きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

和解の血:Ⅱコリント5:20

2015年10月31日 | 羊、朝の一声
「私はそんなにひどい悪いことをしていないから、死んだら天国に行くだろう」と思うアナタの天国はどんなところ?天国には一切の悪がない。自分ではこれくらいと思ってしまうような、どんなに小さな嘘でも嘘は嘘。神様には受け入れられないモノ。 嘘以外にも、嫉妬、自己憐憫、虚栄心、競争心、みだらな思い、ごくごく微小でも“罪”を持って、聖い神様のいるところにはいられない。神様はどんな小さな罪にも妥協されないし、大目に見ない。だから神様なのだ。では、誰が天国にいることができるのか。神様と和解ができた人。それは、十字架で血を流してその命を代わりにささげてくださったイエス様を知る人。罪は血をもって贖われる。イエス様の血によって赦された人だけが、天国にいることができるのだ。

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。




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情報力と実践力

2015年10月11日 | 羊、朝の一声
巷には累々と情報が溢れている。特にインターネットやスマートフォンの時代になった今、いつでもどこでも何をしていても、情報の波が轟々と流れるのを見る。「何を最もお得に買うか。」「どのように効率よく動くか。」「いかにそつなくこなすか。」情報の欠如は、「損」「要領悪い」「鈍くさい」となる。正確な情報をいかに入手し、生活に適応しなければ、大きな損失を生むことになる。これはグルポンとか、スマホのアプリレベルの話ではない。人生の、「いのち」の話だ。情報は力だ。

情報には、data (データ)、information(情報)、intelligence(知性)、この三種がある。データを集め、情報を選び取り、それを知性とする。その時初めて、その情報は私のものとになる。Intelligenceは、生きて行くための特殊情報という意味になる。例えば聖書を題材にすると、こうなる。

 data: 聖書は世界で最も多くの言語に翻訳され、世界一の発行部数を誇る本。
 information: 聖書は全66巻からなる神様が人間に与えた啓示である。
 intelligence: 聖書は私に語られている神の言葉であり、人生のすべての問題の解決はここにある。

「データ」とは、客観的事実や既知の事項で、調査や実験により得られて判断の材料となるものである。聖書は史上最大のミリオンセラーであり、2000以上の言語に翻訳されている他に例を見ないもの。この「データ」の類は、調べようと思えばいくらでも得られる。が、ほとんどは、右から左への聞き流し、内に留まることなく、消え去っていくことが多い。それが留まる時、「インフォメーション」になる。聖書は、歴史や預言を通して神様が人間にくださったメッセージなのだ、とわかって読む時、聖書の言葉は光を放つ。まさに啓示だ。この体験は私にとって忘れられないものなので、断言できる。しかしまだ先がある。それを「インテリジェンス」に適用すること。体現することだ。

AD68年、ローマ軍はエルサレムの城壁周囲を取り囲んで、抜け出す術はなかったその時、ただ一度だけ好機が訪れた。ほんの一時期、包囲が解かれたのだ。「憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。」というイエス様の言葉を握っていたクリスチャンは、脱出することができた。「インフォメーション」を「インテリジェンス」に適用して、助かったのだ。

聖書は、一人一人に語られている神様の言葉だ。人生で得るべき、最大最強のインフォメーションだ。「あなたは何者なのか。」「どこから来てどこへ行くのか。」人類史上繰り返し問われたこの永遠の問いに聖書は答えてくれる。それを「インテリジェンス」にすることができれば!

「インフォメーション」とした手段を、「インテリジェンス」という目的に転換する。このためには、目的意識を持って、情報収集し、記録し、分析し、評価し、判定すること。ただ聞き流しているだけでは、決して「インテリジェンス」にならない。聖書の言葉を一「データ」としてしか理解できておらず、応用方法が見えていない。意味が分からずに暗唱聖句しているのと同じ。スポーツの上達と同じく、理論ではなく、実践あるのみ!現場での経験を培うのみ!知識と知恵を混同してはならないのだ。

知識と知恵の違いは、以前教えてもらった例がわかりやすい。

 知識=国際線フライトには、カバン二個まで、合計40キロの荷物を持ち込める。
 知恵=だから大きなスーツケース一つではなく、20キロずつ分けて持てるものを用意する。

これが、知っているだけではダメ、生活に適応して活かされる、ということだ。だから知識をわかりやすく理解して、自分の内に取り込む作業が必要なのだ。「これは人生に必要不可欠な知的行為です。」と言われたのが、今日のポイントだった。記録していない、整理していない、判定していない、頭の中は私のお部屋同様、ぐちゃぐちゃのまま。これではいけない。ということで、久々のブログ投稿だ。

今まさに現実化しつつある終末世界に備えるためには、ぐちゃぐちゃを整頓しよう。記録し、確認し、その時に「インテリジェンス」として意志判断できるように。そして自分の内の「インフォメーション」を大切な人へ伝えて「インテリジェンス」とするために。聖書を学ぶ理由は知識を得るためではない。勉強が、ただ学校に入るため、テストで高得点とるためではないように。学びを通してどう生きるのか、ほんとうに必要な知るべきことは何かをを知って、生き方を変えてもらうために学ぶのだ。それが聖書にある。聖書で語る神様は変えてくださる。だから、今、実践しよう。


聖書を共に学ぶ仲間を募集中です。ロサンゼルスで一緒に「生きた聖書の言葉」を学び合いましょう。牧師なし、会堂なし、聖書のみ、お食事しながら!平和と笑いと聖霊様が満ちて、神様を礼拝するほんとうの教会(エクレシア)を求めています。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI


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