日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース   2013年11月11日

2013-11-13 09:08:49 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース   2013年11月11日
【日本ユーラシア協会広島県連第2回理事会】
 2013年10月29日 留学生会館
1 会長挨拶
2 経過報告
8月3日~5日 原水爆禁止世界大会 国際会議 広島 伊原出席
8月4日    同大会に出席したロシアチェリャビンスク ヤロスラブ・エロレフさんと交流会
8月5日~6日 広島大会
8月7日~9日 長崎大会
9月28日 全国理事会 伊原欠席
1 協会活動チャレンジ基金創設 
2 54回全国総会の開催 2014年4月12日於横浜
3 2014年第11回 フォーラムの開催
4 全国女性集会 10月19日20日 北海道 登別温泉
  坂本さちえ 未来につなげる
終了後  日ロ平和条約問題シンポジウム
7月8月 呉支部 バイカル湖の旅 7/22~7/29 8/22~8/31 
10/27 反省会  ロシアレストランペチカにて
9月8日 広島ボルゴグラードの日
10月6日 呉 ロシア語教室 

3 協議事項
1 2014年2月15日(土)西日本部ブロック会議 於京都
2 11月10日(日) 呉 一杉夫妻歓迎会 (元神奈川県連事務局長)
            呉駅前 阪急ホテル前 9時30分集合
  11月14日(木)呉 神奈川県 柴田氏を迎えて 江田島術科学校見学 呉中央桟橋9時集合
3 11月17日 広島 交際交流協力の日
4 後半期の取り組み

【ペアセロベ2013が開催されました】
2013年10月27日 広島市中央公園[写真]

【一杉次郎さん、エルヴィーラさんの歓迎会】
11月10日(日)呉市上蒲刈島県民の浜、輝きの館 [写真は次項]
 都会の文化人が田舎の支部の仲間に!
ーこの傾向は今後ポピュラーに!?ー
 日本ユーラシア協会呉支部は、11月10日(日)11時30分から13時30分まで、広島県呉市上蒲刈島県民の浜、輝きの館にて、一杉さん夫妻歓迎会を行いました。
 一杉次郎さんは、東京で活躍後、日本ユーラシア協会神奈川県連合会の事務局長として協会の発展のために貢献されたました。その後ウズベキスタン共和国・タシケントで5年間暮している間にエルビラさんと結婚されました。そして、夫婦で瀬戸内のダーチャ暮らしをされるため呉市蒲刈町上蒲刈島へ引っ越してこられたのを期に、夫婦そろって呉支部の会員になられました。一杉さんはロシア語やロシアオペラに造詣が深く、エルビラさんは日本に来られる前は、タシケントで料理の先生をされていたと伺いました。これを機に呉支部の文化水準を引き上げてくださることを期待しています。
 それを受けた歓迎会は、瀬戸内のおいしい料理とお話だけでは物足りないと飾り付けや余興を取り入れました。長年子ども達を集めて読み聞かせの集いをしている新入会員が、絵本「マトリョーシカちゃん」の読み聞かせ、英語の先生をしていた新入会員はロシア民謡「一週間」の、エルビラさんにあわせた替え歌を作って披露、その後みんなでその歌を日本語で歌いました。古くからの会員がオカリナで伴奏しました。若い新入会員がスマホを駆使してロシア語で自己紹介すると、伊原広島県連理事長が「ステンカラージン」をロシア語で歌われ、それではと呉支部副支部長の藤井も「バイカル湖のほとりを」をロシア語で歌いました。どの歌もオカリナの伴奏付きでした。歌の次は「呉支部25周年シベリア鉄道で行くバイカル湖・イルクーツクの旅」で好評であった、「メビウスの帯」パフォーマンスとクイズで盛り上がりました。一杉次郎さん、エルビラさんのオペラとタシケントとダーチャの話はとても新鮮でした。
 最後は、カチューシャを日本語とロシア語で歌って締めくくりました。エルビラさんの「タシケントでは川魚ばかりでした、海の魚がとてもおいしくて健康的なのには驚きました。すぐそばに海があって魚釣りが存分にできるここがとても気に入りました」、というお話はとても印象に残りました。すぐにエルビラさんに、料理教室の講師をしてほしいとリクエストがありました。今後この出会いがどう発展していくのかとても楽しみです。

【日本ユーラシア協会神奈川県連会長柴田順吉さんご夫婦と一杉さんご夫婦との懇談会】
日時:11月14日(木)
集合 午前9時 呉中央桟橋 呉ー江田島観光の後、夜呉市内で懇談会

【広島市国際交流協力の日が開催されます】
2013年11月17日日曜日 
会場:広島国際会議場地下一階および百米道路[資料参照]

【2009年11月26日【反米救国闘争!】
グエン・コン・タイン (ホーチミン市ベトナム日本友好協会副会長兼事務局長・ホーチミン市平和委員会執行委員)
[第2回:最終回]
 私たちが対応した解決方法は次の通りです。
 最初、これらの土を河に埋めましたが、その土の量が多すぎて、すぐ発見されるため、私たちはその土をアメリカ軍が投下した爆弾の跡の穴に埋めました。.アメリカが西ドイツから2000頭の犬を買ってきた。この犬は人間をよく区別します。最初、我々は鉄砲と地雷を使って犬を殺しました。しかし、鉄砲と地雷の音でアメリカ軍に発見されるので、別の方法を考えました。例えば、トーガラシとニンニクの粉を使って入口と空気穴にかけてアメリカの犬の鼻を駄目にしました。しかし、アメリカ軍もよく考えました。なぜなら、こちらの荒れ地にトーガラシとニンニクがありますから、必ずViet Congのものだとわかり、周辺の土地を掘ってトンネルの入り口を発見して水と毒ガスを入れて責めました。解放軍が大変困難になったとき、突然、ある農民のおじいさんが「アメリカの犬は、アメリカ人の臭いを知っている」ことを発案し解決しました。戦争の時、多くのアメリカ兵が殺され、身に付けていたものや残っていたもの、例えば軍服、石鹸、香水、たばこなど、われわれは、これらのものを使用して入口と空気の排気孔にかけてアメリカ犬が発見できないようにしました。
 心理作戦のことは、アメリカが毎日午後5時にヘリコプターを使ってクーチトンネル県の上空を飛んでテープで次のような放送を流しました。①子供の泣く声「おとうさん、町へ戻ってきて家族一緒に楽しい生活をしてください!」②「だんなさん、町へもどろう。私と子供たちと幸福な生活をしましょう! おとうさんのことをいつも思いだします。もし、帰らなければ、私は別の人と結婚します。」と女性の声で語ります。このような、言葉を聞いて愛国者たちが胸を痛め、戦闘意欲を下げるように動揺を誘うのです。ある人は、家庭と故郷を10年以上離れていたので、これらの言葉を聞いて心が痛むのでした。アメリカの心理作戦と対決するため、我々は音楽の音量を大きくしました。
 1965年に私は、日本の放送を聞いて日本語を独習しました。ある時、日本電波ニュース(NDN)のカメラマンと一緒に事あるごとに彼から日本語を独学しました。彼の名前はYANAGISAWA TAKESHIさんです。今度、皆さん、ホーチミン市戦争遺跡博物館を訪問したら、彼の写真をよく見かけるでしょう。彼は、ベトナム人民の反米救国闘争のため犠牲になりました。
 1968年、私は目本のNHK放送ニュースを聞いていたとき、KANEKO先生が8年間、アメリカのベト十ム侵路に反対するスローガンを掲げてベトナム人民を支援するため募金活動をしていることを知りました。私は、このニュースを聞いて大変感激し、友人達にそのことを伝えました。皆も大変喜び感激しました。遂に、1975年4月30日、私たちは全南ベトナムを解放しました。以上、述べたことは、ホーチミン市愛国者闘争の一つに過ぎません。時間の関係で私は多くのことを話せなくて残念に思います。この機会に、私はベトナム人民を代表して、皆さんを通じて、日本人民の支援に心から感謝したいと思います。私は、これからベトナム人民と日本人民、ベトナムの青年、学生と日本の青年、学生の友好連帯がますます発展することを願っています。どうも、ありがとうございました。
(このスピーチは、広島ベトナム協会主催のベトナム訪問旅行でホーチミン市を訪問した際、2009年11月26日のデイナー席上でグエン・コン・タイン氏が自己紹介を兼ねて語られた内容をご本人に手書きで原稿にしていただいたものを清書したものです。文責:林辰也さん。)

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