きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

2/19のアプリケーション

2012年02月21日 | 羊、朝の一声
昨日の投稿通り、19日は超過密スケジュール。師は朗々と一部、二部とメッセージをくださいましたが、スケジュールばかりが気になって、半ば気が気でない私。 こういう時こそ、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。(出エジプト14:13)」の御言葉を握り締めるべきなのでしょうが、完全に自分の思い、自分の力に捕らわれてしまって気もそぞろ状態でした。しかも、この御言葉は今年の教会の御言葉なのに。。。

メッセージは、前半に脳内反応、罪の性質、熟年者の失敗、パタパタポラロイド、「ウェスト58センチの幻想」、ボルネオの猿、正しいカステラの食し方などから、自分の問題に気付くこと、霊的に生きるということの個々に受け止めるテーマを提示し、その唯一の解決である福音の絶対的再生(=新生)力を、開放の7ステップと共に語ってくださいました。また後半は、「実践」として、クリスチャン的時間管理の方法と、死生学の授業を行いました。

またまた多くのテーマの中で、私の心に入ったのは、最初の部分。「罪が引き起こす日常的性癖」。

後回しにすること
私だけじゃない、みんなそうだ。
仕方ない
責任転嫁。○○がこうだったから。××が悪いから。

この中のは、最近仕出かした失敗の記憶と重なって、自分の内の「罪」の性質を痛感しました。確か金曜日に、「罪人」についてお話がありました。クリスチャンは「罪人」ということを最初に学びます。一般的には、<罪を犯した人が「罪人」>ですが、聖書の言う「罪」の意味からは違っています。<人は皆「罪人」なので罪を犯す>のです。確かに私は神様を知り、その愛と恵みによって救われました。でも、「罪人」の性質は依然、体と霊のどこかに残っており、それまでの人生で習慣化してしまった性癖があるのです。だから私たちは、救われ続ける、従い続ける、開放され続けることが必要なのです。そのためにも、自分の失敗を見つめ、問題を問題として捉え、悔い改め(メタノイア)て神様に変えていただくよう、祈り続けなければなりません。

わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。(ヘブライ3:14)


あのパウロ先生が「わたしは何てみじめな者だろう!」と叫んだ気持ちが、このメッセージで少しわかったように思いました。私がグッサリ感じた冒頭部分の動画です。グッサリ来ている私へのアドバイス、またどんなことでもシェアリングしていただける方、コメント投稿をお願いします。