きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

集まれ、羊たち!

2010年01月31日 | 羊の群れ
今日の礼拝メッセージは、「子育てのススメ」。どうせ独りモンだよ、とすねていたら、神様から「スウィーティ(アメリカ人風に)、わたしはこうしてあなたを愛し、育てているんだよ。」と教えられました。

「子育てのススメ」5つのポイント中の第3番目。『子供にルールをわからせるために、家庭内でもルールを守ることを実行する。』箴言のいくつかの箇所に出てくる「鞭」という言葉を説明されました。ここでの「鞭」という言葉は、「教え諭すための杖」を意味しており、ちょうど羊飼いの持つ杖を考えればよいそうです。羊飼いは杖を持っていますが、これは羊を打つためではありません。羊が違う方向へ歩き始めたら、道を叩いて正しい方向を教えるための杖だそうです。

良き羊飼いである神様は、いつでも羊を思いやり、愛し、ケアしてくださいます。羊がどこかへ行ってしまうことのないように、羊がゆったり安心していられるように。そんなのんびり羊気分、あるいはスウィーティ気分を味わってみませんか。火曜日午後5時半、サウスベイのスターバックスで生きるための真理の言葉を分かち合っています。どなたでも大歓迎。ご連絡ください。(Mutsumi 213-324-6942)


詩編23編
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。


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癒しの奇跡

2010年01月28日 | 羊の声
1月ももうすぐ終り。聖書ではヨハネ福音書を読み、癒しの奇跡から以前の礼拝レポートを思い出した。


 人間にとって最も辛いことは何だろう?憎まれること?軽蔑されること?いや、何よりも辛いのは、忘れ去られることかもしれない。38年も病に苦しみ続け、人々に忘れ去られた人がいた。どんな病気だったのか、そんな物理的な背景は記されていない。ただきちんと読めば、彼の心の環境を知ることができる。彼は、癒しが起こる池の辺で、何度も何度も自分ではない誰かが癒されていくのを見、その度ごとに孤独と絶望が身を苛み、最早癒しの時など見たくないと思いながらも、苦しみから逃れたい一心で毎日池で待ち続ける人だった。所詮周囲はすべて敵、いざという時に味方はなく、自らは決して癒されることはないと失望し続け、同じような苦しみから癒された元仲間を祝福することすらできない、自分は完全に敗者だ、と失意の底へ底へと落ち続けるような日々を過ごしていた人。そんな彼に近づいてくれたのは、イエス様。

 イエス様は彼を見つめた。彼の苦しみを知った。イエス様が見過ごすもの、知りえないものは何もない。この苦しみ、悲しみ、重荷は私だけのもの、私しか知らない、誰も助けてくれない。。。人間は苦しみのあまり、いつしかそんな自虐と自己憐憫に浸り、苦しむために苦しみ、悲しむために悲しむようになってしまう。病人ばかりではない。私達の日々の生活でも同じようなことがないだろうか。喜びもなく、目的もなく、どこかで人生に失望していないだろうか。だからイエス様は問う。「(あなたはほんとうに)治りたいのか?」

 その昔、牧師先生が最初にこの箇所を読んで、「病と知ってこう言うイエスという人は頭がおかしい」と思ったそうだ。しかし当の病人は期待に溢れて「Yes!」と即答することはなかった。彼の口について出たのは、どうせ治りっこない、自分には何もできない、という呪詛にも似た『あきらめ』の呟きだけだった。否定的な考えに囚われすぎると、人は絶望にすら安住する。エジプトを連れ出されたイスラエルの民は、奴隷に戻りたいと訴えた。自由へと導き出したモーセに「大きなお世話だった」と言ってのけた。癒されたい、解放されたいという願っているようでも、実は自分ではあきらめて、神様の愛と憐れみに目を背けていたのだ。

 そんな風に心を閉ざした彼にイエス様は近づき、「起き上がりなさい。」と仰った。それは、「生まれ変わりなさい、復活しなさい。」とも聞こえる。呪い続ける古い生命から、恵みを受け取る新しい生命に来るように、主は呼び寄せてくださる。今も、私達にも、常しえに。神様からの恵みと祝福は満ち満ちている。最初の人だけが癒される、というような限定的なものではない。ただ目を上げて受け取れば、癒しは与えられる。神様が見過ごす苦しみは何もないのだ。

わたしがあなたを忘れることは決してない。
 見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。(イザヤ49:15-16)

 癒しを拒む理由は、神様側には決してない。問題を手放さないのは私達の方で、真に癒しを願っているのは神様。恵みを迷うことなく、積極的に乞い願おう。ご自身の体をどれだけ傷つけても、ご自身を十字架につけてでも、私達を癒したいと思う神様の恵みを。その真っ直ぐな祈りに、主は応え、語って下さるのだ、「あなたは良くなった。(ヨハネ5:14)」と。


信仰の偉人

2010年01月26日 | 羊の群れ
礼拝メッセージで聞いた、信仰の偉人についてシェアしました。

ノアは神様の言葉に忠実に従い、箱舟を造り上げた。(でも、彼は酒飲みだった。)
モーセは神様の命令で、エジプトから民を導き出した。(でも、口下手だった。)
ギデオンは神様に力を与えられ、一人で敵を蹴散らした。(でも、臆病者。)
ラハブは神様への信仰によって、イスラエルの民を助けた。(でも、娼婦だった。)
ダビデは神様に導かれて、イスラエルを統治する王となった。(でも、人を殺した。)
ソロモンは神様に愛され、イスラエルの王として国を繁栄させた。(でも、女好き。)
ヨナは神様に従って、自分の命を顧みず敵国で預言した。(でも、逃亡者。)

他にもイザヤ、イサク、ヤコブなど多くの例が挙がりました。彼らが信仰の偉人と呼ばれるのは、決してその偉大な業が讃えられてのことではありません。彼らのした業は、すべて神様なしにはあり得なかったことなのですから。彼らが、酒飲みで、口下手で、臆病者で、娼婦という職業で、自分の欲望のままに人を死に追いやって、数多くの愛人を持って、深刻な状況に怯えて逃げてしまって、そんな弱さを持ちながらも、神様に助けを求めるしかないことを知って、神様と共に歩む人生を選び続けたこと、それが信仰の偉人たる所以です。

だから、私にも信仰の偉人になるチャンスは多大にあります。たくさんの弱さを持つ私になら。人間は、決して「悪」をしようと思って「悪」をしている訳ではありません。弱さゆえに「自分の正義」を求め、それがエスカレートすると、「正しすぎる」ことに走り、やがては残念にも「悪」になってしまうのです。同時に、「悪すぎ」てもいけません。大切なのは、正しすぎることもなく、悪すぎることもない基準をしっかりと知っていることです。その基準が「神の義」であり、「神を畏れる」生き方です。

『こんなはずじゃなかった』。。。自分だけの正義を貫いたが為に、そんな思いをしたことはありませんか。せっかくの好意や期待が人を傷つけ、周りを振り回し、自分にも嫌な思いで帰ってくることがありませんか。この問題の解決は、絶対的な基準、「神の義」を求めること。信仰の偉人は、それぞれの弱さをそのまま聖書に残し、私に「神の義」を求める素晴らしさを教えてくれているのです。

火曜日の午後5時半、サウスベイのスターバックスでは、神様の基準を知ろうと聖書を読み、祈りの時を持っています。「神の義」を知りたい方、ぜひお越しください。 ご連絡お待ちしています。(213-324-6942 Mutsumi)




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源平梅

2010年01月24日 | 羊の声
今日のメッセージで、接木についておもしろいお話しを聞きました。ロマ書には、野生のオリーブが聖なる根に接木されて豊かになる、という喩えがあります。接木された枝が生らす実は、元の枝に生るはずの実が生るのだそうです。つまり、巨峰の幹に接木されたマスカットの枝は、巨峰に繋がってはいますが、マスカットの実を生らせるのだそうです。そう言えば、以前妹が一つの木に赤と白とピンクの梅の花が咲いている木を見たと話してくれました。「源平梅」というそうですが、これも接木された木です。



イエス様は、「わたしに繋がっていなさい。」と仰いました。それは、イエス様になれ、という意味ではありません。神様に繋がることで、豊かに良い養分をいただき、そこに繋がった私という枝の私という最良の実を生らせるのです。私の人生を豊かに結実させたいと願っているのは、他ならない神様。そんな神様の望み、計画、祝福をシェアしたいと思います。

毎週火曜日午後5時半、サウスベイのスタバで待っています。 ご連絡ください。(213-324-6942 Mutsumi)


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神様がいれば百人力!

2010年01月20日 | 羊の群れ
今日のSBC、サウスベイ・セルは、年末年始に日本へ帰省していたメンバからのお証を聞きました。今回、は旅の間にたくさんの懐かしい人と会ったそうです。その中でも、高校生時代の友人がクリスチャンになっていたお証に感動しました。

そのご友人は、メンバの弟さんご家族の住む町に住んでおり、ご近所付き合いもあって何となく近況を知っている間柄でしたが、少し前に彼女が町内にオープンさせた自然食レストランが流行っているというので、義理の妹さんに連れられて行き、今回久しぶりにプチ同窓会と相成ったそうです。そこでいきなりお証!

ちゃん!私もね、イエス様を信じて、クリスチャンになったの!そしてこのお店を始めたのよ。レストランなんて、主婦だった私ができるはずないと思っていたのだけど、神様を信じてからはバックに百人力の神様が付いている、って思えて、迷うことなくオープンの歩みを進み出せたの!神様が一緒にいてくれれば、何も恐いものないよね!クリスチャンってすごい、ってが言っていたのが、今になってほんとうによくわかった。今度、一緒に教会で礼拝しようね!」

その方のお母さんが裏庭の畑で作る有機野菜を使って作る日替わりメニューが好評で、地元メディアにもレストランが取上げられて報道され、今や予約は2ヶ月先までいっぱい、といった大きな祝福を受けているそうです。もともと明るく、社交的なお友達でしたが、まさに光輝いているという様子に、メンバは心励まされたことを、とっても嬉しそうに語ってくれました。

メンバは取り立てて彼女のことを祈っていたわけではない、と言いますが、久しぶりに会う友人が開口一番に証をしてくれるというのは、そのメンバが放っただろう「キリストの香り」が少なからずその方の救いに影響したのだと思います。図らずも今回のGNSメッセージにあった「イエス様に似た者になるには。。。」のアプリケーションができたことも、神様の祝福。SBCでも、そんな「キリストの香り」をここからも漂わせたいと祈りの時を持ちました。

そんな神様の香りを味わってほしい、神様にある関係を広げたい、と思います。毎週火曜日午後5時半、サウスベイのスタバで待っています。 ご連絡ください。(213-324-6942 Mutsumi)

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笑うイエス様

2010年01月18日 | 羊の声
今週の礼拝メッセージは、「イエスの微笑み」と題してイエス様からユーモアセンスを学びました。聖書には、イエス様が笑ったという記載がありません。それはイエス様が全く笑うことのない、いつもムッツリしている人だということでしょうか。私は、そうは思いません。決していつも神様の前に胸を張る生活を送っている私ではありませんが、少なくても一度、イエス様がにっこり微笑んでくれたのを「見た」からです。そう、神様を信じます、と決めたその時に。

イエス様は、十字架に架かるという悲惨な先をご存知でありながらも、ユーモアを交えて私たちに語りかけてくださいました。真の「笑い」とは、目の前の些末に一喜一憂するものではなく、今の不公平な世界、苦しい状況を超えたの先の希望を確かに見据えることで現れるのです。同様にメッセージ中では、『真のユーモアとは、独りよがりでなく、人を追い詰めることなく責めることなく、人の心を解放へ導くもの。』と聞きました。魚の口から銀貨を出したり、らくだが針の穴を通るというたとえ話をされたり、そこにイエス様の絶妙のユーモアセンスを垣間見て、そこからユーモラスに生きるキリスト者の生活を学びました。

「ユーモアセンスがない!」と嘆く私には、「ユーモアセンスは先天的なものではなく、求めて得られるもの。」とも教えられました。早速、実践を心掛けようと思っています。私にユーモアを教えてくださる方、また非凡なユーモアセンスを知りたい方、ぜひ火曜日午後5時半のSouth Bau Cell (SBC)へお越し下さい。お待ちしています。

SBCは毎週火曜日、午後5時半から190th + Normandieのスタバにて。いつでもご連絡ください。(213-324-6942 Mutsumi)

マタイ福音書1章の学びから。

2010年01月16日 | 羊の声
2010年、Good News Station教会みんなが集まって、マタイ福音書の学びを始めました。マタイは、私が信仰を持って最初にバイブルスタディとして学んだところ。およそ5年を経て、新しい発見を楽しみにしながら学びに臨み、たくさんの恵みをいただきました。

まず、四福音書は、『命に関わるから』何よりも大切な書物だということ。当然知っているはずなのに、実はわかっていなかった、知らなかったと気付かされ、あらためて感動しました。その四福音書の冒頭、マタイ伝1章から始められたこの新たな学びの機会をくださった神様に心から感謝を献げます。

教えられたマタイ福音書の中心テーマⅡ、「全人類の救い」から、思い起こされた言葉があります。ひとつは最近デボーションのLiving Lifeで読んだエッセイの箇所、『神様が今必要とされているのは、一人の魂を大切に思い、彼らに正しい考えと人生を示してキリストに導く信仰者』という部分と、もうひとつは田中牧師の常套句『真理は足元にある』。2010年の目標として、思いがけず「伝道」を掲げてしまった私に、それを実現させるための御言葉と思いが神様からたくさん与えられています。この学びでも、そのことを感じました。私の周囲にいる人の魂を大切に思い、救いへと導くこと。同じく学んだ五大説教からも黙想して、更なる導きをいただき、私が先に救われたその意味を神様にはっきりと証しようと思います。

そして1章の学びからは、ヨセフの従順さに心惹かれました。昨秋お会いした新川誠先生が仰っていた「ヨセフは何も語っていない人」と重なって、ヨセフは不言実行の人なのだ、と思いました。ただ神様の言葉を聞き、それに完全に信頼して従った人。先週の礼拝アプリケーションで、教会の皆は私に『忠実』の美点を見つけてくれたが、本人はとても美点と言えるようなものでないと思っています。そんな思いに、神様はヨセフの信仰というお手本を与えてくださったのかもしれません。神様は絶えず私のことをご覧になっています。ヨセフの従順が神様に喜ばれたように、私もまだ無自覚なこの美点を神様に愛されるものにしていこうと教えられました。

一月一回を予定しているこのマタイの学び。オブザーバーを歓迎します。ご興味のある方は、お問い合わせください。火曜日午後5時半からのSBC (South Bay Cell)でも、聖書の学びの分かち合いもしたいと思います。新しい仲間を歓迎します。

ご連絡ください。(213-324-6942 Mutsumi)

賜物さがし

2010年01月13日 | 羊の群れ
失敗から人生の教訓を得る。失敗を人生の糧とする。そして次は、自分の賜物を知って、その可能性を発揮させる。失敗を認めることも大切ですが、失敗だけを見ていたらあまりにネガティブ。失敗を補って余りある賜物にも目を向けよう!今日のセルでは、礼拝メッセージで聞いた賜物チェック。ベンジャミン・ソロモン・カーター医師から教わる賜物を知る5つの質問を自問自答しました。

学生時代に得意だった科目は?
世界史、世界地理

その理由は?
記憶することが得意。そして幼少の頃から「外国」に興味があった。好きなことと得意なことが一緒になった結果。

今までの人生で成し遂げたことは?
グリーンカードを取得して、アメリカ移住をしたこと。

好きなことをしていて、ほめられたことは?
調査能力と文章力。旅行のプランニング。責任感(?)

単調な仕事を楽しくうまくするコツ。
嫌なこと、好きでないことから片付ける。→先に進む楽しみ、期待感を持たせる。
リズムに乗らせる。→家事や作業は音楽を聴きながら、歌いながらテンポよく。
集中力

何となく繋がりがある雰囲気を感じる?これは私自身の判断です。この答えを信頼できる人と分かち合って更に考え、それを幾度か繰り返すことで賜物がわかってくるそうです。何かワクワクしちゃうでしょ。ということで、ご意見をお待ちしています。私を知っている方、びしばしコメントください。お待ちしています。



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最たる失敗

2010年01月11日 | 羊の群れ
今日の礼拝メッセージは、「前進的な失敗」。

人は、生まれ持った原罪ゆえ、どうしても罪を犯す。
失敗とは結果ではなく、プロセスの段階から始まっている。
失敗かどうかは、自分自身の判断の結果。
失敗なしには成功はない。

この4つのポイントと、失敗は人生の教訓を得るレッスンだということを聞いた。

メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
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 失敗から学び、失敗を糧としてこそ、実りある人生を生きることができる。そこで「私の失敗って何だろう?」と考えてしまった。聖書には、「失敗」という言葉は3箇所しか出てこないそうだが、失敗をしてしまう人間は、多くの言葉を残している。

失敗の最たるものは、失敗した事を自覚しない事である。
失敗はつまずくことではなく、つまずいたままでいること。
どんな失敗も犯さない人は、常に何事も為さない人。
間違いをせずに生きるものは、それほど賢くない。
何事かを試みて失敗する者と、何事も試みないで失敗する者との間には、計り知れない相違がある。

 失敗を失敗と知ること、認めること。始まりでつまずいた気分。でも、そのままでいたら、それこそ大失敗になってしまう。ということで、火曜日の夜は、失敗談義です。私の失敗を教えてくれる方、またここだけのハナシで、失敗とはを語ってくれる方、SBCへぜひご連絡ください。(213-324-6942/睦美)お待ちしています。



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カナの婚礼

2010年01月09日 | 羊、朝の一声
今朝のリビングライフは、カナの婚礼の箇所だった。イエス様が最初に行われた、水をぶどう酒に変えた奇跡。聖書は読む度に、違う角度で何かを知らせてくれることを、今日また知った。

今朝、カナの婚礼の奇跡の箇所で心に留まったのは、イエスの母、マリアの態度。ヨハネ福音書には、イエスの母の名前は出てこない。今日の箇所でも、どれも「母」と記されている。この「母」という表記に、「教会」を感じた。そして、母が手伝いの人たちに、イエス様の仰ることを何でもするように、と告げる箇所にキリスト者としての態度を感じた。

最初、マリアがイエス様に「ぶどう酒がない」と訴えた時、イエス様はともすれば冷たく聞こえる言葉で返された。しかし、マリアは諦めることなく期待を持ち、信頼し続け、傍にいた手伝いの人に「従うべきこと」を教えた。そのマリアの勧めに従い、全部で500リットル以上の水が注がれた結果、水がぶどう酒に変わった。これが、伝道するキリスト者の姿。そして、私があるべき姿。

この態度が奇跡を生む。神様の栄光が現れ、信じる者がつき従う。SBCで、また教会で私はマリアの態度を取っているだろうか。そんなことを、今日新たにカナの婚礼の奇跡から教えられた。

『奇跡は諦めない者の上にしか降りてこない。』(愛読のまんが、ONE PIECEから。でも、これも真理だと思う。)