きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

2/17のアプリケーション

2012年02月18日 | 羊、朝の一声
昨夜はFRIDAY WORSHIP NIGHTで、「これからの時代をどう生きるか?」というメッセージをいただきました。夜の賛美&祈り会の後の“ショート”メッセージだと思っていたのは私の大きな勘違いで、昨日の記事に書いたように、各種テーマてんこ盛りの怒涛の90分メッセージ。勘違いとは言え、心の準備不足での長丁場でヘタれているところへ「アプリケーション!」と来られた時には、まさしく「えんぢぇる師健在」と感服いたしました。

愚痴っぽく(いえ、まさしく愚痴?)も、私の心境を敢えて書いたのは、このことこそが私のアプリケーションだったからです。どのテーマも心に響きましたが、一番心に突き刺さったのは、「絆、絆と口にしているのは、ほんとうの絆作りができない言い訳になっていないか。」ということだったから。えんぢぇる師はこう仰っていました。

「2011年を表す漢字は、“絆”だそうで、年賀状は“絆”という文字が入っているものが売れ、“絆”を大切にしようという謳い文句でおせち料理も例年になく売れた。でもほんとうに“絆”を大切にしている人は、年賀状は自分で書くし、お料理も作る!それが“絆”でしょう。ある牧師さんは、震災直後、東北の知人何人かに電話をするも連絡がつかず、携帯も繋がらず、一晩中、必死にコンタクトを取ろうとして取れなかった翌日、支援物資を車に詰め込んで一目散に東北に向かった。これが“絆”です。」(語尾はえんぢぇる調からかなり美化しています。)

これを聞いて思ったのは、「信仰、希望、愛と叫んでいる私は、それらを実践しているだろうか。」ということ。「御言葉は実践してなんぼ。(えんぢぇる名言 BY MU)」、とずっとずっと教えられ続けてたこのことをほんとうに実践(=アプリケーション)できているだろうか、と考え、心にチクリと来たのです。

メッセージ中に「失われた20年」の話がありました。それはちょうど私が渡米して後のことでした。つまり私がいた日本よりも、一層閉鎖的になり、逃げ場を失った多くの人が命を断ち、家庭は崩壊の危機にあり、経済は長く回復を見ず、「安全」神話は崩れました。聖書が語るように、時代はこれからますますたいへんな時を見るでしょう。日本も例外ではありません。「失われた20年」の前に私がアメリカに来ることができたのは、今ははっきりと「イエス様に会うためだった。」と確信しています。先に恵みを受けた者、と祈りの中で語られましたが、まさしく私は先に救い出された者なのです。それは、私のすべき使命のため、御心の実践のためです。

だから「愛」を口にするだけでなく、言動をもって「愛」を表していくこと、生活におけるアプリケーションをすることが、師の「アプリケーション!」という叫びと共に心に刺さりました。このメッセージで語られたように、天変地異や放射能問題を絡めて、今後も時代は困難を見るでしょう。でも間違えないでください。それは、一人一人の人生がひどい目に遭うのではなく、このことで真の希望を見出すためです。倒れそうな時、支えてくださる神様がいることを知るためです。


主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。(詩篇145:14)