日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2012年5月22日

2012-05-22 10:59:06 | 日記
            日本ユーラシア協会広島支部ニュース   2012年5月22日

【県連理事会が開催されました】4月21日(土)13:30 広島市留学生会館

【広島支部定期総会開催】
定期総会開催について
日時:2012年6月24日(日)
場所:広島市留学生会館2階研修室)(〒732-0806広島市南区西荒神町1番1号TEL:(082)568-5931 FAX:(082)568-5600 )
(当日の日程予定)
①広島支部第56回定期総会 13:30~14:30
②県支部連合会第22回定期総会 14:30~15:30
③DVD「チェルノブイリ・ハート」視聴15:40~16:40
④懇親会17:30~(予定)猿猴橋「源蔵」  電話 (082)―263-3855(〒732-0823広島市南区猿猴橋町5−18)
 懇親会会費 2,500円 *懇親会出欠を事前に連絡いただければ幸いです。
*総会欠席の際、総会資料をご希望の場合はお知らせ下さい。 
⑤連絡先 〒732-0021 広島市東区中山新町二丁目10番14号 Tel&Fax:082-289-8788 080-5505-4872(Cメール可)qyu015271030@at4.mopera.ne.jp
『チェルノブイリ・ハート』(原題:Chernobyl Heart)は、2003年に制作されたドキュメンタリー映画である。監督はマリアン・デレオ。この映画は、2004年にアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。また2006年4月28日には国連総会で放映されている。監督のデレオは、CCPI(Chernobyl Children's Project International)を設立したアイルランド人のアディ・ロシュと共にウクライナとベラルーシを訪れ、これらの国におけるチェルノブイリ原子力発電所事故による子どもたちの健康への影響をフィルムに収めた。この地域では多くの子どもたちが、生まれつき「チェルノブイリ・ハート(Chernobyl Heart)」と呼ばれる未知の心臓疾患や放射線障害に苦しんでいた。なお、デレオは2008年にもチェルノブイリ原発事故に関連した短編映画『ホワイト・ホース』(原題:White Horse)を制作している。

【広島FFに参加】写真三葉:3枚目はマディナさんのNHKステージ出演後。ご来場の方、手伝っていただいた皆様に感謝!!

【留学生歓迎会のご案内(ヒロセミより)】
 山陽女学園に4月から留学中のマディナさんを迎えて歓迎会を催します。新たな生活を始めた留学生とひとときを過ごすためにささやかながら行います。皆様のご参加をお待ちしております。
日時:2012年6月23日(土)14:00~16:00
会場:広島市留学生会館 2階ホール(〒732-0806 広島市南区西荒神町1番1号
TEL:(082)568-5931  FAX:(082)568-5600)会費:一般500円、学生無料
会場準備等の都合がございますので、ご参加の方は6月16日(土)までに下記までご連絡ください。FAXもしくはメールでもかまいません。
[申し込み先]ヒロセミ: 橋村(TEL/FAX 274-1634)mashenka@fancy.ocn.ne.jp

【ローザ・リムバエワさんを迎えます】
[ヒロセミ案内文より]
 かねてより当会が準備を重ねておりました歌手ローザ・リムバエワさんを来月(7月)広島に迎えることになりました。
 
 きっかけとなったのは、昨年の10月のNHKBSプレミアム番組「驚異の歌声 『女たちの地平線~カザフスタン~』」の中での、3・11を受けての、ローザの福島に対する発言だった。89年、カザフスタン共和国の市民たちは、多くの病気の原因が40年間の核実験によるヒバクにあったことを知り核実験場閉鎖を求めて立ち上がった。この運動の中で、カザフスタンの国民的歌手でセメイ市(旧セミパラチンスク)出身のローザが歌った「ザマナイ」は旧ソ連全土に広まった。セミパラチンスク核実験場閉鎖から20数年を経た11年3月、日本は東電福島第一原発の事故による悲惨な核被害を経験することになった。核廃絶を真剣に考えなければならない今、「ザマナイ」の歌を通して核被害のない平和な社会を目指す機運を高めたい。ローザは95年、04年についで3度目の来日。7月26日から8月2日までの滞在中にミニコンサートや市民との交流も行う。なお、音楽CD「Zamanーai ザマナイ~時代よ!~」の日本語・英語歌詞版(歌手MOKO)がヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトより販売されている(ローザさんのカザフ語版も収録)。
 
 いま、核兵器廃絶の機運は高まりつつあります。皆様方のご尽力により 一人でも多くの方に広島から、遠く離れたカザフの地でのヒバクシャの実態を知っていただき地球上の核兵器廃絶への連帯を広げて行きたいと思っております。
[前売り券は広島支部でも扱っています。
2012年7月30日(月)18:00開場 18:30開演
 広島県民文化センター大ホール(広島市中区)入場料(前売り券) 3000円
 ローザさんはロシアのアーラ・プガチョーワ、ウクライナのソフィア・ロータルと並ぶカザフスタンの国民的歌手]

以下の通りカザフスタン大使館ホームページに掲載されてます。
http://embkazjp.org/
http://embkazjp.org/roza.htm

【問題提起:「日ロ領土問題解決・平和条約締結促進を目指して 事態打開の方途をさぐる」】
日ユ協会常任理事・京都府連会長長砂實さんより提案。(第4回)
Ⅳ.日ソ(口)両国の「固有領土論」の諸欠陥
1.日本政府の「『北方領土』(=四島)一括返還」論
1)『我が国固有の領土」とは?
①千島列島の「原住民」はアイヌ <「いまだ一度も外国の領土になったことがない」、という主張の独善性> 
②「日魯通好条約」」(1855)で日本領土となったウルップ島以北の島々(北千島)は「千島列島」と同一視できない。「千島=北千島」論は不当。(条約邦訳文閥題)<「北千島は我が国固有の領土でない、南千島のみが・・・」という主張は根拠薄弱>
③「樺太・千島交換条約」(1875)で日本領土となった「千島」は、北千島と南千島(択捉・国後)の双方を含む。1855年条約はこの条約で失効。〈この条約の意義(「北」と「南」がともに「千島」である)を意識的に軽視し・失効した1855年条約(の誤った解釈)に固執するのは誤りである>
④「ポーツマス条約」(1905)で、南樺太が日本領土とされた。(南樺太は「帝国主義戦争」であった日ロの勝者・日本の「戦果jである。サンフランシスコ条約で、第二次世界大戦の処理としてソ連領となった。これには議論の余地はありうるが、「北方領土」の一部とは一般に看傲されていない。スターリンの「呼びかけ」(1945.9.2)に要注意。)
⑤歯舞・色丹は1855年条約でも1875年の条約でも「千島」とは明記されていない。それが北海道の一部であることは「自明の理」とされていた、といってよい。したがって、歯舞・色丹は文宇通り「我が国固有の領土」であり「南千島」(国後・択捉)と「混同」・・一括して『我が国固有領土である』と主張するのは誤りである。国後・択捉について「返還」はありえても、歯舞.色舟については本来「返還」はない。>
⑥「サンフランシスコ条約」(1951)第2条C項で日本は「千島列島(および南樺太)を放棄した。日本国会での批准のさい、「千島列島」概念に「北」も「南」も含まれていたことは議論の余地はない。(吉田全権は「千島」放棄を拒否できたか?歯舞・色丹については「異議中し立て」。サンフランシスコ講和会議をソ連(スターリン)が「ボイコット」した理由・謎。「千島列島」の範囲を明記しなかった「ダレスの罠」。その後のアメリカによる「ご都合主義的」解釈変更。イギリスとの違い。「日ソ戦争」における日本の「戦争責任」。)(次号に続く)
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