京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その547)公家をおさえ、武士政権の始まり

2013-07-29 10:12:52 | 京の話題

「院政」のもとで成長した「武士」は、東国で「源氏」が勢力を広げると、西国では「平氏」が勢いを伸ばしました。

保元元年1(1156年)、「上皇」と「天皇」との政治の実権争いがおこると、「源氏」と「平氏」とのその争いに動員され、戦いました。「保元の乱」

この戦いで働きの目覚ましかった「平清盛」と「源義朝」は、三年後の「平治の乱」(平治元年・1159年)では敵対して戦い、平の長「平清盛」が勝利しました。

「平清盛」像

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これらの戦いを経て、武士が政治の上でも大きな権力を得ることになりました。

武士として、初めて「太政大臣」となった「平清盛」(武士でありながら太政大臣にのぼりつめ、平氏の全盛時代を築いた武将)は、娘・徳子(建礼門院・安徳帝の母)を第80代「高倉天皇」の后とし、さらに第81代「安徳天皇」の外威となって勢力を強めると、その一族は多くの荘園を手に入れました。また、高い位を得て繁栄を誇りました。

「徳子」平清盛の娘・建礼門院・安徳帝の母(京の大原”寂光院”に隠徳地を求めました)・「壇ノ浦の戦いで、入水し奇跡的に助けられました」

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第81代「安徳天皇」

81

「平清盛」は摂津の大輪田泊(おおわだのとまり)を修築するなど瀬戸内海の航路を整備し、「宋」との貿易を盛んに行い、「宋」の文化が広く日本に入りました。

その頃、海外では「第一回十字軍遠征」(1096年)等が起こっていました。