セナの思い出と秋晴れだった15年前の鈴鹿グランプリ

明日はF1の日本グランプリ・・・別名、鈴鹿グランプリ。

その鈴鹿グランプリは今年で最後。
来年からは富士スピードウエイが日本グランプリの会場になるらしい。
そしてミハエル・シューマッハは今年でF1を引退する。

オレがF1に興味を持っていて毎週深夜のテレビ放送を観ていたのは
13年くらい前までだ。
ホンダ好きなオレはもちろんマクラレーンホンダのファンだった。

当時大好きだったアイルトンセナがプロストやらマンセル、ネルソン・ピケ、
ゲルハルト・ベルガー、そして納豆走法の中嶋悟などと
毎回壮絶なバトルを繰り広げた名勝負の数々。

デビュー間もないミハエル・シューマッハ。

高回転のホンダV10と宿敵フェラーリV12やルノーV10との対決。

古舘一郎の実況放送。

今でもそれらを思い出すと当時のワクワク感が蘇ってくる。

その後ホンダのF1撤退・・・そして何よりアイルトン・セナの事故死で
急速にオレのF1熱は冷めていった。

そんなオレが一番記憶に残っているレースが
15年前の1991年10月13日の鈴鹿グランプリだ。


鈴鹿は本田技研工業のお膝元である。
ホンダはなんとしてもここで勝ちたいと、毎回この鈴鹿のレースでは
知り尽くしたこのサーキットのコース特性に合わせてチューニングした
【ホンダスペシャル】と呼ばれるエンジンを用意して必勝を期していた。

しかし1988年にセナが優勝してから鈴鹿で3年間優勝がない。
1991年セナとマンセルが年間チャンピョンを賭けてこの鈴鹿で対決。
マンセルが途中でリタイアしたことによりセナが完走すれば
セナの年間優勝が決定的になった。


そのセナの車がゴール直前最終コーナーでなぜかスピードを落とす。
すると片手を挙げて、2位を走っていた同じマクラーレンホンダの
ゲルハルト・ベルガーに自分を抜いて先に行けと合図をおくる。

セナはその前のコンビのアランプロストとは常に年間チャンピョンを
同じチームで争う状況などもあり関係がよくなかった。

1989年は同じマクラーレンで前年の1990年はマクラーレンとフェラーリで
この鈴鹿のサーキットを走った。
両者は2年続けてコーナーで互いに譲らずに接触事故を起こして
リタイアしたり、完走しても反則で記録抹消されたりと、
ここ鈴鹿ではさんざんな成績だった。

そしてやっと完走ができ年間チャンピョンも決定したセナは
常にチームのセカンドドライバーとして
自分の年間チャンピョン獲得をサポートしてくれたチームメイトのベルガーに
自分の3年ぶりの鈴鹿での優勝捨てて1位の座を譲った。


そのテレビで観た光景が今も心に焼きついている・・・
その後の出来事のために忘れられなくなっていったのだ


翌1992年、ヨーロッパの自動車業界によるホンダイジメとも思える
F1の規格変更などもありホンダはこの年限りでF1撤退を表明。
セナはヘルメットに日の丸をつけて鈴鹿のレースに臨むが
わずか3週でマシントラブルが発生しやむなくリタイア。

そしてホンダが撤退した1993は性能が悪いマクラーレンフォードに乗り
宿敵アランプロストの乗る高性能のフェラーリを抜き鈴鹿で5年ぶりに優勝。
しかし試合後に1周遅れで走っていたエディ・アーバインが
自分の走行の邪魔をしたと殴りかかるというハプニングを起こす。

そして1994年5月、イタリア・サンマリノGPでトップを
走っていたセナはシューマッハの猛追を受けて高速コーナーに
差し掛かると曲がることなくそのままタイヤハウスに激突して
その生涯を終える。
原因はドライブミスではなくハンドルに深刻なトラブルが発生したため
といわれている。


そんな波乱万丈だったアイルトン・セナの人生を振り返るとよけいに
あの15年前の鈴鹿GPは優勝こそベルガーに譲ったけど
セナが一番穏やかで幸せな気持ちでゴールしたF1レースだったと思う。

3位以下を大きく引き離し並んで穏やかな表情でゆっくりゴールに向う
紅白のマルボロカラーのセナとベルガーの2台の
マクラーレンホンダのマシンが鈴鹿の秋晴れによく映えて
とてもキレイな風景だった。

今年の鈴鹿も無事故で終わることを祈りたい。



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