のんびり里山日記

里山を次の世代へ引き継ぐために、何かできることはないかな? のんびりと考えながら、里山のできごとを紹介していきます。

ムカデ、気を付けて!

2021年06月22日 | 日々のこと

先日、ムカデに嚙まれました。
夜中のことで、噛まれた瞬間を見ていないので、半信半疑。
その後、辺りをひっくり返し、殺虫剤をまいてみて犯人を発見。
駆除いたしました。

特に、ムカデに嚙まれるとかなり痛いと聞いていたので、
この程度?ということもあり半信半疑になったのですが。
翌朝もたいして腫れることもなく、大丈夫かな?と虫刺されの薬を塗って放置。

さらに翌朝、『腫れました!』(;゚Д゚)

朝から病院に行くも、先生からは笑われるほど足がパンパン。
飲み薬も飲みましたが翌日は更に腫れ、骨折したときに買ったリハビリ用の靴も入らない。

噛まれて4日後くらいから腫れが引き始めて、どうにか足も元の大きさに。
後から、すぐに病院に行かなかったことを怒られました。
↑病院の先生は、笑ってたんですけど・・・

一度腫れ上がると、薬を飲んでも引くのに時間がかかるとか。
ムカデに噛まれても自己対応してしまうのは「田舎あるある」と言われましたが、
案外と生活が不便だったので、すぐに病院、腫れる前に薬。

皆さまもお気を付けください。


「絆」よく見ますね。

2021年03月08日 | 日々のこと

東日本大震災から10年。
そう言えば、あの頃から『絆』の文字はよく目にしていました。
ただ、最近、その文字に対する感じ方が私の中で変わったのだと思います。
なので、その文字を掲げられるたび、違和感を感じてしまうのです。

当時、この文字は、あの大災害は被害地域の人たちの頑張りだけでは復興は無理で、
揺れを感じなかった私たちや、海外にいた人たちも、手を取り合うという意味にとらえていました。
たぶん今も、掲げる人の気持ちは変わらないのかもしれません。

当時も今も田舎に住んでいる私には、昔ほどではないけれど、
ご近所さん(近くても100m離れているとかは置いておいて)と、回覧板を回しがてら、
お裾分けをあげたりもらったりは、今でも普通。
でも、地区の行事がだんだんと減って、みんなで集まってご飯を食べるようなことはどんどん減っています。

新型コロナの影響で、今まで通りのお葬式ができなくなりました。
そう、コロナだから・・・と思っているけど、本当にそうでしょうか?
コロナの前から、人が集まることをわずらわしいと思ってましたよね?
家族葬が増えましたけど、家族葬専用の会館ができ始めたのは最近のことではないのです。

親戚が亡くなって、初七日の夜、親族でお食事を頂きながら雑談をしていると、
今後の七日七日の法要をどうするかという話になりました。
私たちの世代は、親が仕切る法要に参加させて頂いていますが、
だんだんと自分たちがしなければならない時期が来ているから、
役をもらいながら覚えていきたいという話になったのです。

ふと、本当に自分たちの代になった時、そんなことが必要なのだろうか?と思いました。
そもそも、四十九日まで、七日ごとに法要をしているところも少ないですし、
していても家族だけというのがほとんどではないでしょうか。
今でさえ私たちの代の親族は2人しか参加していないのに、
子供の数も減っていれば、自分たちだけでと思ってしまうのは自然なことです。
関東の親戚では、火葬まで冷暗所にご遺体を預けて、それまでは、日々と変わらない生活。
各々友達をご飯を食べてくるというのを聞いて、
火葬の事情も違うから同じようには語れないと言っても、家族との別れ方の違いを恐いとさえ思いました。

そんなことがあって、『絆』の文字を見たときに、
ああ、絆ってわざわざ言わないといけないほどに、なくなってしまったものなんだと感じたわけです。

集まることがいいこだという気はないけど、
自分自身もコロナが良い言い訳になったと感じていることがある気がして、
ほころび始めていたものが、コロナのおかげではっきりと姿を現したという感じ。

この先、どのような世の中になるのか、やはり恐い気がします。


年末年始

2021年02月16日 | 日々のこと

大変な一年だったなぁと、昨年の12月の頭くらいに話をしていました。

が、しかし (;´Д`) 最大の難所は年末に待っていました。

長崎市に親戚回りをしに行っていたところ、父の体調が悪くなり
救急搬送・緊急手術 もう、パニックもいいところです。

奇跡の物語でした。

父が運転中だったため、助けを求めるためコンビニまで運転。
運転中に意識がなくなれば、長崎市の中心部、交通事故になってもおかしくない状態。

車を停めたコンビニに、たまたま看護師さんがいて救護してもらった。

年末の夕方にも関わらず、道がすいていてすぐに病院についた。

そもそも、大学病院の近くで倒れたのが、ラッキーでした。

お医者さんから、この病状では心肺停止で運ばれてくるのが普通で、
意識がある状態で病院まで届くなんて、奇跡ですよ!と言われました。

我が家で倒れていたなら、おそらく助からなかった命なのですが、
いくつものラッキーが重なって、10日ばかりの入院で退院してきました。
この病気で、歩いて退院する人も初めて見たと言われたそうです。

命に縁があるという言い方をしますが、まさに、そう。
父の番ではなかったんだなと、命の不思議を感じた年末でした。

父も今では、自分で通院できるようになり、コソコソと畑仕事を始めています。
ご縁があった命ですから、自由に好きなことをしてもらえたらと思っています。

ただ、お酒だけは、先生から制限されていますから、親子共々少ししか飲めず、
この、新酒の時期に、指をくわえている今日この頃です。