中国(唐)からの影響が、一切に亡くなると和の国、日本の独自の文化が花咲きました。(良かった、良かった)
日本独自の「ひらがな」が全国に広がり、「和歌」が「漢詩」と並んで公の場でもてはやされました。九世紀の後半には「六歌仙」と呼ばれる歌人がうまれました。
平安期の六歌仙
「僧喜撰」(きせん)
「在原業平」
「僧正遍照」
「小野小町」
「文屋秀康」
「祇園祭・黒主山の祭神」の「大伴黒主」
以上のような「六歌仙」が出ました。
前記、「紀貫之」らの編集による「勅撰和歌集」「古今和歌集」が作られました。「古今調」と呼ばれる繊細で技巧的な和風は長い間、和歌の模範とされました。これは、世界に例のない、独自の1「日本国風文化」です。
他にも漆器に金・銀をまきつける「蒔絵」や柔和な書道が発達し、「三蹟」(さんせき)と呼ばれる者が、出ました。
平安時代の「三蹟」(さんせき)
「小野道風」
「藤原佐里」(すけまさ)
「藤原行成」(こうせい)
まさに、「平安時代・藤原時代」の全盛期でした。