主の平和 

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東日本大震災を覚えて ロンドン 追記 その1

2019年03月13日 | 日記

2019年 3月10日 We Won't Forget You 
東日本大震災の犠牲者、愛する方を亡くされた方々、今も困難な生活をされている方々、
心に重荷を負われている方々を覚えて 祈り続けます。

当日 日本聖公会東北教区の支援室で 奉仕されている渡部さんの許可をいただき、
教区報の寄稿を 展示しました。


震災から8年に想うこと             渡部さんから

《2534人》* この数は東日本大震災において未だに行方不明となっている方の数です。
「もう八年も経っているのだからもう何も発見できないだろう」と思っていました。しかし、昨年十二月に宮城県気仙沼の海岸の一ヶ所から約百片の遺骨が発見され、DNA鑑定の後、遺族の元へ引き渡されたのです。このニュースが流れた時に、自分の行方不明者に対する思いが薄れていたことを反省し、まだまだ諦めてはいけないのだと思いました。

被災後から現在まで支援室の仕事として、お買い物支援(宮城県名取市閖上)とお茶会(福島県新地町の二カ所)を行っています。お買い物支援の車の中やお茶会の会場で被災者の方々の生の声に触れるのですが、その中の話題の多くは、知り合いの方々の消息です。知らない間に亡くなってしまった人、遠くへ転居してしまった人のことなど、被災前近所で共に暮らしていた人達の消息がとても気になられているようです。
また、仮設住宅から災害公営住宅へ移転された方と、そうでない方の格差もたびたび話題になっています。タイミングが合わずに災害公営住宅へ入居できなかった方の行政への不満の声も聞こえてきます。
その両方の境遇の人達が買い物支援の車の中で一緒に買い物に出かけるのですが、その話題で険悪になるわけではなく、お互いに現実を受けいれて、身の回りの状況や地域の情報などを仲良く話されているようです。

閖上で被災し外観だけ残っていたかまぼこ店の建物が震災遺構とならずに昨年撤去されました。この時に遺構の存続について何人かの被災者の方に聞いてみました。若い方は「遺構は必要ないと思う」、年配の方からは「遺構として残して欲しい」という意見がありました。若い人には辛い思い出がよみがえってくる場所は必要ないという考えがあり、年配の人は遺構が無くなると以前住んでいた自宅の目印を失ってしまうので残念でならないとのことでした。これが総意ではないにしても、震災は人や物だけでなく、想い出までも多く奪ってしまったのだなと痛感しました。

昨年から支援室主催で《被災地巡りツアー》を企画開催しています。昨年六月には「名取市閖上・仙台市荒浜・東松島市野蒜」へ、八月には「宮城県南三陸町・女川町・石巻市」へ、十一月には「福島県新地町・宮城県岩沼市」へ案内しました。
この試みは被災地に行きたくても交通手段が無かったり、行き方が分らなかったり、一人ではなかなか訪れることができなかった方に向けて企画実施しています。現地でのお祈りや、地域の語り部のお話を聞いて参加者の方からは「やはり現場に立たないと分からないことが多くありました」とのご意見をいただいています。実際に自分の目で見てそこの空気に触れないと被災地の現状はわからないと思います。
今年五月以降に福島県の東京電力福島第一原発周辺に行くことを計画しています。

支援室の働きの中で感じていること。それは震災から八年が経過した今も被災者の方々は昨日のことのように話題にされているなということです。私自身も当時怖い思いはしましたが、生活が元に戻っていくにつれ忘れていくことは否定できません。被災された方々と一緒に居る機会が多いのですから、よく話を聞いて折に触れて教会の皆さんに発信していかなければとの思いを強くしています。(*2019年1月11日現在 河北新報より) 

以上は 渡部さんの許可を得て、日本聖公会東北教区のあけぼの(ニュースレター)から転載したものです。

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以下は 富岡秀さんが2019年3月10日に撮影された写真です