きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

2014年夏到来

2014年07月04日 | 羊の群れ
えんぢぇる師と共に、今年も『熱い』夏がやって参りました!師ご自身は、ブログにて、「夏は蚊取り線香」(メーカー名まで入れて!)と風流な感じで記載されていましたが、ロサンゼルス教会にとっては「夏はえんぢぇる田中(と猛特訓)」です。風流よりも情熱虫対策より霊性調整『熱さ』も彼と共に到来しました。

第一回集会は、家の教会にて。お母さん方中心に集まりました。LAにしては暑い日でしたが、待ち構えて集った約10名に午前と午後の二段階で「熱く」語られました。4つのタイプ、4福音書、イエス様の4つの命令、教会がする4つのこと、そしてえんぢぇるベーシックの聖書の読み方について。

聖書は霊で書かれている書だから、霊で読むこと。
聖書は海のようなもの。入れば入るほど、見えるもの、わかるものがある。
聖霊主導型クリスチャンになる方が楽!








次回は、これまた定番、でも超重要な「子育てと信仰」について集会予定中です。ぜひ!と思う方はご連絡ください。213-324-6942 / MUTSUMI



☆Good News Stationのメインページはこちら!

御言葉の力

2014年02月21日 | 羊の群れ
先週の礼拝で、御言葉のチカラに「どっひゃーん!」という経験をしたことを書きましたが、今週もまた同じような経験がありました。いえ、この御言葉の力を味わい、喜べることこそが、クリスチャンの醍醐味家の教会という限られた状況で礼拝していても、神様を求めるなら、この力を体験できることに感動しています。これだから、クリスチャンは止められない!今回のメッセージは「侮りという人生の罠」について。その罠に陥らないための3つのポイントが語られました。以下、復習です。

 自分の世界に逃げ込まない
 忠告してくれる人を持つ
 ほんとうの謙遜は自己肯定から

今回私に語り掛けられたのは、のところ。アラフォーもそろそろ卒業し、アメリカで自由な一人暮らし20年のの40女にとって、向かうところは敵なし!というのが実情でしょうか。実際、私も勝手気ままと呼べるような生活ぶりです。お恥ずかしい。。。実家においても、どこかディシジョンメーカー(決定権が強い)立場にあり、親も兄弟も、この勢いに押されている様子。ひょっとしたら、「もはや、何も言うまい」と思ってしまっているのかも。これは、超危険信号ですね!

そんな私の過去10年の天敵(!?)は、何を隠そう牧師先生です。今でも十分手を焼いているとは思いますが、かつて、ノンクリスチャンでもっと歯止めが効かなかった頃から知っていて、悪いところ、弱いところを私以上に知っていて、しかも「ビッシリ、バッチリ」駄目なところはダメと厳しく指導してくださる方。もちろん、神様もしばしば語ってくださいますが、神様の言葉は、私の都合のよいように聞くこともしばしばなので、やはり直接的な意味での第一の脅威は、私の都合に関わらず地声を響かせる牧師先生。

今回のメッセージをいただく前、ちょっとした遣り取りがあり、私個人としては「それはちょっと無理なんじゃないの?こっちの都合もあるんだけどなー」と歯向かう感じの依頼事項でした。(もちろん、教会のお仕事です。苦笑)その点、メールは余程にならないと激しい応酬とはなりませんが、完全に建前コミュニケーション。本音では

   言われたことをさっさとやらんかい!(ウギャ~~~!)
   何勝手なこと言ってんの?(ギャオ~~~!!)

のゴジラ対ヒドラの世界。(注:この会話はフィクションで、あくまでも私の立場からの勝手な見解です。実際には、牧師はこんな乱暴な思いは決して抱かないはず?)とりあえずその場は事なきを得ましたが、内心は、「できっこないよ、そんなこと。私にも予定があるんだからさー」でした。

そこへ、 忠告してくれる人を持つ

驚き桃の木山椒の木。(サムいかな。)ここがクリスチャンっていいなーと思うのは、例えば礼拝メッセージでなかったら、「この世的えんぢぇる田中カウンセラー講座」で言われたことなら、「あ、この場を利用してうまく私を誘導する魂胆だ。」と穿った見方をしても当然でしょう。しかしクリスチャンにとって、礼拝メッセージは牧師が語っていても、それは神様からの言葉です。しかも私の心を何かの刺激で突かれたなら、それは間違いなく、神様の御言葉の力、とクリスチャンは信じているのです。だから、このタイミングであればあるほど、私が悔い改めるしかありませんでした。

というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。(へブル4:12)

「バカバカしい」と思われるかもしれません。忠告を受け取るか、無視するかはその人の選択です。受け取らないこともできるのです。でもこの「侮り」のメッセージを聞いた今は、受け取って主を畏れる選択をしようと思います。神様は私よりも私のことを御存知で、何が私にとってほんとうに良いことか、何が実は私を束縛しているのか、を御存知だからです。私は私の貧弱な自己主張を捨て、絶対の神様に頼ります。

今年、GOOD NEWS STATIONは家の教会という新しい試みに挑みました。いろいろな不安材料もありましたが、その時に「とにかくやってみよう」と決めて始めました。その延長がこのことのようにも思うのです。私もまた、できないかもしれないけど、「とにかくやってみよう」と思わされました。結果がどうなるか、楽しみに報告をお待ちください。



ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。牧師なし、会堂なし、聖書のみ、お食事付き!毎週土曜日朝に、集まって祈り、分かち合いの時を持っています。一度でも、「教会って敷居が高い。。。」と悩んだことのある方、ぜひこちらへ!教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。ただ、それだけを目指して、小さな群れながら、神様を礼拝します。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI

小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)



家の教会をはじめよう!と思う方は、このバナーをクリック!



☆Good News Stationのメインページはこちら!


どっひゃ~~~ん!!な御言葉力

2014年02月10日 | 羊の群れ
神様から与えられた教会でのお役目は、とっても嬉しいもの。でも、時々私の狭い考えで、「え?」とか「うーん」とか、不満を持つことがある。例えば、礼拝メッセージ。音声担当の私には、礼拝前に音声と聖書箇所、メッセージタイトルが送られてくる。内容を先に聞くことはしないけど、タイトルだけでもおよその内容が業務連絡のように知らされて、「今日はどんなお話かなぁ」とワクワクすることがない。えんぢぇる師特有の突拍子もないタイトルならそれなりに楽しめるが、今週のメッセージタイトルは「福音と北方領土」。あ、北方領土の話なのねー、と先読みしてしまっていた私がいた。そんな狭い了見の私に、神様の広い世界が示された。

エピソード1
私に最近発生した祈りの課題。会社の健康保険がなくなるかもしれないそうだ。オバマ大統領の新規医療保険を個人で入った方が、会社が払う保険よりも安くなるそうなので、会社として方針を変えるかもしれないとのこと。私はオバマケアには入るつもりはないけど、そうすると無保険者に対する罰金とか、実際に医療制度を利用できなくなる問題がある。何とか会社の保険が続けられるよう、祈って!と礼拝前にシェアリングした。そこにある人が祈る。
「御言葉で知恵を与えてください。励ましてください。」
私はすかさず、心で思う。(祈ってもらっているのに、なんて態度!
「(ちっちっち舌打ち)今日は北方領土だよ~。解決は今度だね。」

エピソード2
風邪が抜け切れず、辛そうな子がいた。メッセージを聞くのもしんどそうだったので、礼拝前にみんなでお祈りをした。その子曰く、
「具合は悪いけど、だからこそ神様の癒しの御言葉がもらえるかと思って来た。」
それを耳にした私、心でつぶやく。
「(ちっちっち)残念、今日は北方領土だから、癒し系じゃないね。。。」

そして、神様からの御言葉が語られた。



どっひゃ~~~ん


クリスチャンは、世の中に起きていることすべてを聖書的観点で見ること。そのための御言葉がこれです!何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。


確かに北方領土の話だった。よく見れば、今日の聖句は確かにマタイ6:33だった。内容としては癒し系ではなかった。でも、どちらの問題にも答えが与えられた。神様は、今、その場で、答えをくださるのだ。ハレルヤ!主の御名をほめたたえます!と言わずにはおられなかった。神様ってすごい。。。ただただ感嘆。

イエス様の力を知らなければ、「あ、そんなこともあるのね」だけかもしれない。それでもいい。でも、それでは何も変わることはないだろう。神様の応えとして受け取る時、神様の御言葉が成就する。そして、変えられていくのだ。真理は足元にある。真理はこの小さな家の教会にある。教会って、そんなビックリする感動があるところです!

ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「最近感動していない。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!


☆Good News Stationのメインページはこちら!




神様からの金のりんご

2014年02月02日 | 羊の群れ
今週の礼拝メッセージは「励まし」について。私の弱い部分。話を聞いていても、どうしても理詰めで説得したいという思いが先走ってしまって、ただ頷いて相槌を打つことが苦手。『情』より『論』に走ってしまっているので、自己評価はF(落第)だな。そんな礼拝アプリケーションをする私に、教会の男の子は「そんなことないよ!いつもボクは励まされているよ。」と言ってくれる。彼は励まし上手だ。その辺り、ほめることが上手な〝アメリカ人″入っている。でも素直でない私には、哀しい哉、そんな言葉が「励まし」として受け取れない。(なんて非情な!)そこで考えた、神様から来る「励まし」って何だろう?今日のローズ・ケネディさんのお証しにあった家政婦さんの言葉のように、決して甘いだけではなく、力のある「励ましの言葉」はどういうものだろう?

『情』より『論』タイプなので、早速聖書と向き合う。すると、やっぱりスゴイ!神様は必要なことを語ってくださるのだ。「励まし」という言葉は100回以上も聖書にあるそうだけど、旧約には13回しかなく、驚くことに四福音書には一度もない。旧約での使われ方を見ると、13回の内2-3は私たちが普通に考える「励まし」になっているが、約10回、つまりほとんどは「神様が励ます、あるいは神様に在って励ます」というニュアンスが見える。そう考えると、福音書に記述がないのは「励まし」そのものであるイエス様がこの地におられたからかもしれない。私個人として、スゴイ発見のようで大感動している。(で、早々にブログまで書いている。)

例えば、最初の登場の申命記3:28。モーセが神様にカナンに行かせてほしいと願ったその後。
ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。

また詩編では、すべて「主が励ます」と謳われている。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
主は貧しい人々を励まし 逆らう者を地に倒される。

残りの「励ます」を含む聖句から受け取るものは、「前進させる」こと。これは家政婦さんがローズさんに語った言葉も同じだ。苦しい時、悲しい時、悩む時、もちろんその問題そのものに対する対処も大切だが、その人が「それでも前に進もう」とする思いが解決の糸口になる。逆に、「このままでいい、ジッとしていよう」という思いが解放を阻むのだ。そう考えると、私の好きな『論』や批判は、解決から後退させるものになっている。人は、特に問題の渦中にある疲れた人は、わざわざ痛い目に遭う壁に向かわない。壁に背を向けるなら、それは問題から目を背けさせる結果になる。前進はない。

「前進させる」気持ちを与えるのが神様からの励まし、「金のりんご」だ。と、わかったことは嬉しいけれど、じゃあ、どうしたら?と思った時、やっぱり神様はアドバイスをくださる。神様からの「励まし」は私を前に進ませる。私もまた、「金のりんご」をいただいたのだ。「金のりんご」について調べていると、アメリカの某教会のメッセージが出てきた。(画像参照)りんご=APPLESで、励ましの言葉の性質を揚げているもの。

 A:適切で
 P:(神様に在って)喜ばせるもので
 P:純粋で
 L:美しく
 E:勇気づけて
 S:柔らかい言葉

うーん、むつかしいかも。まさしく「批判」は「金のりんご」にはなり得ない証拠。全部とは行かなくても、いくつかの性質を含んだ言葉を心掛けると同時にふと、昨日読んだ「頷き」についての記事を思い出す。心理学的に、頷くことは人の承認欲求を満たす効果があり、相手の話を引き出す能力がある、と書かれていて、カウンセリング現場でも、頷くことはとても大切だそうだ。メッセージ中でも、えんぢぇる師は、下手なことを言うより必要最小限の相槌と励まし、と極意を教えてくれていた。となれば、神様からの今週の課題は、「頷いて聴き、励ますこと」だ!さて、どんな実践の場が与えられるだろう?(これだけアドバイスをいただいているのだから、この後もきっとある!と確信。)この課題を心に留めて、誰かを「励ます」ことができるだろうか。結果は後日談をお待ちください。そして、私が励ますことができるように、祈ってください!

いち早く後日談を知りたい方は、ぜひ土曜日朝の家の教会にお越しください。ロサンゼルス(グレンデール)で、毎週集まっています。ランチ付!食卓を囲んで、えんじぇる師の聖書メッセージから人生の知恵と希望を分かち合いましょう。「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。あなたをおもてなしします。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI



メッセージ(音声)はこのバナーをクリック!


☆Good News Stationのメインページはこちら!


失望から希望へ

2014年01月25日 | 羊の群れ
さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。

命令形で書かれたこの聖書の御言葉。天地創造された神様から、今を生きる私たち人類へのメッセージだ。今週、あなたの人間関係はどうだったろうか?また新聞紙面に目を留めると、靖国神社参拝への批判、竹島問題、中東を始めとする各地の民族紛争や世界的金融不安など、この地上は膨大な問題に溢れている。こんな問題だらけの地球で、どうすれば一致ができるのか?方法は一つしかない。イエス様による一致だけだ。

福音は宗教ではない。どの宗教も、「いやいや、私のこれは『宗教』などといういかがわしいものではないです。」と口をそろえて言うものだが、福音は断じて宗教ではない。宗教も哲学もこの地上のもの、人間が作るものだからだ。福音は、人間が作ったものではない。神様が、聖霊様とイエス様を通して人間にくださったギフト、贈り物だ。この荒れ果ててしまった地球はもはや、人間の力で元に戻すことはできない。果てしなく離れている天の神様の元へ人間の力だけで戻ることも決してできない。どちらも、この地を創り、人間を創り、今尚守ってくださっている神様の力、聖霊様の助け、イエス様の介在なしに成しうることではないのだ。

今週の私の人間関係も、複雑怪奇な国際問題も、解決方法はある。「相手の立場に立って考える」ということだ。これができれば、どんな問題も一気に解決!しかし問題は、なかなか相手の立場に立てない、ということ。自分と相手の間でイエス様が取り成してくださらない限り、真の意味で相手の立場になど立つことはできない。

今日のメッセージに一つの証しがあった。広島で被爆された牧師さんの娘さんの証しだった。彼女のお父さんは戦時中の広島で教会をしていた。その教会には、終戦後、顔や体にケロイドのある、あるいは体が不自由になった信徒さんが集まって礼拝していた。彼女は、仲間を傷つけたアメリカを憎んだ。彼女が10歳くらいの頃、アメリカのメディア取材で、図らずもあの原爆投下のエノラ・ゲイ副操縦士と出会うことになった。被害者の代表として、被爆者の痛みを知らせてやろうと思ってその場に出向いた彼女に、副操縦士の言葉が響いた。原爆投下し、町が消えていくのを見たその時、彼はそのしでかした事の大きさを見て思わず叫ぶ。「神よ、私たちは何と言うことをしてしまったのか」。まだ幼かったけれど、彼女はそこで彼自身が負い続けている十字架を見て、自分と人間の弱さと罪をはっきり悟った。そして更にその後、ただ被爆者というだけで結婚を拒まれた時、「私は初めてあのケロイドを負った人の気持ちを知った。その悲しみの立場がようやくわかった。」と語る。

詫びではない。詫びの言葉や謝罪で済むようなことではない。しかし、確かに自分がしてしまったこと、知らなかったとは言え取り返しのつかないこと、これらを目の前にして初めて人は「相手の立場に立つ」ことができる。頭で思っているだけの理想、机上の空論、安易なヒューマニズムでは、そこに到達することはできない。だから、「神よ、私は何と言うことをしてしまったのか。」、この叫びが人間誰にでも必要なのだ。それはイエス様の十字架を前にした時、魂が叫ぶ言葉、イエス様の贖罪を受け取るための祈りの言葉だ。だから、私たちは聖霊様の助けとイエス様の十字架を通して、真の一致を求めよう。魂が生き返る福音のメッセージを受け、イエス・キリストに繋がることでほんとうの、そして永遠の平和、シャロームが訪れるのだ。

いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。


いのちのパン

2014年01月18日 | 羊の群れ
今日は「パン」の話でした。4つの福音書すべてに語られている唯一の奇跡、「五千人の給食」。イエス様が女子供合わせて二万人にもなろうかという群衆の空腹を、たった5つのパンと二匹の魚で満たしてくださった奇跡です。今は日本でも貧困は厳しい社会問題であり、炊き出しや各種の援助をする教会も少なくありません。「お腹がすいた。」「お金がない。」「落ち込んでいるから祈って。」そんな急場をしのぐための恵みも確かに必要です。イエスも「五千人の給食」の奇跡を行ってくださいました。でも問題が起きる毎に「神様、助けて!」とすがることはどうでしょうか。だからイエス様は、この奇跡の後に「いのちのパン」について教えてくださったのです。神様を知らなくても、クリスチャンであっても、私たちがほんとうに必要なのは、「いのちのパン」なのです。

満腹した群衆は、更なる奇跡(=パン)を求めてイエス様を追いかけます。このイエス様の時代、生活に困窮する人々は今よりもずっと多く、事態はずっと深刻だったはずです。このイエス様について行けばパンに事欠くことはない!と思った彼らに、イエス様は仰います。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6:26-27)

食物も、お金も、生活も大切です。しかし、生きる目的はこれらではないとイエス様ははっきりと仰っています。「永遠の命に至る食べ物」こそに、私たちが働く目的、人生の意味があるのです。このイエス様がほんとうに伝えたいことを受け取った人は、御言葉の力と聖霊様の導きによって、自ら不幸になる道を選ばなくなり、真の人生を見つけ出します。この奇跡の直後、湖上で困難に遭った弟子たちも同じです。
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)

このことを受け取れなかった人、理解しなかった人はどうなったでしょうか。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(ヨハネ6:66)」弟子であっても、イエス様から離れ去ったのです。なんとここに、黙示録にも記される「666」の数字があります。そう、いのちのパンを否定する者が反キリストなのです。

奇跡を単なる奇跡(=パン)で終わらせてしまうか、それに永遠の命に続く意味(=「いのちのパン」)を見出すかで、クリスチャンもノンクリスチャンも、神様を知っている人も知らない人も、最後の時に分けられます。最後の審判の「裁き」は、原語でクリネイン、「分ける」の意味があります。「いのちのパン」であるイエス様と一緒であれば、どんな状態でも心が飢えることはなく、乾くことはない。これを知っているのが私たちクリスチャンです。今日、お腹がすいている方、一緒にご飯を食べましょう。ここにはご飯も、いのちのご飯も用意しています。



えんぢぇる田中と7人の乙女(心)

2012年02月24日 | 羊の群れ
白雪姫と7人の小人、の逆バージョン!『えんぢぇる田中と7人の乙女(心)』。美味しい昼食を間にして、御言葉に楽しく聞き親しむ時間を与えられました。語られたのは、この3点。(ごめんなさい、えんぢぇる師コラムからの完全受け売り、いえ抜粋です。)詳しくはこちら!http://blog.goo.ne.jp/jesus808

 ①「御言葉が霊の中に組み込まれ、脳内反応するくらいになることが、これからの時代を生き抜く生命線」であること。

 ②「教会とは何か?」その使命と構造について。

 ③ 与えられた御言葉は、ミカ書6章8説 「へりくだって神と共に歩むこと、これである。」


ココだけの話、仕事を休んでの方も、また仕事をしながら(?)の方もいました。ただ、主によって呼び集められた人々。そう、それがエクレシアと呼ばれる真の「教会」です。こんな時間を定期的に持つホームチャーチを祈っています!ご興味ある方、ご飯食べたいだけの方も、ぜひご連絡ください。213-324-6942まで!ホームチャーチ(=セルチャーチ)については下のロゴをクリック!




 

リバイバル企画

2012年02月19日 | 羊の群れ
19日午後、えんぢぇる田中牧師による『揺るがない希望 リバイバル企画第一弾』後半が行われました。厳しいスケジュールの中、それでも語る約150分!結果、失われた魂が救われました。導いてくださった主に感謝します。

「救いのない礼拝はない、救いのない集会はない、救いのない聖書勉強会はない。」(えんぢぇる名言by MU)

詳細は追ってお知らせしますが、取り急ぎダイジェストビデオその1<タイトル:パタパタポラロイド>








GNSのメインページはこちら!


これからの時代をどう生きるか

2012年02月17日 | 羊の群れ

画像はある意味、無関係ではありません。



金曜日夜、愛する姉様の教会のFRIDAY WORSHIP NIGHTにて、えんぢぇる師セミナーを行いました。タイトルは「これからの時代をどう生きるか?」

2001年の911(ナイン・イレブン 米国同時テロ)、そして2011年の311(スリー・イレブン 東日本震災・津波)、この両者の共通点は何と“イスラエル”だった!ということから、頻発する自然災害、放射能汚染とエネルギー問題、中東情勢、五大神話崩壊と自殺者増加、“伽藍”社会、人生の土台、日本のカミサマ、失われた20年、真の幸せ、現象と原因、果ては忠臣蔵から大阪ゴーストップ事件などなど、非常に盛りだくさんの内容でメッセージされました。

音声メッセージ、近日公開!乞う、ご期待。http://blog.goo.ne.jp/jesus101


全ての道は聖書に通ず(BY えんぢぇる田中)


 





GNSのメインページはこちら!

殉教者

2011年02月05日 | 羊の群れ
今から400年前、1597年2月5日、26人のキリスト者が長崎で殉教しました。カトリックでは「聖人」の列に加えられたこの26人ですが、聖人かどうかは別にしても、神様に仕える心とその信仰は真実に違いありません。今週の礼拝では、この2月5日を記念してか、彼らのことを教えられました。

26人の内、24名はもともとクリスチャンで、各地で捕まえられて大阪に集められた後、処刑命令を受けて、厳冬期、長崎へ歩き出しました。途中、彼らを世話していたクリスチャンでなかった2名が、望んで列に加わり、26名になったそうです。一行の中には少年たちもいました。幼い子供が傷つけられ、刑に処されるのを見かねて、信仰を捨てるように何度も勧めたそうですが、最年少では12歳の少年たちはそのまっすぐな信仰を貫き、「自分の十字架はどこ?」と刑場で十字架を求め、賛美を口にしながら天に召されたそうです。

またパウロ三木という方は、長崎への道中ずっと福音を伝えながら歩いていたそうです。手には縄をかけられ、耳をそがれ、重罪人として侮蔑されるよう引き回されながら、彼の口には泣き言や弱音がもれるのではなく、福音が流れ出ていました。そして、到着した長崎の西坂の丘に、刑を見物に来た4000人の人々を前に彼は朗々と説教したのです。

『十字架に付けられたパウロ三木の説教』
ここにおいでになる全ての人々よ、私の言うことをお聴き下さい。私はルソンの者ではなく、れっきとして日本人であってイエズス会のイルマンである。私は何の罪も犯さなかったが、ただ我が主イエス・キリストの教えを説いたから死ぬのである。私はこの理由で死ぬことを喜び、これは神が私に授け給うた大いなる御恵だと思う。今、この時を前にして貴方達を欺こうとは思わないので、人間の救いのためにキリシタンの道以外に他はないと断言し、説明する。キリシタンの教えが敵及び自分に害を加えた人々を赦すように教えている故、私は国王(秀吉)とこの私の死刑に拘わった全ての人々を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼と全ての日本人がキリスト信者になることを切望する。


主の十字架教会のパウロ秋元師は、彼に因んで「パウロ」の名前をいただいたそうです。日本にはこのような偉大な殉教者が何万人もいると言われています。今、数多の殉教の魂によってリバイバルが起きているウガンダ、タヒチ、中国同様、日本もまた献げられた彼らの祈りによってリバイバルが起きつつあるのです。すべての人が殉教するわけではありません。しかし、すべての人がひざをかがめ、主を畏れる日は近いのです。パウロ三木師の祈りを私たちひとりひとりの祈りとして、日本の家族、知人、すべての人に伝えていきたいと思います。すべての日本人が神様を知り、愛するようになるために。


ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。(使徒4:12)