この「隨心院」は「真言宗善通寺派」のお寺ですが、なんといっても「小野小町」で有名なお寺です。このお寺は「小野小町」の邸宅跡という話もひろく伝わっています。
このお寺はもともと正暦2年(991年)に「仁海」が開創した「曼荼羅寺」の子院でした。五世「僧俊」のときに「隨心院」と名前をあらためました。開山の「仁海」は「神泉苑」の請雨修法で九度も大雨を降らせた、霊験あらたな僧で、世に請雨僧正とよばれました。また「真言宗小野流」の祖でもあります。
「隨心院」は、第84代「順徳天皇」第86代「後堀河天皇」第87代「四条天皇」などの祈願所となり、第7世「親厳」(しんごん)の代に門跡号をあたえられ摂家の子弟が歴代の住持となり、おおいに隆盛しました。
「承久の乱」(後鳥羽天皇が首謀者で、隠岐の島に流罪されました)や「応仁の乱」で伽藍のほとんどが焼失して、現在の立て門派、慶長4年(1599年)ころから再建されたものです。
最初に記載した「小野小町」で有名なおてらで、境内には「小野小町」の化粧井戸・男から送られた艶書を埋めた小町塚なども有ります。
また三月最終日曜日に催される「はねず踊り」は「小町」と「深草少将」に扮した少女達が愛らしい踊りを見せてくれます。
参考まで「小野小町」が晩年すごし、年老いて死んでいった「小野小町」の老婆の像が、前記「こまち寺」に記載しています。私一人の為に、本堂を開いて、御親切に説明をして頂きました。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111002
また、「深草少将」が「小野小町」を恋して通い詰め、最後に会えず息絶えたという逸話のお寺も掲載しています。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120508
このお寺の総本山は、香川県善通寺市に有る「善通寺」で、「真言密教」の開祖「空海」(弘法大師)誕生の地です。
山科区小野御陵町(みささぎ)