京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その539)平安遷都後の「藤原氏」の摂関政治の始まり(4)

2013-07-14 07:41:11 | 京の話題

九世紀の初め、「桓武天皇」や「嵯峨天皇」は「貴族」を抑え、国政を指導しましたが、その間に「藤原氏」、ときに「北家」が勢力を伸ばしました。前記の「嵯峨天皇」ん0お信任を得て、「蔵人頭」(くろうどのとう)となった「藤原冬嗣」は、皇室と姻戚関係を結び自らも「左大臣」となりました。「これが北家発展の因となりました。

藤原冬嗣、絵

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その子「藤原良房」は「清和天皇」の摂政となqり、「藤原良房」の「藤原基経」は「光孝天皇」の実質上の摂政になり、第59代「宇多天皇」が即位すると正式に「関白」になりました。

「藤原義経」 絵(決してすねてませんョ、昔の貴族はこのような姿が貴賓があるといわれています)

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さらにその子、あの「延喜式」の編纂に関わった「藤原時平」(このおっあさん、物凄いひとですョ)は「左大臣」となり、第59代「宇多天皇」が「藤原北家」を抑えれるために登用されんました。

悪名高い「藤原時平」、しかし第52代「醍醐天皇」に命じられ「延喜式帳」を編纂しました。(現在残っている貴重な神社の格式を残した、古文書です。但し、写本だけですが)「菅原道真」を、ある事無い事で「太宰府に流罪した張本人ですョ。

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「右大臣」の有名な「菅原道真」を延喜元年(901年)、参謀により、「太宰権師」(だざいのごんのそし)に左遷されました。

「藤原時平」の陰謀で大宰府に流罪された、学問の神様「菅原道真」絵

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これは「菅原道真」の建議によるもどであったとされています。(今も昔も、政治の世界は、魑魅魍魎です)

※「菅原道真」の肖像が間違っていました、訂正済み。