかったね」

2008年07月01日 | 羊の群れ
最近SBCであったお証しから、今「よかったね」を体験実践しています。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 (ローマ 8:28)

この御言葉に立つ時、神様と共に生きる私たちは全てを「よかったね!」と言えるはず。しかし不平不満が渦巻く世の中での日常生活には、「×××だったらよかった」「よかったけど。。。」という後ろ向きな状態を数多く見ます。もちろん、痛みの直後、あるいはトラブルの只中ではそうできないこともあります。どうしようもない不条理や困難は、どこにでも誰にでもあります。だからセルの仲間がいてくれて、また教会があるのです。共に悲しみ、共に喜ぶための永遠の家族として。この世における、ただひとつの天国に繋がる場所として。そこから、より大きな「希望」を見ることができると、私は信じています。

希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 (ローマ 5:5)

最初は何かしらこじつけのような「よかったね」でも、励ましを受けて、前を見上げて、神様の御業に従った時、心から「よかったね」と言い合える。そう言って立ち上がり、共に歩む仲間を見る。SBCはそんな風に歩み続けたいと思います。「よかったね」を探せない方は、お手伝いします。お立ち寄りください。




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