今日はどなたでも、日本人でしたら知っている、赤穂浪士の討ち入りです。
時は元禄15年12月14日(1702年)雪をけため・・・・・・・・・・・、と「赤穂浪士」の討ち入りの日です。全国、で「義士祭」が行われます。ここ、京でも「大石内蔵助」かわずかの日々ですが妻と子供と暮らした山科の地で多いにこの日に「義士祭」が行われます。
「大石」神社」の詳細は前記を参照下さい。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111214ここの地の方も子供さんや、大人もあげての「義士祭」です。可愛らしい「義士役」のお子さん、女の子も交えて頑張っています。
もちろん、大人の義士も負けてはいません。「義士」と言われたのは、明治後のことで、それまでは江戸時代では「赤穂浪士」と言われていました。
「大石内蔵助良雄」(この名前を、広辞苑では、ヨシタカと読むようです)
皆さんお揃いで、討ち入り・・・・・・・。本当は「山鹿流陣太鼓」は無かったようです。討ち入る前に、大きな音で「太鼓」鳴らして打ちいるのは、敵に事前に知らせることで、こんな事は絶対しませんでした。(史実でも、ちゃんと記載が有ります)が、この太鼓が無いとやはり討ち入りに花が有りません。
最後に、「赤穂浪士」の記念撮影です。この寒い日に皆さん頑張っての討ち入り装束で。
京都では、この日に「討ち入りそば」又は「義士そば」を食べる習慣です。
これは少し贅沢です「にしんそば」500円(大きなにしんが入り、安い)、本当は、義士は集まって、江戸では「ざるそば」を食べたと。まあ何でも良いです、やはり冬は暖かいおそばが良いです。何かにつけ、京都では、それにひっかけて何でも食べます。
美味しいおそば、お代わりをしました。
甘酒の接待も有りました。こちらは無料の御奉仕です。
大きなお釜で・・・・。
「大石神社」は前記に紹介しました、その宝物館「無料」の中で、以前に内蔵助役をした、先日亡くなった「中村勘三郎」(当時の、勘九郎)の写真が、花を添えっれて飾ってありました。(若い時の写真です)
御冥福を。
話は変わりますが、昨日から「北野天満宮」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120319で「大福梅」の授与が始まっています。境内の1500本以上の梅の木から採れた梅の実を塩に漬けて、かんかちこに石のように乾かして、乾燥して、正月に梅茶として頂ければ、一年無病で生きられるという有り難い「大福梅」です。
来年は良い年で有りますように、と、
参拝して参りました。
大石神社:山科区西野梅野馬場町116
北野天満宮:上京区御前通今小路上ル馬喰町