新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

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樋野先生の著書から・その5(0019)

2013年11月22日 | 外来待合室
偉大なるお節介症候群認定証の実物です。画像をクリックすると拡大します。
<必要なのは「偉大なるおせっかい」>
私は、ふだんから、名詞ではなく形容詞で、ものごとを考えるようにしています。(中略)例えば「がん」という名詞で考えるのではなく、そこに「良い」「悪い」という形容詞を持ってくる。がんには良いがん(治るがん)と悪いがん(治らないがん)があります。名詞だけで考えていては本質が見えてこないのです。

「おせっかい」も同じです。おせっかいと聞いて、何を思うでしょう。してはいけないこととしたらきらわれることのように誰もが思うでしょう。ところがおせっかいが必要なことが、世の中にはたくさんあります。「がん哲学外来」も、ある意味、「おせっかい」なわけです。

そこで、形容詞で考えるのです。私は「よけいな」と「偉大なる」という形容詞を考えました。「よけいなおせっかい」はダメだけど、「偉大なるおせっかい」は積極的に行なうべきである。そう考えて、私は、がん患者さんやその家族に「偉大なるおせっかい」をやくようにしているのです。(中略) 現代社会そのものが、おせっかいの少ない社会なのかもしれません。忙しいせいもありますが、役割分担への意識が高い。(中略)けれども、誰かが困っているのに、担当か担当でないかなんて無意味です。

「偉大なるおせっかい」は、自分の担当かそうでないかを気にかけたりしません。ときには相手の事情にまで踏み込んで、自分ができることをしてあげようとします。
患者さんとその家族が、他人の「偉大なるおせっかい」を必要とする機会はあんがい多いものです。例えば、他人が仲介役を務めれば、家族が上手くいくことが多いのです。隣人として「偉大なるおせっかい」を買って出る人が増えてくれば、もっと世の中が良くなるのではないでしょうか。
(「がんと暮らす人のために・樋野興夫」P164~165より抜粋 文責J)

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私の場合は意あって力足りずで、まだまだ「偉大なるおせっかい」の初心者です。つい、最後まで面倒見切れるか、などという小賢しいことを考えてしまい、結局は尻切れトンボのおせっかいになってしまいます。これならしないほうがマシ?

で、ふと思い出したのが「江戸しぐさ」。例えば電車やバスの中でのそれとなくする席つめなんかは元は江戸しぐさだそうです。ちょっと遠くからす~っと自然にできるおせっかいなんて粋ですね。そうそう、話を聞きながら、助力を得るためにその場で関係者に「すぐに電話」するとかも粋ですね。などと、ちょっと脱線してしまいました。

いずれにせよ、樋野先生のお考えを良く理解して一人前の「偉大なるおせっかい」になりたいものです。ちなみに、おせっかいを焼くには、一見暇なそうなオーラを出さないと人は寄ってこないそうです。

さて、樋野先生が認定しているお節介症候群には3つの診断基準が書かれています。①暇げな風貌、②偉大なるお節介、③即効性と英断の3つです。3つのうち、分かりにくいのは③でしょうけども、これはさきほどの「すぐに電話」が一例ではないかな、と思っています。すぐやる課のノリ?(J)

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